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『尼僧物語』Vol.3|オードリー・ヘプバーンとコンゴ

オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーン女を磨くアイコン映画女優
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『殺戮の大陸』になる前夜のアフリカ大陸に舞い降りた、天使オードリー。

『尼僧物語』の撮影現場にまだ無名だったセルジオ・レオーネ(1929-1989、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『ウエスタン』)が助監督をしていました。彼はコンゴ・ロケのパートも担当していました。そして、コンゴにおける白人と黒人の人種的衝突前夜の緊張を描こうと考えていました。

この時レオーネは、コンゴ動乱の時、初代首相になったパトリス・ルムンバに会っています。当時ルムンバはスタンリーヴィルの郵便局員でした。

セルジオとの仕事はいい思い出になっているし、とても面白かった。だってセルジオは、まったく助監督向きの人間ではなかったからね。彼は一晩中踊っていて、日中はずっと寝ているんだ。

一応気を遣ってセットからずっと離れた場所でだったがね。彼の仕事を代わってくれるほかのイタリア人助監督たちがいてよかったよ。それでも彼は魅力的な男で、私は好きだったな。コンゴにとびきり上等のレストランがあったとすると、彼は必ず見つけ出してくれるんだ。

フレッド・ジンネマン

この作品が撮影されたのは、1958年でした。そして、その僅か2年後にコンゴ動乱(死者:推定10万人)が勃発し、現地在住のベルギー人が黒人の暴力に曝され、この作品のために協力した宣教師及び、尼僧も暴行され殺害されたのでした。この作品は、オードリーにとっても他の出演者にとっても忘れられないものとなりました。

本作は、1960年代にやってくるベトナム戦争と、カウンターカルチャー時代の前に響き渡る最後の澄んだ鐘の音のようなものでした。やがて、60年代から90年代に渡り、本作はただのカビの生えたオールド・ムービーとして、人々から軽んじられ、21世紀に入り、オードリー再評価の中、聖典の位置にまで再浮上した作品なのです。

ファッションという見地から見ても、この作品のオードリーは間違いなく魅力的であり、多くの「ファッションの啓示」に満ち溢れています。

血が流される前夜のアフリカ大陸で、オールホワイトの尼僧姿で、天使のように現れるオードリー。そして、そんな実在するオードリーのような尼僧達が、この作品が作られた2年後に、暴行され殺されていったという事実。生死の境で生まれるファッションの普遍性を私達は感じずにはいられないです。

コンゴの少女と交流するオードリー。この2年後、コンゴの民は、暗黒世界へと突き進んでゆきます。

オードリーは2年後に勃発したコンゴ動乱にいたく胸を痛めたと言われています。彼女が接した人々が、無残に大虐殺されたのでした。

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オードリー・ヘプバーン自身の一番のお気に入り作品。

一度目は、オランダ、そして、二度目は、コンゴ。

オードリーが、後に女優を引退し、ボランティアに身を捧げるきっかけがこの二国にあります。

私はオードリー以上に鍛錬され、優雅で、自分の仕事に献身的な人に会ったことがない。エゴはなく、余計な世話を求めず、一緒に働く人たちに対して思いやりがあった。彼女がコンゴで要求したものは僅か一つだった。それはエアコンでした。

フレッド・ジンネマン

当初、ゲーリー・クーパー(『真昼の決闘』1952年、フレッド・ジンネマン監督、ゲーリーがアカデミー主演男優賞受賞)が、原作をフレッドに送ってきたときには、その映画化について、どの映画会社も「どうやって尼僧になるかというドキュメンタリーを誰が見に来るものか」と冷たくあしらっていました。

しかし、オードリー・ヘプバーンがそれをやりたいと言い出すと、全てが変わりました。フレッドは最初、イングリッド・バーグマンを主役に映画化しようと考えていました。

しかし、バーグマンは年齢を理由に辞退し、オードリーが起用されました。本作は、オードリー自身のお気に入りの作品の一つであり、彼女の映画の中で最高の興行収入をあげた作品でした。

