【インダルト パリ】香水業界での、正しい革命の起こし方
2024年、香水販売の仕事をしている二人の女性は、資金がそれほどない状態で、ミラノに飛び、新しい香水を日本に持ってくるという途方もない「夢」の実現に立ち向かっていた。
今年10月16日から21日にかけて伊勢丹新宿店で開催されたサロンドパルファン。今年で12回目となる、日本最大の香りの祭典において、ひとつの〝奇跡〟が話題になりました。
それは元々伊勢丹新宿でいち香水販売員として働いていた二人の女性が、世界的なニッチ・フレグランス・ブランドの日本販売総代理店として、凱旋出店したことでした。かつて2018年に米倉さんが一人でル シヤージュ 京都をオープンし、2019年のサロンドパルファンで初出店を果たした時のように、今、香水業界で頑張っている人々に希望を与える〝新しい奇跡〟が起こったのでした。
このブランドの名を「インダルト パリ」と申します。(私も知らなかったのですが)このブランドの創業者のひとりは、現ディオールの二代目調香師フランシス・クルジャンでした。彼がメゾン フランシス クルジャンを、2009年に創業する前にこのプロジェクトに参加していたのでした。
この時に発売されたいくつかの香り(特に「ティオタ」)は、SNS上で欧米の香水愛好家を通じてバズっています。この日本に一度たりとも上陸したことのないブランドが初上陸を果たしたのでした。
2006年と言えば、1995年に「ル マル」で衝撃的なデビューを果たしたクルジャンが、約10年間のスランプを経て、マリー・アントワネットの香水で、復活を果たし、その勢いに乗り、飛躍していく時期でした。
クルジャンの創作意欲がひとつのピークに達してたこの時期に生み出した〝幻の香り〟を、ディオールの二代目調香師として、香水にさほど興味のない人々に対しても知名度を高めている絶妙なタイミングで、日本に初上陸させた、日本販売代理店となった御二人に対して強い興味が湧きました。
香り自体について、調べれば調べるほど素晴らしいことは分かりました。しかし、何よりもそれ以上に、何年も、伊勢丹新宿のフレグランスコーナーで、チーフでも何のタイトルがある訳でもなく、ヒラの香水販売員をしていた御二人が、こんな〝奇跡〟をどのように起こしたかが気になりました。
この記事の切り口は、現役で香水販売に従事する人や香水販売員に興味を持っている人、香水が好きで好きでたまらない人が、これからはもっともっと香水業界で革命を起こしていけるという事について知って頂きたいということです。尚、インダルト パリの素晴らしさについて、詳しくは『インダルト パリ香水聖典』をお読み頂ければ幸いです。
以下のインタビューは、カイエデモードの最高責任者が、インダルト パリの日本販売正規代理店のアトリエ センソと芳恩舎において、マネジメント及び接客を行っておられる共同経営者の西條さんに、独占インタビューさせて頂きました。
私が一番知りたかったこと。それは如何にしていち香水販売員が、このような下剋上をおこすことが出来たのかということです。
ちなみに西條さんとは、2022年夏に彼女が新宿伊勢丹のフレグランスコーナーでブルーベルのラウンダー(一ヶ所ではなく色々なブルーベルのカウンターで接客する販売員。説明する商品が多岐に渡るため、より高度な香水知識が求められる)として活躍しておられた時に、同僚の方からご紹介頂き、知り合うようになりました。
いち香水販売員が、突然ミラノに行く!
――― インダルト パリは、2024年10月16日に、サロンドパルファンから日本初上陸したのですが、名古屋、京都を経て、12月5日の仙台まで行われた反響はどうでしたか?
