笑顔が、男性の中の女性を呼び覚ます。
なぜなら、美はパイドロスよ、美のみが愛するに足るものであると同時にこの眼にはっきりと見えるものなのだ。よく聴くがいい。美こそはわれわれが感覚に受け容れる、感覚的に堪えることの出来るたった一つの精神的なものの形式なのだ。 『ベニスに死す』トーマス・マン
ヴィスコンティは、男性が笑う時に、その男性の中に眠る母親の美しさが表出すると考える人でした。だからこそ、タジオを探すオーディションにおいても、少年たちに笑顔を求めました。美少年の笑顔が大好きという彼の純粋な同性愛の感覚がなければ、タジオを真面目に描写することは出来ませんでした。
アンドロギュヌスの描写とは、その美しさに対して、どこか陳腐なものになったり、恥らってしまったりする内容になりがちです。驕慢さに満ちた少年少女ほど、醜き存在はこの世にありません。今日本のテレビのチャンネルを捻ればそれを容易に確認することができます。
対して、タジオはあまりにもまぶしいのです。だから彼は、主人公との会話を剥奪され、手の届きそうな位置にいる手に届かない存在として、主人公の若き日の思い出のような存在に終始されることになったのです。タジオが永遠にアンドロギュヌスの象徴となり得たのは、彼が、アッシェンバッハに視線を投げかけているのであり、私たちに視線を投げかけているわけではないと感じさせてくれるところにあるのです。偉大な芸術とは、その空間で完結しているもののみを指すのです。
タジオ・ルック6
- 赤×グレーのボーダーの水着
- カンカン帽子
白い天使は、ゆっくりと、黒い悪魔になるのです。
タジオのセーラー服の色がダークトーンになります。後半に進むにつれてタジオは魔性の女の如き魅力を発散させるのです。この作品において、タジオのアンドロギュヌス性を際立たせるファッションとして、セーラー服が大きなウエイトを占めています。考えるにセーラー服ほど、性差の垣根と年齢の垣根を越えて愛されてきたアイテムはありません。ここで、セーラー服について簡単にその歴史をおさらいして見ましょう。
カラーとラペルが連続して胸元がV字型となっている大きな襟に特徴があるセーラー服という服装の始まりは、19世紀まで遡ります。当時、水夫の甲板衣として誕生しました。世界で初めてセーラー服を海軍の制服として全面的に採用したのは、1857年にイギリス海軍からです(1858年フランス、62年アメリカと続く)。日本海軍も1872年にセーラー服を採用しました。
以後、セーラー服は水兵の象徴となります。セーラー服が、水兵以外に着られるようになったのは、ヴィクトリア女王が、セーラー服のデザインを気に入り、その子供服バージョンを仕立てさせ、1846年のクルージングの際に皇太子エドワードに着せたことから始まります。やがて、子供服としてイギリスで流行し、20世紀初頭にかけて世界的なものとなりました。一方、19世紀のフランスでは女性のファッションとして、セーラー服が取り入れられるようになり、アンドロギュヌス・スタイルとして、欧米で流行しました。
1929年に生み出された『ポパイ』や、1934年に生み出された『ドナルドダック』といったアニメのキャラクターも、当時のセーラー服人気を反映したものでした。一方、日本においては、1920年、平安女学院(京都)で、初めて学校制服としてセーラー服が導入されました。現在一般的に見られるような上下セパレート型のセーラー服を制服として最初に採用したのは、1921年に福岡女学院(福岡)からであるとされます。その時、初めてプリーツスカートが導入されました。
タジオ・ルック7
- ネイビーのセーラー服
- ビーチで登場した女優帽