フジェール ロワイヤル
原名:Fougere Royale
種類:オード・トワレ
ブランド:ウビガン
調香師:ポール・パルケ
発表年:1882年
対象性別:男性
価格:不明
天然香料とはじめてランデブーを果たした合成香料クマリンとは。
もし神がシダに香りを与えたなら、「フジェール ロワイヤル」のような香りがするだろう。
ポール・パルケ
近代香水のはじまり、いわゆる天然香料と合成香料の融合により生み出される〝香りの芸術〟のはじまりは、1880年代にフランスで生み出されました。16世紀半ばから〝香水〟が文化として定着していたフランスにおいても、この時まですべての香水はアルコールベースの香水であり、花や植物の名を冠した香りがほとんどでした。
そして、19世紀に入り、ソリフローレとフローラルブーケを抽象化した芸術的な香りが大流行したのでした。その頃、使用されていたのは完全な天然香料のみでした。それはとても手間と費用がかかるアンフルラージュ(冷浸法・温浸法)によって採られたジャスミンやチューベローズ、ローズなどの精油や樹脂によって生み出されていました。
しかし、この時期に起こる産業革命により、交通手段の発展と新しい抽出法により希少な天然香料が手に入るようになり、そこに新しい合成香料の発明、さらにガラスの工業生産による豪奢な香水瓶の普及により、香水文化は未曾有の興隆を迎えることになるのでした。
1876年には、世界初の合成香水の製造に特化した工場が設立され、最初の合成バニラ原料であるバニリンの生産により、その名声を確立しました。
さらに同じ年に合成クマリンが市場に開放されました。元々1868年にウィリアム・パーキンが、サリチルアルデヒドと無水酢酸と一緒に加熱することによってクマリンの合成(パーキン反応)に成功していました。
このトンカビーンの匂いの主成分であるクマリンが、ドイツの科学者のフリードリヒ・ヴェーラーによって、パーキン反応に改良を加えられ、1876年に市場に流通できる工業生産化への道筋が作られたのでした。
近代香水の父、ポール・パルケ
ちょうどこの頃、ヴィクトリア朝時代(1837-1901)の英国で大流行したpteridomaniaと呼ばれるシダブーム(詳しくは1910年に誕生したペンハリガンの「イングリッシュ ファーン」の記事をご参照ください)が、ヨーロッパを席巻していました。
このシダブームは、1851年のロンドン万国博覧会におけるウォーディアン・ケース(テラリウムの元祖)と、1855年に出版されたトーマス・ムーアの著書「イギリスとアイルランドのシダ」によって加速的に広がりました。
1880年にウビガン(1775年創業のマリー・アントワネットも愛したブランド)の共同経営者となったポール・パルケ(1856-1916)は、合成香料クマリンとシダブームを結びつけ、事業の拡大を目指し、史上初の合成香料による石鹸「フジェール・ロワイヤル」を誕生させたのでした。
1883年のウビガンのカタログに〝森の香り〟と記載されたこの石鹸の香水は、1882年に同時に作られていたとも、2年後の1884年に作られたとも言われています。
何よりも興味深いのは発売当時、ウビガンは、史上初めて合成香料を使用したことに触れることを避けており、画期的な製造法により生み出された、高品質なフレグランスであることが強調されていた点です。
ちなみにシャネルの「No.5」(1921)を生み出したエルネスト・ボーは、ポール・パルケのことを、〝当代きっての偉大なる調香師〟と崇拝していました。
歴史上初めて合成香料が使用された香水=『フゼア調』の誕生。
小高いその地面は木の生えた砂地で、草地と川の流れと湿地が見わたせた。ニックはザックとロッド・ケースを下ろして、平坦な場所を探した。すごく腹がすいていたが、食事をこしらえる前にテントを張りたかった。見ると、二本のバンクス松に挟まれた地面が、かなり平坦になっている。ザックから斧をとりだして、地面に張りだしている二本の根を断ち切った。これで、体を伸ばして眠れるだけの広さを確保できた。砂の地面を片手で平らにならし、付近のニオイシダの蔓を根こそぎむしりとる。両手にニオイシダの匂いがついて、いい香りがした。毛布の下がゴツゴツしているのはいやなので、掘り起こした地面を平らにならした。地面がきれいにならされたところで、三枚の毛布を敷く。一枚は二つに折って地面にじかに敷き、残りの二枚をその上に広げた。
『二つの心臓の大きな川』 アーネスト・ヘミングウエイ
〝フゼア=フジェール〟とは、フランス語で〝シダ〟の意味です。フゼア調とは、神秘的な山奥の木々の下に生息するシダの未知なる香り(=ほとんど香らない緑の香り)を連想し生み出したものです。それはフレッシュで爽やかで涼しげで、どこか森と木と土を思わせる湿ったコケのようなハーバルな香り立ちが特徴です。