伊勢丹新宿から、びっくりするほど反響が良かったです。サロンドパルファン開催前から、すでに伊勢丹新宿に問い合わせが殺到していたので、ほっと胸を撫でおろしました。本当に、販売代理店になってから、ずっと上手くいくだろうか?ブースにお客様が来て下さるだろうか?ということばかり心配していたので、お客様に感謝しかないです。
――― それは本当に良かったです…
(私の言葉を遮るように)カイエデモードさんのエックスのポストの影響はかなり大きかったと思います。お客様が情報を得るツールが変わってきていることを強く感じています。こと香水においては、本当に良いものが、お客様の心にストレートに飛び込んでいく時代になったと思います。
――― ありがとうございます。ちなみに、私がまず最初にびっくりしたのは、今年の5月くらいに渋谷のカフェでお会いした時に「海外のニッチ・フレグランス・ブランドの日本販売総代理店になる予定で、今年のサロパから始動する予定なのです」とお聞きした時でした。都内でも絶大なる人気を誇る香水販売員であるとはいえ、いち香水販売員である西條さんが、誰もやったことのないことをするなと仰天しました。
確か、私がミラノ行きを決めた時(今年1月)に、ミラノで合流出来ますか?とご連絡差し上げたのですが、その時は本気だと思っていなかったんじゃないですか?(笑)
――― すみません。雲を掴むような話なので、本気だと思っていませんでした。
私が、このインタビューの話を聞いて、興味を持ったのは、ラインの中に書いてあったインタビューのコンセプトが「インダルト パリについてではなく、いち香水販売員の『正しい革命の起こし方』について教えてください」という一文でした。
革命という大それたことではないにせよ、いち香水販売員であっても、もっともっと日本の香水文化を豊かにしていくために色々な活動が出来るという事を、カイエデモードさんを通じて、私の一経験であったとしてもお伝えして頂ければ、香水業界が活性化するかなと思っています。
――― では実際、どのようにしてフランシス・クルジャンの幻のブランドと言われていた「インダルト パリ」と出会ったかを教えて頂けますか?ミラノの エッシェンス(ヨーロッパ最大級のニッチ・フレグランスの見本市)に行く前から、目を付けていたのでしょうか?
いいえ。共同経営者となる原さんと、なんとなくミラノのエッシェンス(今年3月6日から9日にかけて開催)で日本で代理店になれるブランドがないか見に行きましょうと意気投合し、そして勢いで行っただけです。
――― 勢いで行くにしても、 エッシェンスなどの情報収集はどのようにして行ったのですか?
私はブルーベルでラウンダーとして働いている時に、伊勢丹新宿のフレグランスコーナーで、原さんと出会いました。さらに、EDIT(h)さんの販売棚でオーナーの葛和さん、メンズ館のサロンドパルファンなどでART EAUの白石さんと知己を得るようになり、エッシェンスという世界中のニッチ・フレグランス・ブランドの香水の見本市についてや、ブランドの日本総代理店になる流れについて詳しく聞くことが出来ました。
――― EDIT(h)さんは、ほぼ毎年エッシェンスに出店されていますよね。そして白石さんも毎年エッセンツァでディストリビューターになるブランドを品定めしに行かれてますよね。ではその会話の中で、インダルト パリやいくつかのブランドに目星をつけ、渡航前からリサーチしたということですね?
いいえ、実は、私たちは全く何もリサーチせずに今年ミラノに飛んだのです。
インダルト パリとの出会いについて
――― え!なんと大胆な!
そしてエッシェンス初日にEDIT(h)の葛和さんのブースにご挨拶しに行ったときに、その隣のブースがやたら商売っ気がなくて、三人の男性が談笑している、その温かい空気感がとても気になったのです。
他のブースは基本的にディストリビューターを見つけるために賑やかなのですが、ここだけは誰も足を止めていない。でも、三人はそんなことを一切気にせず、和やかに談笑してるんです。
――― そのブースこそ、インダルト パリのブースだったのですね。
はい。そうなんです。オーナーのキム・チャールズとその二人の息子さんたちでした。ちなみに後で知ることになるのですが、キムはかつてフランス貴族の娘と結婚していて、その間に生まれたのが、二人の息子さんでした。私たちはふらりとそのブースを覗いて、ひとつの香りを香ってみました。この香りがエッシェンスで最初に嗅いだ香りでした。その瞬間、もうこの香りに夢中になりました。それが「マナカラ」でした。
一方で、原さんは「イスバラヤ」に感動されました。すると、私たちの反応を微笑みながら見ていたキムが、この香りを作ったのはフランシス・クルジャンだよと冗談のような口調で言いました。
――― カイエデモードで昔、フランシス・クルジャンについて徹底的に調べたことがあるのですが、インダルト パリについては、私もまったく知りませんでした。ご存知でしたか?
私はブルーベル時代からメゾン フランシス クルジャンをご案内することも多かったですし、「バカラ ルージュ540」が三本目に突入しているほど愛用しているほど、クルジャンの香りが好きなのですが、全く知らなかったし、そんな話聞いたこともなかったので、冗談かなと思いました。で、さくっとスマホで調べてみると、本当だったので、びっくりしました。
――― そして日本の総代理店になろう!と決意したのですか?
