フルール キ ムール
原名:Fleur Qui Meurt
種類:オード・パルファム
ブランド:ゲラン
調香師:ジャック・ゲラン
発表年:1901年
対象性別:女性
価格:不明
ゲラン帝国の後継者になった16歳の青年
ピエール=フランソワ・パスカル・ゲラン(1798-1864)によって、1828年に創業したゲランは、1862年に息子のエメ・ゲラン(1834-1910)が二代目を継承し、1889年に「ジッキー」を生み出しました。この香りから、香りは天然香料と合成香料の組み合わせによって、複雑な物語を語ることが出来るようになりました。
子供がいなかったエメは、ジェネラル・マネージャーとしてゲラン帝国の根幹を支えてくれていた弟ガブリエル(1841-1933)の息子ジャック・ゲランの類稀なる才能に目をつけていました。そして、1890年に、弱冠16歳にして後継者として英才教育を施すことになりました。
ジャック・ゲランは、ガブリエルとその妻クラリスの次男として1874年10月17日に、パリ近郊のコロンブにあるゲラン家の別荘で生まれました(兄ピエールと三人の姉妹がいた)。彼は一族の伝統に従い、イギリスの寄宿学校で初等教育を受け、高等教育はパリで受けました。
1890年に最初の香水「アンブル(Ambre)」を作成したジャックは、同時期、パリ大学で、シャルル・フリーデルの下で、有機化学を学びました。そして、この時期、エス・テー・デュポンのために香りつきのインクを創作しました。
1895年に晴れて三代目調香師に就任し、1897年に父ガブリエルと兄ピエールと共に、ゲラン帝国の経営権を継承されたのでした。1898年には、彼の生涯の香りのテーマのひとつとなる〝東洋に対する憧れ〟から生み出された香り「ソウカ(Tsao Ko)」を生み出しました。
この時期、ジャックは主に、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后エリーザベト(1837-1898、愛称「シシィ」)の専属調香師のような役割をつとめながら、ヨーロッパ最後の宮廷文化の空気を吸収しました。
皇后エリーザベトは、1889年に息子ルドルフ皇太子が自殺し、精神的に大打撃を受けており、死ぬまで喪服を脱ぐことはありませんでした。そんな彼女の唯一の慰めが、この青年が作る香水だったのでした(そして、エリーザベトも1898年に暗殺された)。
1900年には、ゲラン家の友人である当時の大女優サラ・ベルナール(1844-1923)のためにフローラル・レザーの香り「ヴォワラ・プークワ・ジャメ・ロジーヌ」を作りました。
この香りは、同年のパリ万博で発表され、フレグランス部門の金賞を獲得しました。
〝死にゆく花〟の香り
19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までパリが繁栄した華やかな時代ベル・エポック真っ只中の1901年、ジャック・ゲランが弱冠26歳の時に「フルール キ ムール」という〝死にゆく花〟という名の香りを創造しました。
1889年にエメ・ゲランが調香した「ユンヌ ヴェルベーヌ ス ムール(枯れゆくバーベナ)」という単なる花の香りの模倣ではない芸術的なイメージを継承した香りでした。それは〝死〟を主題にした絵画がそうであるように、〝死〟を美しく取り上げた香りです。
この香りの主役は、第二帝政とベルエポックの下で、ローズよりも、アイリスよりも、エレガントな花として勝利を収めていたヴァイオレットでした。
この貞淑なる夫人を思わせるヴァイオレットを汗まみれの下男を思わせるムスクに襲わせたのは、当時、清らかで控えめなヴァイオレットの香り=自然の美しさが主流だった時代に〝淫らな歓びに目覚めたヴァイオレット〟の新たな一面を引き出すことになりました。
さらにフランスの詩人、エミール・ブレモン(1839-1927)の詩集「Poème de Chine」(1887)の中の花の儚い美しさを讃え詩〝花の香り〟からもインスピレーションを得ています。
それは人生の終わりを称える香りを創り出すことで、香水の概念を根底から覆しました。
人生の終わりを称える、甘やかなヴァイオレットの香り
どこか1879年にエミール・ゾラが書いた小説『ナナ』の主人公であり、男達を徹底的に破滅に追い込み、最終的には若くして天然痘で顔面が崩壊して死す、高級娼婦ナナを思わせる香りです。
一つの花の命が消えてゆく、はかない美しさと悲しげな終焉という二重性を、最後のため息を伝えてくれるこの香りは、花の香りが最高潮に達し、そのあと、必然的に衰退していく最後のほろ苦い瞬間を、現実とノスタルジーが交ざり合う感覚と共に、素肌に投影してくれます。
パウダリーなヴァイオレット(合成香料で再現された)が、艶やかなムスクの風に吹かれ、花びらを紫色に色づかせながら、肉体の腐敗を連想させるコスツス・スピカツスと蜂蜜のようなモクセイソウと混じり合い、母なる大地で最盛期を迎える花の甘い鮮やかさを厳かに満ち広げていくようにしてこの香りははじまります。露に濡れた葉のようなグリーンノートが花と土に生き生きとした生命力を与えてゆきます。
すぐに満開の蒸し暑い夜の庭園を連想させる、インドールの効いたジャスミンとイランイランが、パウダリーなアイリスとひとまとめになりながら、酔わせるようにメランコリーな優雅さで包み込んでゆきます。
香ばしいアーモンドのようなヘリオトロープのほろ甘い温かみと、パチョリとベチバーのアーシィーな冷たさが大地から引き裂かれた腐った根っこをほのめかし、花々の生と死の狭間で内から秘めやかに放射するように香りを満ち広がらせてゆきます。
やがて深い森の吐息のようなオークモスと温かなアカシアにより、ヴァイオレットは最後のシプレのささやきを残していくのです。ジャック・ゲラン自身は、ディナー・パーティー向きであるとこの香りを評しています。
摘み取られ、花瓶の中で枯れていくこのヴァイオレットの香りは、1906年に彼が創造する歴史的傑作「アプレロンデ」を予感させる香りです。20世紀の半ばには廃盤になったと言われています。
最初のボトルは 「フルーリ(花の咲いた)」と呼ばれました。ボトルの首の部分は薄紫色の絹のブーケで飾られ、まるで花が咲いているような姿で市場に発表されました。
香水データ
香水名:フルール キ ムール
原名:Fleur Qui Meurt
種類:オード・パルファム
ブランド:ゲラン
調香師:ジャック・ゲラン
発表年:1901年
対象性別:女性
価格:不明
トップノート:コスツス・スピカツス、モクセイソウ、ヴァイオレット、グリーンノート
ミドルノート:ヘリオトロープ、アイリス、ジャスミン、イランイラン、パチョリ、ベチバー、ヴァイオレット
ラストノート:モス、ムスク、アカシア