マレーネ・ディートリッヒ

マレーネ・ディートリッヒ5 『嘆きの天使』1(3ページ)

    作品名:嘆きの天使 Der blaue Engel(1930)
    監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
    衣装:ティハメル・ ヴァラディ/マレーネ・ディートリヒ
    出演者:マレーネ・ディートリヒ/エミール・ヤニングス

    上手く女装した男には、女はセクシーさでは勝てない。

    マリリン・モンロー×リチャード・アヴェドン、1958年。

    自分をセクシーな女に見せるのが最も上手なのはゲイボーイよ。

    マレーネ・ディートリッヒ(1920年代の発言)

    『嘆きの天使』が、ファッション史において重要な作品のひとつである理由は、映画史上初めて、〝美しい脚の作り方〟を示したところにありました。

    まだ無名の女優だったマレーネ・ディートリッヒは、ティハメル・ ヴァラディが準備した衣裳に対して感じた違和感を、監督のジョセフ・フォン・スタンバーグに率直に伝えました。なぜなら、彼女は、本作の舞台である狂乱の20年代はじめのベルリンにおいて、顔を真っ白に塗りたて、街角に佇んでいた、エロチックな服装を着た売春婦たちのスタイルを取り入れるべきだと考えたからでした。

    マレーネは、売春婦たちが必ずつけていたガーターベルトを、格好良くつけるすべを最も心得ているのは、女装した男娼であることを知っていました。そんな男娼の中でも、白いシルクハットとひだつきの縁飾りのあるパンティ姿がトレードマークのプラチナブロンド美女が、マレーネのお気に入りでした。

    スタンバーグは『嘆きの天使』のローラについて、きわめてはっきりしたイメージを持っていた。ローラの声、歩き方、身のこなし、振舞をすべて承知していた。彼は私の衣裳の選択にも力を貸し、私を激励し、その上、私の好きなようにさせてくれた。衣裳に娼婦が身に着けるシルクハットを合わせ、飾りはリボン、ふさ、モール等、すべて港の安酒場の女給が調達できるものに取り替えた。

    ある日スタンバーグはこういった。「前から見たらフェリシアン・ロップス、後ろから見たらロートレックの絵を思い起こさせるようにしなさい」。それは私にはわかりやすいイメージであった。私はいつも自らすすんで指導を受けた。人生や仕事や愛において、誰かに期待されていることがわかる時ほど心地良いことはない。

    マレーネ・ディートリッヒ

    衣裳デザインを変えていく許可を得たマレーネは、夫と共に、ベルリンの男娼たちを捜しました。「いつも白いサテンのシルクハットにガーターベルトを巻いていた、あの娼婦を覚えてる?彼を見つけなきゃならないの!彼のパンティが入り用なのよ」という風にです。

    こうしてマレーネはホットパンツ・スタイルを生み出したのでした。ホットパンツは、1971年には、全米でビーチ以外でも履くトレンドファッションになったのですが、この時代においてはキャバレーの踊り子や売春婦だけが履いているスタイルでした。それをマレーネは、1929年に大胆にも取り入れたのでした。

    「キミの足にノーマルな男さえも見とれるほどの踊りを見せて欲しい」

    ヘルムート・バーガーの栄光をキミに!

    ルキノ・ヴィスコンティが『地獄に堕ちた勇者ども』という1933年から34年のナチス台頭のドイツを舞台にした作品の中で、ヘルムート・バーガーに『嘆きの天使』のローラ・ローラの女装をさせました。ちなみに、ナチス・ドイツが政権を獲得した1933年に本作は上映禁止処置が取られています。

    バーガーに対して、ヴィスコンティは「キミの足にノーマルな男さえも見とれるほどの踊りを見せて欲しい」と要求したのでした。それほどに、このスタイルは、ナチス前夜のドイツの退廃美と狂気を象徴したファッションだったということです。

    ローラ・ローラ誕生の瞬間

    マレーネ・ディートリッヒが、はじめての大役を獲得した経緯は以下の通りです。

    1929年5月16日にアメリカ・ハリウッドのルーズベルト・ホテルにて、第一回アカデミー賞が行なわれ、『肉体の道』と『最後の命令』(スタンバーグ監督作品)により、エミール・ヤニングス(1884-1950)がアカデミー主演男優賞を獲得しました。そんな彼が祖国ドイツに凱旋し、本国初のトーキー作品として、ハインリヒ・マン(1871-1950)原作の「ウンラート教授」(この原作が実に素晴らしい!ただし、本作とは全く違う内容です。)の映画化が決定したのでした(当初は怪僧ラスプーチンを映画化する予定だったが、スタンバーグが断る)。

    ヤニングスが演じるラート教授を夢中にさせる、安キャバレーの踊り子ローラ・ローラを演じる女優探しは難航を極めました。そんなある日、スタンバーグは、本作に出演が決定していたハンス・アルバース(色男役)が主演する「二つのボウタイ」という舞台を観劇しました。そして、そこに登場した「みなさん、今晩私と食事をしていただけませんかしら」という、たった一言のセリフだけを言った脇役の女優を目に留めたのでした。彼女こそ、すでに16本の映画と10余りの舞台に出演していた、28歳の脇役女優マレーネ・ディートリッヒ(1901-1992)でした。

    翌日、カメラテストを受けることになったマレーネは、「その役がもらえるかどうか私にはどうでもよかった」と回想しています。そして、当日「私はフォン・スタンバーグとの初めての出会いのことを何一つ覚えていない。若くて無知だと、非凡な人を見分ける力がないものだ。私はいくつかの映画で納得していたように、自分が写真うつりがよくないことを彼に伝え、他の女優を捜すように勧めた。」とまで言ったのでした。

    しかし、スタンバーグに説得され、「かなりきついスパンコールの服を無理やりに着せられ、ヘアアイロンで髪をカールされ、蒸気が天井まで立ち上るのを見た時、心の底から絶望感に陥り」ながらも行われたカメラテストが上記のフィルムなのです。「安っぽいはすっぱな感じで歌え!そして、ピアニストが弾き間違えたら、歌うのをやめて本気で罵れ!」とスタンバーグに指示されたのでした。

    このカメラテストの結果、スタンバーグ以外が全員反対する中で、マレーネのローラ・ローラ役は決定したのでした。この時、スタンバーグは一言こう言い切ったのでした。「マレーネ・ディートリッヒこそ、この役のために生まれてきたような人だ」と。本作において、マレーネのギャランティは5000ドルでした(ヤニングスは20万ドル)。そして、彼女はこの時、生まれて初めてミンクを買ったのでした。



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