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ヘンリー・フォンダ/ジェイソン・ロバーツ1 『ウエスタン』5(2ページ)

その他の男優たち
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作品名:ウエスタン Once Upon a Time in the West (1968)
監督:セルジオ・レオーネ
衣装:カルロ・シーミ
出演者:クラウディア・カルディナーレ/チャールズ・ブロンソン/ヘンリー・フォンダ/ジェイソン・ロバーズ

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西部劇を蘇らせた男=セルジオ・レオーネ

ダスターコートを着たヘンリー・フォンダ。

アメリカの西部劇の伝統的な筋立て、道具立て、背景、そして個々の作品への言及―こういったものを使って、私なりのやり方で国民の創生の物語を作ってやろう、というのが基本アイデアだった。伝統に挑戦したかったんだ。ありふれたストーリーに昔ながらの登場人物たちを配しながら、偉大でロマンティックな大西部を消滅させようとするアメリカ史上最初の経済的大発展の中で、最後の瞬間を生きようとしていた時代のアメリカを再構築したかったんだよ。

セルジオ・レオーネ

『荒野の用心棒』(1964)、『夕陽のガンマン』(1965年)、『続・夕陽のガンマン』(1966年)の「名無し三部作」を撮り終え、三部作の主演俳優クリント・イーストウッドと共に、セルジオ・レオーネの名声は世界に轟きました。そして、レオーネは、もう西部劇ではなく20世紀はじめの物語である『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を撮影したいと考えていました。

そんな状況の中、ハリウッドが、レオーネに対して、アメリカ資本で、マカロニ・ウェスタンを撮ることを希望したのでした。一度は、チャールトン・ヘストン、カーク・ダグラス、ロック・ハドソンたちが出演する西部劇大作の監督を辞退したレオーネでしたが、豊富な予算と、ヘンリー・フォンダの出演交渉の協力を提案されたレオーネは、〝最後の西部劇〟を監督することを決意したのでした。

そして、『殺し』『革命前夜』を監督したが、全く客が入らず、どん底の状態にあった、20代のベルナルド・ベルトルッチと、ダリオ・アルジェントと共に、〝新しい西部劇のかたち〟を目指して原案を作り上げたのでした(ベルトルッチを採用した理由は、彼がレオーネに対して、「続・夕陽のガンマン」についての分析に関心させられたからでした。〝通常、西部劇の馬のショットは大抵横から撮る。美しいがありきたりな映像です。その点あなたは馬を後ろから撮りました。それはジョン・フォードを思わせ、動物の力強さと躍動感を感じさせます〟)。

レオーネは西部劇というジャンルに再び命を与えた。不幸なことに、この試みはハリウッドでは理解されなかった。レオーネを参考にしたと思われるハリウッドの監督はサム・ペキンパーだけだ。・・・この作品は流行とは無縁の場所で生まれる種類の傑作だ。そして最後の西部劇なのだ。

ジョン・ブアマン

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1968~69年=フォンダ一族の陰謀

少年殺害の問題シーン。少年の前に立ちはだかるダスターコートの5人組。

ジェーン・フォンダは、この父親を見て、自分がいつも見ている父親を見ているように感じ、感動して、ファンレターを送ったのでした。

演出するレオーネとヘンリー・フォンダ。

ストラップの付いた印象的なシャツ。

ここでしかダスターコートを着ないヘンリー・フォンダ。

フランク・ルック1 ダスターコート
  • 黒のテンガロンハット
  • ブラウンのダスターコート、襟にファー
  • グレーシャツ、お腹の辺りにストラップ付き
  • ブラック・ジャケット
  • チャコールグレーパンツ
  • ブラック・レザーベルト
  • ブラックブーツ

極悪人であるフランク役には、意外な俳優を起用したかったんだ。フランクは政治的野心を持った無法者だ。まったく卑しい殺し屋なんだよ。この大悪人役には、常に「善」を象徴してきた俳優が必要だったんだ。つまり、ヘンリー・フォンダが必要だったのさ。

セルジオ・レオーネ

セルジオ・レオーネは、最後に作る西部劇と決めた本作において、微笑みを浮かべる子供のように澄んだ目をした殺し屋が必要だと考えていました。そして、そんな殺し屋役に、誠実な男性役を多く演じてきたヘンリー・フォンダこそが相応しいと考えたのでした。

当初この作品の脚本を読んだヘンリー・フォンダは、「台本がお粗末で、英訳された英語は、判読不可能なほど下手な英語だった」と回想しています。しかし、友人のイーライ・ウォラック(レオーネの『続・夕陽のガンマン』で卑劣漢を演じていた)に「脚本なんか気にするな。とにかく出ろよ。きっとセルジオが好きになるぞ。すばらしい経験になるだろう」と言われ、レオーネと面会することにしました。

そして、ヘンリーはレオーネに対し、「私は古いやり方に慣れている。私はどんな出演依頼も断ることのできる立場だ。だが、いったん仕事を引き受けたら、後はすべて監督に一任する。それが私のやり方だ。この仕事を受けるかどうか決める前に、あなたの監督した映画を見せてくれ」と頼んだのでした。

次の日の早朝、ハリウッドのとある映写室で、ヘンリーはレオーネと共に、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』の三本をぶっ続けで見ました。そして、三番目の映画の半分ほどのところでヘンリーは映写室を出て感想を述べたのでした。「とても面白かった。あらゆる点で可笑しくて、楽しめた」と。この瞬間、「アメリカの正義」を体現してきたハリウッドスターが、女子供を虫けらのように殺す悪漢を演じることが決定したのでした。

ところで、この作品が公開された1968年~69年にかけて、ヘンリーの二人の子供、ジェーン・フォンダピーター・フォンダが主演した映画が、大センセーションを巻き起こしました。そして、ファッションという分野においても、この時期に公開されたフォンダ一族3人の映画は、記念碑的な役割を果たすことになったのでした。

それは『ウエスタン』のダスターコートによる、メンズ・ファッションにおけるロングコート革命。そして、ジェーン・フォンダ主演の『バーバレラ』(1968)におけるパコ・ラバンヌ革命。さらに、ピーター・フォンダ監督・主演の『イージー・ライダー』(1969)におけるレザージャケット革命(史上初めてレザージャケットにカラフルなカラーリングが施された)でした。

まさに、ファッション・シーンにおけるフォンダ一族の陰謀でした。フォンダ一族を語らずして、60年代後半のファッションを語ることは出来ません。