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グレース・ケリー10 『真昼の決闘』(3ページ)

グレース・ケリー
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作品名:真昼の決闘 High Noon(1952)
監督:フレッド・ジンネマン
衣装:ジョー・キング/アン・ペック
出演者:ゲイリー・クーパー/グレース・ケリー/リー・ヴァン・クリーフ/ロイド・ブリッジス/ケティ・フラド

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私はあの保安官の妻が登場する場面以外は、何もかも大好きでした。

当時21歳のグレース・ケリーのメジャー・デビュー作。

1951年9月5日から10月6日にかけて僅か28日間で撮影されました。

あれはすばらしい映画でした。私はあの保安官の妻が登場する場面以外は、何もかも大好きでした。

グレース・ケリー

この作品におけるグレース・ケリー(1929-1982)は、彼女自身が回想しているほどに、ひどい演技力ではありませんでした。

ゲイリー・クーパーが脚本を考慮する前に、彼のクエーカー教徒の妻はもう別のところで決まっていた。その役の予算は非常に少なかったし、役も要求のきついものではなかった。我々はただ見栄えがよく、処女のようで感情を抑えた若い女優、典型的な西部劇のヒロインを求めていた。

フレッド・ジンネマン

「彼女は役柄に立派に似合っていたが、それは多分、演技的に準備ができてなく、そのためやや緊張気味でそっけなかったためだろう」とジンネマン監督が語るように、グレースは、求められた役柄を、21歳にして見事にこなしたのでした。

この作品が、僅か10日間のリハーサルの後、28日間という短い撮影期間(ジンネマン監督は、「身の毛もよだつような製作スケジュール」と回想している)で、1シーンを僅かに1回から3回までのリテイクのみで撮影し、早撮りされたことを考えると、メジャー・デビュー一作目にして、グレース・ケリーのこの存在感は、素晴らしいとしか言いようのないものだったのです(しかも、撮影期間が少ない為、物語の進行順には撮影が行えなかった)。

この作品は、私たちに一つの明確なる真実を教えてくれます。それは、グレース・ケリーは、最初から、あのゲレース・ケリーだったんだという真実です。

そんなグレース・ケリーとはじめて会った時のジンネマンの感想が面白いです。「我々下流階級の周辺では聞いたこともないもの、すなわち白い手袋をした彼女は私の質問のほとんどにイエスかノーで答えた。私は世間話がうまくなく、会話は間もなく途切れてしまった。」まさしく、グレースは、最初から、上流社会の人だったのです。

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素晴らしいテーマ曲とリー・ヴァン・クリーフ

永遠の男性のアイコン=リー・ヴァン・クリーフのデビュー作。

『真昼の決闘』は、21世紀の女性にこそ、相応しい作品だろう。ジェンダーの垣根が低くなっている現代において、かつて男性が持っていたダンディズムを女性が吸収することは、とても重要なことです。

そして、ここに一人の魅力的な若者が登場します。この男の名をリー・ヴァン・クリーフ(1925-1989)と申します。後に40代にしてセルジオ・レオーネ監督の『夕陽のガンマン』(1965)『続・夕陽のガンマン』(1966)により、スターの仲間入りを果たします。本作においてヴァン・クリーフは、元々、ハーヴェイ・ベル保安官補役(ロイド・ブリッジスが演じた)を演じる予定でしたが、プロデューサーのスタンリー・クレイマーからアドバイスされた鼻の整形を拒否し、小さな役柄に変更されたのでした。しかし、この鷲鼻で貫き通すことによって、彼は15年後にスターの地位を勝ち取ることになるのです。

デビュー作とは思えないほどに、堂々としたヴァン・クリーフの鋭い眼光と共に、ディミトリ・ティオムキンが作詞・作曲し、テックス・リッターが歌うテーマ曲「俺を見捨てないでくれ、ダーリン」が流れます。男たちが男だった時代。こういった男の原石のような男達が、当時のハリウッドには多く存在していたからこそ、グレース・ケリーというダイヤモンドの原石が、永遠の輝きを放つことが出来たのでしょう。

現在のファッション(スタイル)・アイコンと呼ばれる女性達が、キラキラと輝いているが、イミテーションに見えるのは、本物の男たちが、現代においては少なくなったことによるのかも知れません。

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ゲイリー・クーパー、二度目のオスカー受賞。

キャリアの低迷期にあったゲイリー・クーパーは、本作で二度目のアカデミー主演男優賞を受賞し、不死鳥のように蘇ります。

主人公は30歳で設定されていた。そして、グレゴリー・ペックが主人公を演じる予定でした。

本作のクーパーは、ダンディズムに満ち溢れていました。

ゲーリー・クーパーと一緒に仕事をしていると、何もかもとても良く分かります。彼の顔を見れば、考えていることが全部顔に出ているんですもの。でも私の顔をいくら見ても、何も分かりません。もちろん、私には自分が何を考えているか分かっているけれど、それが表情に出ないのです。私は心配になって『やはり私は大スターになれないわ。結局、私は駄目なんだわ』と生まれて初めて考えました。

グレース・ケリー

この作品が公開されるまで西部劇というものは、恐れを知らぬ、つねに勝利を得るスーパーマンの古典的な神話でした。そんな定石を破って、本作では50過ぎの初老の保安官が、孤立無援の中、4人の悪漢と立ち向かわないといけない状況に追い込まれます。この物語の中には、いつの時代の実生活においても置き換えることが出来るリアリズムがありました。もし、ただ一つリアリズムがないとすれば、50代の男性が21歳の女性と結婚するということだけでした。

映画が撮影された1951年と言えば、ジョセフ・マッカーシーによる赤狩りが本格化した年です。脚本を担当したカール・フォアマン(1914-1984)自身も、撮影の途中で赤狩りにより、英国に移住することになりました。そういった当時の、アメリカの社会情勢を反映させた、どんなに不合理なものであっても条件が整っていれば、人がとっぴな概念をいとも簡単に信じるようになっていく人間心理を、西部劇を通して描いたのでした。

私にとって、これは良心に従って決定を下さなくてはならない男の話だった。彼の町ー軟弱になった民主主義のシンボルーは、住民の生活への恐るべき脅威に直面する。・・・彼の町のドアと窓は彼をしめ出し、固く閉ざされる。これはどこでも、いつでも起こり得る話である。

フレッド・ジンネマン

『拳銃王』(1950)で似たような役柄を演じていた『ローマの休日』のグレゴリー・ペックは、主人公のオファーを断りました。しかし、そのことを「人生で最も後悔している」と告白しています。ペックは、赤狩りの真っ只中にあっても、絶対に屈しなかった不屈の人でした。

この役柄は、チャールトン・ヘストン、マーロン・ブランド、カーク・ダグラス、モンゴメリー・クリフト、バート・ランカスターに断られた後、ゲイリー・クーパーのもとにやって来たのでした(当時25万ドルのギャラを得ていたクーパーは、5万ドルで出演を快諾)。そして、彼は、二度目のアカデミー主演男優賞を獲得し、不死鳥の如く蘇ることになります(そして、『昼下りの情事』でオードリー・ヘプバーンと競演することにもなります)。