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『タクシー・ドライバー』Vol.6|ジョディ・フォスターとジョン・ヒンクリーJR

その他の現代の女優たち
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その男の名はジョン・ヒンクリーJR

『タクシー・ドライバー』は、世界中の青少年に良くも悪くも大きな影響を与え続けています。主人公のトラヴィス・ビックルを見て「これはオレの姿だ!」と雷に打たれたかのように、ある種の男子を覚醒させてしまう力があります。

ジョン・ヒンクリーJR(1955-)も21才の時、そのように覚醒した男子の1人でした。彼は、少なくとも15回この映画を見ました。そして、トラヴィスがアイリスを救ったように、オレがジョディ・フォスターを救わねば、となぜか真剣に考えるようになったのでした。

ストーカーと化したヒンクリーは、1980年9月にジョディが通っていたイェール大学の近くに引っ越し、聴講生としてジョディと同じ講義を受け、彼女のアパートと電話番号まで調べ上げました。彼の父親は石油会社を経営していたので、ストーカーに専念出来たのでした。

電話で2回ジョディ・フォスターと話すも、はっきりと拒絶され、すっかり落胆したヒンクリーは、1980年に暗殺されたジョン・レノンの追悼集会に参加するためニューヨークに行った後、〝オレだけのアイリスを探して〟、イースト・ヴィレッジを徘徊するも、内気な彼はそんな少女たちに声をかけることは出来ませんでした。

ジョン・ヒンクリーJR

ジョディ・フォスターが演じたアイリス。

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所持品、ボブ・ランドールの「殺しのファンレター」

ヒンクリーJRが大切に所持していた写真。

ロナルド・レーガン大統領を撃つ数分前のヒンクリーが群集の写真の中に偶然写っています(左から3番目です)。

私は、歴史的な行為を通じて、あなたへの愛を証明します。

ジョン・ヒンクリーJRが、レーガン暗殺直前にジョディ・フォスターに書き残した2枚の手紙の中の有名な一文。

1981年3月30日、25才のジョン・ヒンクリーJRは、リボルバーを持って、ワシントンDCのヒルトン・ホテルを目指していました。そして、午後14時55分に2秒間に6発の銃弾を撃ったのでした。ロナルド・レーガン大統領狙撃事件です。

6発の弾丸のうち1発がレーガン大統領の胸部に命中し、報道担当官ジェイムズ・ブレイディ他2名も負傷しました。そして、ヒンクリーはその場で身柄を拘束されました(生中継されていた)。

ちなみに、この日、第53回アカデミー賞の授賞式が予定されていたが、一日延期され開催され、スコセッシ監督の『レイジング・ブル』でロバート・デ・ニーロが主演男優賞を受賞したのでした。この時二人には、FBIの厳重な警護がつきました。

実はジョディ・フォスターが本作でアカデミー助演女優賞にノミネートされた時に〝おまえが作ったあんな映画でジョディが受賞するようなことがあれば命はないと思え〟という脅迫状がスコセッシのもとに届き、FBIはドレスアップした女性捜査官を護衛につけたことがありました。

逮捕時、ヒンクリーの所持していた財布の中には、現金129ドルと、エスクァイア誌から切り取った女学生の服を着たジョディ・フォスターがバスケットボールを持つ写真などが入っていました。

彼が滞在していたパーク・セントラル・ホテルの312号室からは、ジョディ・フォスターへの有名な〝愛の告白〟の手紙と、1981年のジョン・レノン・カレンダー、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」、「ロミオとジュリエット」、ボブ・ランドールの「殺しのファンレター」、「タクシー・ドライバー」、アーミー・ファティーグ・ジャケット、バッファローチェック・シャツ、ロナルド&ナンシー・レーガンのポストカードが残されていました。

ここで一番不気味なのは、ボブ・ランドールの小説を持っていた事でした。この小説の中にこそ、ヒンクリーのストーカー行為と同じ内容が書かれていたのでした。

ヒンクリーは1982年6月21日に精神病にて責任能力がないと判断され、無罪判決が出されました。そして、ワシントンD.C.の聖エリザベス病院に強制隔離入院させられました(2016年7月釈放されました)。