その時、息子さんの一人と「バカラ ルージュ540」や、クエンティン・ビスクの話ですっかり意気投合し、時間を忘れてお話しするようになりました。
ですが四日間、原さんとじっくりとすべてのブースを廻って決めることにしました。それ程、沢山のブランドが出展しており、活気があるイベントなので、すぐには決めることはしませんでした。この時、EDIT(h)の葛和さんにはほんとうに感謝しきれない程お世話になりました。
――― ここで白石さんともお会いしたのですよね?
はい。白石さんだけでなくル シヤージュ京都の米倉さんともお会いしました。実は私は京都に三年住んでいたことがあり、その時に、米倉さんのお店に伺ったことがあるんです。この時、米倉さんと会わなかったら、私は今、ミラノにいないなと考えたものです。
――― なるほど!つまり、御二人は、全くディストリビューターとしての経験がない状態でミラノに行き、葛和さん、白石さん、米倉さんという先輩のアドバイスにより、インダルト パリの日本総代理店になることが出来たのでしょうか?
私が一番興味深く感じている部分が、香水を販売する側だった人が、どのようなステップを経て、香水の販売代理店になることになったのか?ということです。いち香水販売員が、海外のフレグランス・ブランドの販売代理店になることは、日本の香水産業の歴史上初めてですし、私は現役で香水販売員として頑張っている方々にとって、すごく希望のある話だと思うんです。
私たちにとって、三人の方々は、雲の上の存在であり、偉大なる先輩です。そのような先生とも言える存在がいるということは私達にとってとても心強いことでした。この人間関係がなければ、ミラノに行く勇気は生まれなかったと思います。さらに私たちの運が良かったのは、インダルト パリのオーナーであるキム・チャールズの人柄の良さでした。
私たちは彼に四日目に「日本でこのブランドの取り扱いをしたいのだけどどうすれば良いでしょうか?」とストレートに尋ねました。その時、私たちが初心者であることもはっきりとお伝えしました。であるにも関わらず彼はすごく丁寧に一からどうすれば良いかを教えてくれたのでした。普通だったら、門前払いですよね。
――― それは驚きですね。ちなみにインダルト パリのブースは、ずっと賑わってない感じだったのですか?
だんだんとクルジャンが調香していることを知った人々が殺到するようになり、初日の以外はとても賑わっていましたよ。
どのようにして人は、香水と深く関わる人生を望むようになるのか?
――― そんな忙しい中、キムさんは丁寧に色々教えてくれたのですね。それにしても西條さんの行動力に感心しております。香水販売員をされる前から、香水に関わる仕事をしておられたのですか?
いいえ。私はずっと研究員をしていました。京都の三条にある島津テクノリサーチで働いていました。その時に、ル シアージュ京都と出会い、米倉さんの接客を受ける中で、色々相談に乗ってもらうようになりました。
――― どのような相談をされたのですか?
調香師になりたいのですが、どうしたら調香師になれるのでしょうか?という相談をしました。私の地元は仙台なのですが、小学校5年の時、香りを作る体験イベントなるものを経験して、それから香水が大好きになりました。そして、高校二年の時、家族旅行でグラースに行ったことが、決定的な事となりました。
――― 小学校5年で香水に目覚め、高校二年でグラースに行く人なんてなかなかいませんよ!ちなみに一番最初に手にした自分のためのフレグランスは何ですか?
アザロの「クローム」(1996)です。それは、お父さんが海外出張が多い仕事で、お土産で最初に買ってくれた香水でした。以後、定期的に香水のお土産を貰えることが喜びになりました。そして高校時代には、将来、香水に関わる仕事をしたいと家族に言っていたので、家族旅行はパリ、ニースそしてグラースの旅行になったんだと思います。
――― グラースでは何をされたのですか?
ガリマールの調香体験をしました。私にとってこの経験は、衝撃でした。そして将来は調香師に絶対なりたいと決意しました。それからは調香師になるために何が必要かと考えるようになりました。
高校卒業した後、まずは語学が必要だと思い、カナダにワーキングホリデーに行くことになりました。カナダでよく愛用していた香水は「ジャドール」でした。
――― カナダにワーキングホリデーされたという事は、フランス語圏でもあるモントリオールで生活されたのですか?
