7.ジバンシィ
リカルド・ティッシからクレア・ワイト・ケラーにアーティスティック・ディレクレターが変わってから、ジバンシィは、明らかにユベール・ド・ジヴァンシィのエレガンスを取り戻しつつあるの。それは2018年5月19日に行われたヘンリー英国王子とメーガン妃のロイヤルウエディングのドレスをデザインしたことからも明らかよね。 |
私がこよなく愛するラグジュアリー・ブランドのひとつはジバンシィ。ただし、ジバンシィ・バイ・リカルド・ティッシ(現バーバリーのチーフ・クリエイティブ・オフィサー)ではなかった。
1952年、スキャパレリのブティック・ラインの責任者を4年間務めていた25歳のユベール・ド・ジバンシィ(1927ー2018)が、当時最年少で自分のファッションハウスを設立したことからジバンシィの歴史は始まったの。同年の初コレクションで、ベッティーナ・ブラウスとセパレーツを発表し(ジバンシィの革命)、小粋で若々しくモダンなデザインによって、一躍ファッションシーンの寵児として、アンファン・テリブル(恐るべき神童)と呼ばれるようになったの(翌年、クリストバル・バレンシアガと親交を結び、師弟関係を築く)。
そして、1954年『麗しのサブリナ』の中でジバンシィの衣裳が使われ、オードリー・ヘプバーンが、ジバンシィのミューズとなったの。以後、『パリの恋人』(1957)『昼下りの情事』(1957)『ティファニーで朝食を』(1961)『シャレード』(1963)『パリで一緒に』(1964)『おしゃれ泥棒』(1966)と、オードリーの映画の多くの衣裳をジバンシィが担当するようになり、オードリー=ジバンシィ=パリモードのイメージが世界中の人々の中に浸透したのよ。
1988年にLVMHグループの傘下に入るも、1995年に、後任デザイナーとしてジョン・ガリアーノを指名して、ユベールは引退したの。しかし、ガリアーノは翌年にディオールに移籍し、1996年より、アレキサンダー・マックイーンがジバンシィの主任デザイナーに就任することになったの(2001年10月まで)。
2005年に、リカルド・ティッシ(1974-)が主任デザイナーに就任(2017年まで)。2017年3月からは、前クロエのクリエイティブ・ディレクターであるクレア・ワイト・ケラー(1970-)が、ジバンシィの新アーティスティック・ディレクターに就任することになり、2017年10月の2018年春夏コレクションがファーストコレクションになったの。
日本でのジバンシィの本格的な再始動は、2014年の表参道路面店オープンからかしら。(圭子・スカイウォーカー)