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シスター・ルークのファッション6

修道女ルック PART2
  • 修道女服
  • ウィンプル(頭巾)
  • 黒のヴェール
  • ロザリオ

尼僧ルックとは、顔面部以外は全て布地に包まれたスタイルです。

だからこそ、姿勢の美しさが問われるスタイルなのです。

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役作りのため24時間尼僧姿で過ごしたオードリー。

休憩姿のオードリー。彼女は役作りのため、24時間、シスター姿でいました。

多くの尼僧が一つのことに同意したように思えたことを、私は覚えている。それは彼女らが立てなければならない三つの誓いー貧困、純潔、服従ーの中で、最も守るのが難しいのは最後だということだ。

自分独自の意志から超越するのは、あらゆることの中で最も難しいことなのだ。これがシスター・ルークにとっての最大の問題であり、最後には疑問を抱かずに即座に服従することへの戦いに破れてしまう。これが彼女の尼僧として失敗した理由であり、独立した人間として生き残った理由でもある。

フレッド・ジンネマン

(シスター・ルークが修道院にいた17年間の)時代の流れを表現する問題は、尼僧の服は着ている人が歳をとっていくさまを表すのに適していないという事実によってますます複雑になってくる。彼女の肉体はほとんど露出されていない。振り返ってみると、ここが私のつまずいたところであることがわかる。結末でオードリーが尼僧の服を脱ぐ時、彼女の人生の十七年の経過が、十分にはっきりとは示されてなかった。まるで時が止まっていたようだ。頭を包む頭巾から自由になり、髪をふった時に一筋の白髪が見えるくらいではほとんど効果はなかった。

フレッド・ジンネマン

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シスター・ルークのファッション7

コンゴでの修道女ルック
  • 全身白ずくめの修道女服
  • ウィンプル(頭巾)
  • 白のヴェール
  • ロザリオ
  • ブラックレザーの帯
  • ブラウンの尼僧サンダル
あるとき、酷暑の中で撮影中に何時間も飲料水が到着するのが遅れたとき、オードリーは水が到着すると、まずエキストラの30人もの原住民に一杯ずつ水を注いであげ、自分の分はなくなってしまいました。その姿はまさに尼僧そのものでした。

胸元のロザリオがとても印象的です。

ローマの休日』のアン王女ポーズを取るオードリー。

尼僧ファッションに欠かせないアイテム。読み込まれた聖書。

そして、胸元のロザリオ。21世紀においてロザリオはモードに欠かせないアイテムとなりました。

オードリーが着ると尼僧服もイブニングドレスのように見えます。

オードリーの30代は本作と共にはじまりました。

とても珍しい髪を見せた尼僧服姿。

ワードローブ・テストの写真。

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ウィンプル姿のモード性。

精神病の女性患者に暴行され、ベールを剥ぎ取られウィンプル姿になるシスター・ルーク。

オードリーには独特な〝間〟があります。

撮影の合間に読書するオードリー。超然とした求道者の姿がそこにあります。

涼しい日でも38度はあるコンゴにおいて、オードリーは「わたしは尼僧服のおかげで汗をかかなかった。全身をすっぽり覆うあの服が熱を遮断してくれたのでした」と回想しています。

新約聖書のコリント人への手紙の中で、男性が祈祷するときは被り物をせず、女性が祈祷するときは被り物をするように記載されています。

だからこそ、尼僧は、かならずヴェールを被るのですが、そのヴェールの下につけている頭巾をウィンプルと呼びます。そして、オードリーの恐ろしいところはそのウィンプル姿でさえも、モードに昇華させるところにあります。

作品データ

作品名:尼僧物語 The Nun’s Story (1959)
監督:フレッド・ジンネマン
衣装:マージョリー・ベスト
出演者:オードリー・ヘプバーン/ピーター・フィンチ/ペギー・アシュクロフト

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