いいえ、まずは英語を勉強したかったので、トロントに行きました。1年半の海外生活を終えた後、ひょんなことから東北大学の研究員の助手として働くようになりました。そしてガスクロマトグラフィーを専門的に使用することになりました。
――― え!ガスクロマトグラフィーとは、香気成分の分析を専門的にされていたという事ですか?
実はそうではなくて、医薬品の分析をしていました。つまり香水とは全く関係ない仕事でした。そこで5年間勤めた後、京都の三条にある島津テクノリサーチで働くことになりました。3年勤めました。
――― 調香師になりたいという夢を捨てて、8年間、研究員として働いている間、フレグランスを使ったりはしていたのですか?
いいえ、仕事柄、フレグランスは使えない環境でしたので、休日に「ロー ドゥ イッセイ プールオム」をなんとなく使っていました。私は京都時代は、どちらかというと、人生に色々迷いを感じていた時期だったんです。早く仙台に帰りたいとばかり思っていました。
――― そして、そんな時にル シヤージュ京都さんで米倉さんに出会うことになったのでしょうか?
いいえ、実は京都に出てから、仙台に帰りたいという気持ちが高まるにつれて、香水に対する情熱が戻ってくるようになりました。そして、何の気なしに当時大阪のグランフロントにあったNOSE SHOPさんに伺いました。そこで沢山の香水ボトルを見た瞬間、忘れていた香水愛が呼び覚まされていったのでした。
その時の男性スタッフの方と話が弾み、彼に「京都に住んでいて、香水が好きな方でしたらル シヤージュ京都という香水専門店があるので是非行ってみてください」と言われたことがきっかけでした。
――― すごいですね!もしかしてそのNOSE SHOPの男性の方って…
(私が言いかけるのを遮って)そうですル シヤージュ京都で働くことになられた方です。この方に教えられて私は東山のお店を訪問し、米倉さんにお会いし、香水愛は完全に蘇ったのでした。そして本気で調香師になろうと色々調べるようになりました。
二回目にお店を訪問したある日、米倉さんに「調香師になりたいのですが、どうすればなれるでしょうか?」とお聞きしたところ、本当に色々と教えてもらいました。そしてグラースにある2週間の調香師トレーニングコースの存在を知り、行くことにしました。
――― 行動が早いですね!
私はとりあえず何でもすぐにやる人なんです。
――― それはいつ頃のことですか?
2021年夏のことでした。パンデミックの最中でしたが、ダメならダメで運命だ!と思っていたら、何度も飛行機が飛ばない可能性もあったのですがグラースに辿り着くことが出来ました。そして、このコースを受けたことにより、調香師になるのではなく、まずは香水に関わる仕事をちゃんとしてみたいという気持ちになりました。
香水販売員からキャリアアップする人の考え方
――― そして帰国後、ブルーベルで働くことになったのですか?
はい、そうです。何件かサノマさんなど国産ブランドで働く面接も受けたのですが、香水販売の経験がないので、全く上手くいきませんでした。そしてブルーベルもフルタイムで入れる人以外は駄目だと言われたのですが、ドルチェ&ガッバーナのポップアップイベントに派遣で入ることが出来ました。
――― 私が知る限り、西條さんは、都内のブルーベルの香水販売員の中でも三本の指に入るほどファンの多い方だと思うのですが、最初からお客様の評判は良かったのですか?
私はブルーベルで働くまで、ル シヤージュ京都さんに置いてあるようなニッチ・フレグランスが好きだったのですが、ドルチェ&ガッバーナからはじめて香水販売を行うようになり、ファッション・フレグランスの魅力をお客様に伝える楽しさも分かるようになりました。
特にポップアップ・イベントを担当されるマネージャーの方が1000本以上香水を集めておられる香水愛の強い方でこの方とトレーナーの方にはとてもお世話になりました。
会社のトレーニングに、自分なりに米倉さんのような接客スタイルを取り入っていきました。つまり、私の香水接客スタイルは、時間をかけてひとりひとりのお客様と向き合うスタイルなのです。するとポップアップ・イベントであるにも関わらず、お客様から感謝の手紙を百貨店を通じて頂くようになりました。そして当時、伊勢丹新宿に出来たファッション・フレグランス・コーナー(今のルラボ辺り)で働くことになりました。
やがてラウンダーとして、伊勢丹新宿のフレグランス・コーナーを中心に働く中で、フォルテで働かれていた原さんと出会うことになり、会って2,3回くらいで、一緒に香水の代理店をしよう!と意気投合したのでした。
――― 私は、西條さんの香水接客は、都内でも超一級だと感じているのですが、少し詳しくその香水接客の秘訣について教えて頂けますか?
