雪姫メイクは、能面とエリザベス・テイラーの組み合わせ
実に印象的な雪姫のメイクは、黒澤明の指示により、『渇食(かっしき)』の能面をモチーフにしたものです。それは半僧半俗の少年の面であり、更に黒澤は、エリザベス・テイラーの写真をメイク係に渡し「これも参考にして」と言い放ったという。
黒澤映画全般に言えることなのですが、彼の作品に出演するとその女優の顔つきは全く違ったものになります。それは明らかにその女優の持つ表面的な美しさを、崩壊させるメイクが施されているからなのですが、そのことが、その女優の中に潜む新たなる美を引き出していきます。その結果、観ているものは、当初そのメイクに違和感を感じていたはずが、やがてはその風貌の虜になってしまうのです。
半ズボンの映画
女性から見てもよく伝わる二人の百姓が生唾を飲み込む生々しい描写。張りのよい果実のような若い女性の太腿が生み出す生命と情欲の躍動感が、男性の理性を失わせていく魔の刻みを見事に描いています。
そして、もう一つの観点から見るとこの作品は、半ズボンの映画なのです。雪姫はもちろんそうなのですが、三悪人たちも半ズボンであり、六郎太のその姿は、男の野性味に満ち溢れている一方、百姓の二人からは、中年男性が半ズボンを履いた時に漂う、可愛さや、憎めない雰囲気も伝えてくれるのです。
世界のミフネ=アラン・ドロンも惚れる男
この作品で、一瞬にして主役級の輝きを見せる藤田進(1912-1990)扮する田所兵衛と手合わせすることになる敵陣突破シーンの前に、三船敏郎が見せる乗馬シーンの凄さは今では神話です。それは1950年代の東宝だからこそ撮れたシーンでしょう。全力疾走する馬の上で、両手で握る刀を上段に八双の構えを取るシーンはもちろん言うまでもなくすごいのですが、兵衛と対面したときの、馬の手綱さばきの素晴らしさは、見ていて惚れ惚れします。
三船は立ち回りが始まると呼吸を止めて、息をしない状態で、次々と向かってくる相手を斬り捨てる。普通に呼吸をしていたのでは、あれだけのスピードで人は斬れないからである。
『サムライ 評伝三船敏郎』松田 美智子
昔の日本映画には、〝男〟がいたが、今の日本映画には、残念ながら、この時代のミフネのような〝男〟はいません。ところで、本作を「今でも見れる映画」という形容をする方がいますが、この認識を改めないといけません。画質が良くて、表面的に派手な演出をしていれば「見れる映画」という感覚は、あまりにも芸術的感性が欠落しています。寧ろ、「今では見れない映画」と言わなければならないのです。