「フジェール・ロワイヤル」の実際の香りは、クマリンの独特な甘さが、フレッシュなベルガモットと合わさり、閃光のように全身を駆け巡る中、ラベンダーがすべてを滑らかにしていくようにしてはじまります。
そして、オークモスが心に染み入る深みを香りに与えていく中、ゼラニウムが組み合わさり、見えない光と影が織り成す、まったく新しい幻想的なアコードに全身が満たされていくのです。
クールなハーブ(ラベンダー)と温かいオークモスのコントラストをクマリンがひとまとめにした時、フゼアノート=フゼア調が産声をあげたのでした。後に、フゼアはメンズ香水の主流となり、ラベンダーを基調にして、オークモスの渋さとクマリンなどの甘さを加えることが特徴となりました(そして、現代流行しているタバコアコードの始祖でもある)。
1889年にエメ・ゲランは、「フジェール・ロワイヤル」を進化させた「ジッキー」(ラベンダーとクマリン、ベルガモットが共通香料)を誕生させました。この中で、エメは、クマリンだけでなく、柑橘系のリナロールやバニリンなどの合成香料を組み合わせ、その効果は革命的でした。そして、この作品以降、世界中の調香師たちは、合成香料を香りの脇役として使うのではなく。メインキャストとして使用するようになったのでした。かくして近代香水の幕が切って落とされたのでした。
1960年代後半に「フジェール・ロワイヤル」は製造中止になり、2010 年にロドリゴ・フローレス・ルーにより再調香されたものが発売されました。
ちなみにフゼアは、1970年代~80年代にかけて、再び脚光を浴びることになりました。その代表的な香りが、「パコ ラバンヌ プールオム」(1973)やイヴ・サンローランの「クーロス」(1981)、ギラロッシュの「ドラッカーノワール」(1982)、イヴ・サンローランの「ジャズ」(1988)、ダビドフの「クールウォーター」(1988)、ヴァン・クリーフ&アーペルの「ツァー」(1989)でした。
もっとも貴重な「フジェール ロワイヤル」に対する感想
最後にルカ・トゥリン様の著書『香りの愉しみ、匂いの秘密』より、オスモテックで本物の「フジェール ロワイヤル」を体感したときの興味深い内容について引用していきます。
フレグランスにとってフジェール・ロワイヤルは、絵画で言えばカンディンスキーが1910年に描いた初の水彩による抽象画に相当するもの。すなわちターニング・ポイントだと言う人もいる。冗談半分のその名前(高貴なシダ)も、意図が変わったことを告げている―――言うまでもなくシダには匂いもないし、高貴なところもない。
フジェール・ロワイヤルは、何がそんなに特別だったのだろうか?それはクマリンを純粋なかたちで安く入手することによって、パルケはそれを大量に使用して、まったくちがう効果を得ることができたのである。
数々のフゼアの香りの特徴である、ごつごつと角ばって、ソーピーで、臆面もない。この系列の元祖はそのような特色をたっぷりと色濃くもっているのだろうと私は想像していた。だからなおさら驚いたのだが、実際のフジェール・ロワイヤスはブルックナーの交響曲のように、抑制のきいたピアニッシモの弦楽器からはじまり、深いやすらぎと静寂の効果をもたらした。
たしかにクマリンの匂いはしたが、同時にすがすがしく清潔で、簡潔で、ビターと言えるほどだった。それは洗い上げたバスルームの標準的な匂いで、白と黒のタイル、少し湿った清潔なタオル、ひげを剃ったばかりのパパなどをほのめかしている。しかし待てよ!ちょっとおかしな、完全に心地よいとは言えない何かがある。
シヴェットという、ジャコウネコの臀部から採れ、いかにもそのような匂いのする天然香料に感じが似ている。私はふいにわかった。これはバスルームのなかだ!この感じは大便、しかも人さまの大便、ディナーパーティに招かれた家のトイレでその空気をかいだときに受ける、かすかに不快な親密さの小さな衝撃だ。フジェール・ロワイヤルが大きな成功をおさめたのはさほど不思議ではない。これをつけている男性は、遠くにいればみんなにとってお気に入りの娘婿、近づけばちょっと動物的なのだ。
これを一瓶、自分のものにできるなら、私はなんでも引き換えにするだろう。
最後の最後にこの香りにめぐりあい瞬間で心が奪われたギ・ド・モーパッサン(1850-1893、『女の一生』『脂肪の塊』)は、「フジェール ロワイヤルは森の香り、あるいはおそらく荒地の香りを驚異的に呼び起こすもので、決して花の表現ではなく、 〝緑の肖像画〟なのです」という言葉を残しています。
香水データ
香水名:フジェール ロワイヤル
原名:Fougere Royale
種類:オード・トワレ
ブランド:ウビガン
調香師:ポール・パルケ
発表年:1882年
対象性別:男性
価格:不明
トップノート:ラベンダー、ベルガモット、クラリセージ
ミドルノート:ゼラニウム、ヘリオトロープ、カーネーション、ローズ、オーキッド
ラストノート:オークモス、トンカビーン、クマリン、バニラ、ムスク