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公判にて、ヒンクリーが目を背けた2つのシーン

ヒンクリーが一番嫌いなシーンがこれです。

アメリカ文化における暴力は議論すべきなのか?それとも、ミッキー・マウスのような無害な映画だけでいいのか?私はそうは思わない。モラルを中心に据えて、社会の問題を突いた映画を作るべきだと思う。この映画はトラヴィスの視点から描かれています。そして、彼を追いつめたのは孤独感、疎外感、無力感であり、彼は生きる意義を求めていたのです。

ジョディ・フォスター

ジョン・ヒンクリーJRは、本作を鑑賞して以後、トラヴィスのように、アーミージャケットとブーツを着るようになり、ピーチブランデーを好んで飲み、毎日日記をつけるようになりました。

そんなヒンクリーに与えた本作の影響を推し量るために、法廷において、弁護側の証拠として『タクシー・ドライバー』が上映されました。ヒンクリーは、それまで他人事のように被告人席でボンヤリとしていた様子とはうって変わって目を見開き、スクリーンに釘づけになりました。

そんなヒンクリーがスクリーンから目を背けたシーンがただ2つだけありました。1つは、ベッツィがトラヴィスをふって映画館から去るシーンと、もう1つはアイリスがスポーツに抱擁されるシーンでした。

一方でジョディ・フォスターは、インタビューで彼の名前が出ると、インタビューを即刻中止するようになりました。1981年に事件について言及した数少ないインタビューの中で、事件を知ったとき、「打ちのめされてもう何も考えられなかった」「ただ涙がずっと出てきました」と答えていました。

1つの映画の持つ影響力の恐ろしさ。『タクシー・ドライバー』の誕生により、多くの人々が影響を受けました。そして、良きにつけ悪しきにつけ影響を与えるものを私たちは芸術と呼びます。

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アイリスのファッション4

カジュアル・ルック
  • 花柄の刺繍入りのピンクの半袖シャツ
  • インディゴのベルボトム
  • グリーンのトンボサングラス。途中でパープルにチェンジ
  • スリーハートのネックレス

アイリスにとってスリーハートのネックレスが如何に大切なものかがよく分かります。

すごいトンボサングラスです。

午後一時の朝食シーン。アイリスがとても少女らしいです。

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13才にして、デ・ニーロ・アプローチを見てしまう

このジョディ・フォスターの表情。ああ・・・2人が話し出すと長いのよ・・・

ジョディ・フォスターは体つきが役柄にぴったりはまっている珍しい子役である。彼女は自分のせりふを自分の気持ちそのものと感じていたのではないか。せりふが全て本気で言っているように聞こえた。

ポーリン・ケイル

撮影前のある日、ジョディ・フォスターが滞在していたホテルにロバート・デ・ニーロから直接電話がかかってきました。「明日、タイムズスクエア周辺のカフェをいくつかいっしょに回ってみないか?」という提案でした。

ジョディも、『ゴッドファーザーPART2』(1974年)でオスカーを受賞したデ・ニーロと交流を深めておきたかったので、快諾し、翌日、何箇所かカフェ巡りをすることになりました。しかし、その時のデ・ニーロはカフェでは一切何も話さずに他のテーブルの会話にひたすら聞き耳を立てていました。

そして、定期的にデ・ニーロから電話がかかってくるようになり、カフェでリハーサルをするようになりました。やがて、ジョディは同じリハーサルの繰り返しに、心底退屈に感じたのでした。

いよいよカフェシーンの撮影の日がやってきました。それでなくても話の長いマーティン・スコセッシ監督とデ・ニーロが現場で延々と打ち合わせをはじめ、ジョディはうんざりしてしまいます。そして、ようやく撮影がはじまった時、デ・ニーロは全く違うアドリブ芝居をジョディにぶつけてきたのでした。

「13才の私が知らなかった、キャラクターを作成することが何であるかを本当に理解させてくれました。そしてこの仕事はもしかしたらすごい可能性に満ちていると考えるようになったのでした。デ・ニーロとの出会いが、間違いなく私の人生を変えたのでした。」とジョディ・フォスターは回想しています。

