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伊勢丹新宿フレグランスコーナー(ÉDIT(h) エディット)【全国フレグランス×香水聖地ガイド2023】

東京
©ÉDIT(h) エディット
東京
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伊勢丹新宿フレグランスコーナー(ÉDIT(h) エディット)

場所 東京・伊勢丹新宿
住所 東京都新宿区新宿3丁目14-1 フレグランスコーナ 本館 1F
電話 03-3341-0364

2018年に、世界に通用する日本のフレグランス・ブランドとして始動した「ÉDIT(h) エディット」は、1905年に東京、駿河台で創業した朱肉ブランド、日光印により立ち上げられました。新宿伊勢丹フレグランスコーナーにある常設コーナーの専属販売員の方々が皆様〝フレグランス愛〟に満ちておられ素晴らしいです。
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世界に向けて日本の香水文化を発信していく存在。

©ÉDIT(h) エディット

©ÉDIT(h) エディット

日本のフレグランス・ブランドとして、世界に向けて通用しうるブランドはそう多くはありません。

代表的なブランド名をあげるとするならば、パルファン サトリKITOWAKOHSHIサノマリベルタ パフュームが筆頭に挙げられます。あと、もしルシヤージュ 京都の米倉さんが、フレグランスをプロデュースしたら、日本の香水文化を一転させる素晴らしい事件になるだろうと思います。

そして、忘れてはならないのが、実際に2022年にイタリア・ミラノで開催された「Esxence 2022」に出展された「ÉDIT(h) エディット」です。100年以上の歴史を誇る朱肉メーカーの老舗だからこそ実現しうる、フレグランスと捺印の持つ偶然の親和性=フランス文化と日本文化の奇跡の融合を実現した唯一無二のフレグランスとして、僅か5年で、ハイセンスな若者と大人から絶大なる支持を受けています。

「ÉDIT(h) エディット」の素晴らしいところは、フレグランス、キャンドルなどのアイテムの素晴らしさだけでなく、それをご案内する販売員の素晴らしさによる部分も大きいのです。いつも感じるのは、「ÉDIT(h) エディット」の販売員の方々は、〝只者ではない表現力の豊かさ〟をお持ちなのです。

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ブルーベルに〝希望の星〟現る。

©ÉDIT(h) エディット

伊勢丹新宿フレグランスコーナーの奥まった四つ角の陳列棚にキャロンやフローリスなどの香水と共に鎮座しているのが、「ÉDIT(h) エディット」のフレグランスの聖域となります。この売り場には、本社から派遣されている専属の販売員様が常駐しておられます。

ここで、フレグランス販売員の格についてご説明させていただきたいと思います。サロンドパルファンを例にとりますと、

  1. 社員もしくは派遣社員ではあるが、日々香水販売しているプロフェッショナル販売員
  2. フレグランス販売の経験がある人々が登録している派遣会社から日雇いで雇われているセミプロ、もしくはアマチュア販売員=業界内では「怪しい販売員」と呼ばれている方々
  3. 滅多に現場に立つことはない、トレーナーやマーケティング、営業の方々

この②の「怪しい販売員」が、今回のサロンドパルファンには多かったので、イベントとして盛り上がりに欠けるものになったと言われています(なぜなら香りのご案内はせずに、ムエットに香りをつけて配っているだけだから)。しっかりとした販売員がご案内するフレグランス・イベントであればこそ、お客様の心もお金も動くものなのです。

そんな中であっても「ÉDIT(h) エディット」には、常に素晴らしい販売員の方々がおられます。香りの表現が豊かで、香りが心に届くように心がけておられ、お客様との会話のキャッチボールを楽しんでおられる、フレグランスに対する愛が伝わってきます。

新宿伊勢丹の売り場には、不定期ではありますが、クリエイティブ・ディレクターの葛和さん自身が店頭に立たれておられることがあります。「怪しい販売員」を使わずに、お客様に自社フレグランスのストーリーをシェアする気持ちを大切に考えておられる姿勢がよく伝わります。

「ÉDIT(h) エディット」の販売員の方々の大半は、芸術家や表現者として日々活動しておられる方々が、「ÉDIT(h) エディット」の精神に賛同して、販売員=アンバサダーとしてご案内してくださっているとのこと。道理で、この売り場の販売員の方々は佇まいから違うわけです。

これは大手レコード会社にて音楽ディレクターとして活躍した経歴を持つ葛和さんの感性があればこそ、そういった人々が梁山泊のように集まるのだと思います。

フレグランスの販売とは、香料を並べて「棒読み」するのでも、「今一番売れてます」と念仏のように唱えるのでも、でありながらなぜか「かぶりません」と矛盾する言葉を放つのでもない、〝心で伝える〟ことであることを再認識させてくださる素晴らしい場所だと思います。