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【ブロンディ】恋のピクチャー|ディスコ・ドレスと元祖ボディコン

ブロンディ
ブロンディ 反逆のファッション 反逆の歌姫たち
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恋のピクチャー

Picture This ブロンディの3枚目のアルバム『恋の平行線』(1978)から、ファースト・シングルとして発売されました。デボラ・ハリー自身が作詞したこの曲は、ニューウェイブを代表するラブソングとして高評価を得ました。プロデューサーは、マイク・チャップマン。彼の手腕によりブロンディは、世界規模のセックス・シンボルへと昇華していくのでした。

PVで着ているイエロードレスは、ファッション・デザイナーのスティーブン・スプラウスによりデザインされたものでした。

それにしてもこのシングルのカバーデザインが、素敵過ぎます。回転するレコードを舌先で止めようとするデボラ・ハリー。紙ですぱっと手を切るように、レコードで、舌が切り裂かれる情景と、男性の性器を愛撫する情景を連想させるキワドイものです。

概要


曲名:恋のピクチャー
原名:Picture This
リリース:1976年
最高順位:全英12位

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OH YEAH!ブロンディのパンク魂

Blondie – Picture This

とにかくこの曲の素晴らしさは、「OH YEAH!」の時のデボラ・ハリーの表情に尽きます。この鼻の上がり方といい、目の離れ具合といい、まさに金子國義先生の描く絵に出てくるような表情になっています。しかし、この顔面芸のような歌い方を見ていると、どれだけカーラ・デルヴィーニュが影響を受けているか良くわかります。

そして、デボラ自身も、デヴィッド・ボウイ以上に、ミック・ジャガースティーブン・タイラーから多大なる影響を受けていることが良くわかります。一言でいうと、とんでもなくセックスが上手そうな歌い方をするのです。

ブロンディ・ルック6 イエロードレス

スティーブン・スプラウスによってデザインされた、ネオンイエローに、ノーカラーのストロングショルダードレスとブロンドヘアーのデボラ・ハリーがとてもまぶしいです。

このスタイルこそ、日本において、1970年代後半から80年半ばにかけて、スケバンがディスコに行くネオンルックの元祖となるのです。この時代の若者たちは、海外の情報が限られていたからこそ、その国独自の尖がったファッションを生み出すことが出来ました。

もしかしたら、新しい情報が日々アップデイトされる社会とは、独創力を著しく失わせる社会なのかもしれません。ひとつ明らかなこと、それはファッションから国境を剥ぎ取ったことによりファストファッションが栄える事になりました。しかし、そのことにより人々は、何か言いようのない不安に苛まれる様になったのです。その結果生まれたのが、若者の間に蔓延るインスタ映えなのでした。




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「恋のピクチャー」ライブ映像集

Blondie – Picture This (Live New Years Eve 1979)
Blondie Picture This
Blondie: "Picture This" (UK, 1978)

ブロンディ・ルック7 ピンクドレス

1977年に発表されたセカンド・アルバム『囁きのブロンディ』のジャケット写真で着用していたピンクのボディコンドレス(当時、まだアズディン・アライアのボディコン・ドレスは存在しなかった)がとても80年代的です。このドレスはアーニャ・フィリップスがデザインしたものでした。







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アーニャ・フィリップス

デボラ・ハリーのドレスをデザインしたこの女性は、1955年に中国国民党の将軍の娘として生まれました。未婚の母親は、台湾にいたアメリカ人の軍事顧問と再婚し、19歳のとき、アーニャはハワイ経由でニューヨークに上陸したのでした。そして、音楽のライブ・パフォーマンスの写真を撮ったり、ストリッパーとして生活していました。

やがて、パンクジャスの旗手となるジェームス・チャンスと知り合い、彼のマネージャーとして活躍しながら、ファッション・デザインなどのクリエイティブな物事に没頭するようになります。そして、親友のデボラ・ハリーのためにピンクドレスをデザインすることになったのでした。

しかし、彼女の周りが脚光を浴び、これからという時に病に倒れ、1981年に僅か26歳で癌で帰らぬ人になりました。


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