はい。私はとにかくお客様の話を聞くタイプだと思います。お客様の人生に寄り添う香りを、私が見つけるのではなく、一緒に見つけたい!そして、一緒に見つかる瞬間にお客様と一体感を感じる瞬間に至福の喜びを感じるのです。会った時は、全く他人だったお客様の目がランランと輝いていく瞬間を見ることが出来る仕事はそんなにたくさんないと思います。
常連さんとの接客においては、香水とは全く関係のない人生相談に乗ることも良くあるのです。若い学生さんの進路相談に乗ったりもしました。そんな接客姿勢の為、伊勢丹新宿時代にチーフから、もっと接客は短くと注意されたこともありましたが、私の売り上げはかなり良かったので、スタイルを変えるつもりはありませんでした。
私にとって、香水販売の仕事とは、あらゆる販売の仕事の中でも、最も心と心の結びつき愛が求められる仕事だと考えているのです。これは米倉さんの影響が強いと思います。
――― なるほど、実はルシヤージュさんのポップアップを東京で手伝われている青年販売員さんは、西條さんの接客を受けて、香水販売をする側になったと本人から聞いたのですが、そういった結びつきが香水業界に良い流れを生み出しているのですね。
私自身も米倉さんの影響を受けて、香水販売員になったので、私を見て、香水販売員になろう!と考えて下さる方がいることはとても嬉しいです。そしてそんな米倉さんと出会えたからこそ、私もディストリビューターになりたい!と思えたのです。
――― いち香水販売員にすぎなかった西條さんがどのようにして、フランシス・クルジャンがはじめて創業したニッチ・フレグランス・ブランドのディストリビューターになったのかというお話をお聞きし、この話こそが、今、低賃金に喘いでいる香水販売員に向けて、読んでもらいたい内容だと感じました。
ありがとうございます。香水業界のキャリアアップで最も重要なことは、何よりも人との出会いだと思います。私にとって、ルシヤージュの米倉さんとの出会い、そして葛和さん、白石さん、さらに原さんとの出会いはとても大きなことでした。
ひとつだけアドバイスするなら、自分が働いている会社だけでなく、香水産業の中で働く人は、足を引っ張り合う事、排他的になる事は全く必要のない事で、一丸となる事が大切です。手を取り合って、サポートし合って、そこから派生するムーブメントは、〝香水を纏う楽しさ〟をもっと多くの方に知ってもらう事に繋がると思います。そして、日本の香水文化が豊かになると、もっと多くの魅力的なフレグランス・ブランドが日本上陸することになると思います。
最後に、私にとってカイエデモードさんは、販売員としての表現の勉強や、聖地ガイドから見る業界の生々しいレポート、調香師やブランド、ひとつひとつの香水への愛の大切さを教えて下さるバイブルのようなものです。日本で香水販売員をしている方で、感謝の気持ちを感じていない方はいないと思います。
――― 恐縮です。私は、ルシヤージュの米倉さんが、日本の香水業界において『香水接客革命』を起こしたように、西條さんと原さんが、いち香水販売員が『下剋上』を起こせるという現実を、香水業界で働くみんなに教えて下さったと思います。さあ2025年は、日本の香水戦国時代のはじまりだと思います。
インダルト パリについて(基本情報)
2009年に「メゾン フランシス クルジャン」を創業する3年前にあたる2006年4月9日に、フランシス・クルジャンが、ジュリアン・マセリと共にインダルト パリを設立しました(2007年1月より香水販売は開始された)。
ブランド名はラテン語の〝Indultum=恩恵〟に由来し、フランス国王またはローマ法王が高貴な個人に与える特権を意味します。それぞれ999本限定の生産数の3種類の香りからはじまりました。
2010年すっかり衰退しつつあったこのブランドをクルジャンから譲り受けたキム・チャールズにより、2013年、ブランドは復活し、2024年10月〝天国にいちばん近い純粋なバニラの香り〟と世界中で今もSNSで話題になり続けている香り「ティオタ」と共に、日本に初上陸を果たしたのでした。
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