メモ書きで埋め尽くされているデ・ニーロの台本。

彼女にとって、演じると言うことが、ただ台本に書かれていること以上に、自分がその主人公に生命を吹き込む事だと理解したのです。そして、その時にメモ書きで埋め尽くされているデ・ニーロの台本が、目に飛び込んできました。「この人は、人生をこの仕事に賭けているのだ」と感じ、彼を尊敬するようになったのでした。

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監督に演技指導する男=ロバート・デ・ニーロ

「あの部屋の灯りが見えるか?あそこで黒人と浮気している女房を殺してやる」と嘯く乗客を、マーティン・スコセッシ自身が演じました。

マーティン・スコセッシとデ・ニーロ。

ロバート・デ・ニーロの撮影に対する姿勢を示す逸話として有名なのが、撮影も最後の週に差し掛かったとき、ある役者が怪我で出演できなくなり、監督(マーティン・スコセッシ)自身がそのシーンを演じることになった時に、デ・ニーロが監督に逆に演技指導した話です。以下、監督自身の回想です。

あのシーンではロバートから演技をじっくり教わったよ。僕の台詞に〝メーターを倒せ〟というのがあるんだが、何度言っても〝それじゃだめだ。本気で俺に倒させてみろ〟と言うんだ。僕が本気で台詞を言ってると納得できるまで彼はメーターを倒さなかった。僕にとって演じるのがこれほど怖ろしいシーンはなかったよ。

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アイリスのファッション5

ストリートガール・ルックPart3
  • ピンクの半袖クロップシャツ
  • 白のショートパンツ
  • 2列に鋲がついた白のレザーベルト
  • 赤のスエードのウェッジヒール
  • スリーハートのネックレス

トラヴィスの妄想とも言われているラストシーンです。

笑顔になると、少女の愛らしさが蘇ります。

そして、じっと澄まし顔で見つめると、妖艶なファム・ファタールとなります。

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似たような衣装を着て写真を撮っても・・・

ジョディ・フォスターとロバート・デ・ニーロ。

ジョディ・フォスターとロバート・デ・ニーロ。

「ハーパーズバザー」2011年11月号。14才のクロエ・グレース・モレッツと、47才のキアーヌ・リーブス。

クロエ・グレース・モレッツ

どれほど魅力的な俳優たちが、似たような衣装を着てある映画のワンシーンを再現した写真を撮ってもそこには何も生まれない。実際に映画の中で表現している二人を切り取っている写真(JFとRDN)だからこそ、人を惹きつける化学反応が生み出されるのです。

映画の中のファッションを理解するために大切なこと。それは、写真だけではなく、まず映画自体を、ゆっくりと集中して見なければならないということです。

例えば、『タクシー・ドライバー』を見た後に、この「ハーパーズバザー」の写真を見たならば、ファッションに対する面白い解釈(全てのアイテムが絶妙に違う)が見えてくるでしょう。すべてはその作品に対する愛着から、細部への集中力は生み出されてゆくのです。

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かくしてアイリス・ルックは永遠となった

ジョディ・フォスターとロバート・デ・ニーロ。カンヌ国際映画祭にて、1976年。

マーティン・スコセッシ監督、ジョディ・フォスター、ロバート・デ・ニーロ。カンヌ国際映画祭にて、1976年。

ジョディ・フォスター、ロバート・デ・ニーロ、ハーヴェイ・カイテル(短髪です)。

1976年、カンヌ国際映画祭のレッドカーペットにて。そして、パルム・ドール(最高賞)を受賞しました。

カンヌ国際映画祭の写真を見てびっくりするのは、二人の主役の姿が、びっくりするほど洗練されていないということです。逆に言うとこの二人の姿があるからこそ、トラヴィスとアイリスは〝不滅のファッション・アイコン〟なのです。

作品データ

作品名:タクシー・ドライバー Taxi Driver (1976)
監督:マーティン・スコセッシ
衣装:ルース・モーリー
出演者:ロバート・デ・ニーロ/ジョディ・フォスター/シビル・シェパード/ハーヴェイ・カイテル