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クラウディア・カルディナーレ

クラウディア・カルディナーレ1 『ピンクの豹』1(4ページ)

クラウディア・カルディナーレ
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作品名:ピンクの豹 The Pink Panther (1963)
監督:ブレイク・エドワーズ
衣装:イヴ・サンローラン
出演者:ピーター・セラーズ/デヴィッド・ニーヴン/クラウディア・カルディナーレ/キャプシーヌ/ロバート・ワグナー

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その女豹の名をクラウディア・カルディナーレと呼ぶ。

ケンタッキー・フライド・チキンを連想させる健康的な脚。

イタリア女の美脚の基準は、男にとって、蹴られたら痛そうなほど良い肉付きの脚らしい。

21世紀のサンローランを履く男たちよりも逞しいクラウディア様が着る20世紀のイヴ・サンローラン。

もちろんファーもピンクだ!

クラウディア・カルディナーレ(1938-)の最高傑作をひとつ挙げよと問われたならば、ピエトロ・ジェルミやルキノ・ヴィスコンティ、フェデリコ・フェリーニの作品ではなく、セルジオ・レオーネ監督が唯一女性を魅力的に描ききった作品『ウエスタン』(1968)で間違いないだろう。そんな彼女が全米進出した作品、それが、本作『ピンクの豹』(=ピンク・パンサー)でした。

鉄道労働者のイタリア人の父親と、美人で評判のフランス人の母親の間に、(当時フランスの植民地だった)チュニジアで生まれた彼女は、イタリア人の名前とは裏腹にフランス語で育てられ、18歳になるまでイタリア語を話すことが出来ませんでした。

元々教師を目指し、職業訓練学校に通っていたクラウディアの人生を変えたのが、1956年に見た、ブリジット・バルドー主演の映画『素直な悪女』でした。その瞬間、彼女はバルドーに魅了され、女優を志望するようになりました。そして、翌年、チュニジアで開かれたイタリア美人コンテストで優勝し(実際のところ、コンテストにエントリーしていなかったのですが、観客として見ていたところ、群集が「彼女のほうがきれいだぞ!」と騒ぎ出し、ステージに引き上げられ、優勝したのでした)、映画界入りを果たします。以後、フェリーニやヴィスコンティといった大監督に愛され、60年代には、ブリジット・バルドーのBB、マリリン・モンローのMMらと並ぶCCという愛称を勝ち取ることになりました。

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1964年日本公開当時、空前のCCブームだった

本作が日本公開された1964年『ブーベの恋人』『山猫』が公開され、日本列島は空前のCCブームを迎えていた。

1964年4月に来日したクラウディア・カルディナーレ。

イヴ・サンローランのアトリエで買い物を楽しむ。1962年、パリ。とにかく、笑顔が素敵なクラウディア!

1964年当時、日本列島中に『ブーベの恋人』のテーマ曲が流れていました。同年11月にザ・ピーナッツいしだあゆみがカヴァー・ソングを歌い、その主演女優だったクラウディア・カルディナーレ=CCブームが沸点に向かっていく真っ只中に、本作は公開されたのでした。

クラウディアにとって初めての全米進出作品だった本作は、もう一人の若者にとっても同じ役割を果たしていました。その若者の名をイヴ・サンローラン(1936-2008)と申します。かつて21歳にしてクリスチャン・ディオールの主任デザイナー(1957-60)をつとめた神童と呼ばれた青年が、自身の名を冠したブランドを展開していく起爆剤として、本作が果たした役割はまだまだ過小評価されています。

一般的に本作の価値は、アニメーション化されるほどの人気を得ることになるピンクパンサーというキャラクターと、ヘンリー・マンシーニによるおなじみのテーマ曲、さらにピーター・セラーズによるクルーゾー警部が誕生したという三点なのですが、ファッション史においては、クラウディア・カルディナーレとイヴ・サンローランという60年代ファッションの寵児がコラボレーションした希少価値を持っているのです。