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クリスチャン・ディオール

【ディオール】プワゾン シリーズの全て

クリスチャン・ディオール
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プワゾン シリーズ

Poison 1977年に発売されたイヴ・サンローランの「オピウム」を凌ぐセンセーショナルな香りを創造するため「もっとも香水の名に相応しくない名をつけた香りを創ろう」という構想から生まれたのが「プワゾン」でした。

1985年9月に発売と同時に、ヨーロッパ中を席巻し、翌年には日米に上陸し、世界中は、「プワゾン」の香り一色に塗り固められたのでした。そんなディオールの一時代を築いた歴史的名香は、今でもあらゆる年齢層を中毒にする毒リンゴを栽培し続けています。

ガイコツに見えるようになっています。©DIORBEAUTY

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「プワゾン」神話のはじまり

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全てのものは毒であり、毒でないものなど存在しない。その服用量こそが毒であるか、そうでないかを決めるのだ。

パラケルスス

「1980年代において、人々は、香りよりも先に、名前に惹かれるかどうかでその香水の運命は決まるんだ!」

パルファン・クリスチャン・ディオールの社長モーリス・ロジェのこの発言から生み出されたのが、「毒」をフランス語読みにした「プワゾン」という名の香水でした。それは「もっとも香水の名に相応しくない名をつけた香りを創造しよう」という構想から始まったのでした。

1981年に社長に就任した彼にとって、果たさなければならない二つの宿願がありました。ひとつは、1977年に発売されたイヴ・サンローランの「オピウム」を凌ぐセンセーショナルな香りを創造すること。そして、もうひとつの宿願は、アメリカ市場(世界の香水販売の40%を占める)において、かつて「ミス ディオール」が巻き起こしたようなディオール旋風を再び巻き起こすことでした。

「プワゾン」前夜のディオールは、ヨーロッパにおいては、No.1かNo.2のコスメ販売のシェアを占めていたのですが、アメリカにおいてはトップ20にも入らない状況でした。そんな状況を変えるべく、モーリスは、1982年9月にディオールのフレグランス開発に取り掛かるのでした。

ポール・ヴァレリーの「香水は心の毒薬」という言葉からインスパイアされつけられたのが「プワゾン」という名前でした。

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日本のバブル景気を象徴するフレグランス

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ジャン・ギシャールエドゥアール・フレシェの調香により。1985年9月に発売された「プワゾン」は、ヨーロッパ中を席巻し、1986年のアメリカ及び日本上陸によって、世界中は、「プワゾン」の香り一色に塗り固められたのでした。

以後、プワゾンは、1994年に「優しい毒、ソフトな毒」という名の2代目プワゾン=「タンドゥル プワゾン」、1998年にジョン・ガリアーノがクリエイションに関わった「眠りを誘う毒」という名の3代目プワゾン=「ヒプノティック プワゾン」を21世紀最後の魔女、アニック・メナードにより誕生させました。

さらに2004年には、「純度100の毒薬」という名の4代目プワゾン=「ピュア プワゾン」、2007年には、シンデレラをイメージした「真夜中の毒」という名の5代目プワゾン=「ミッドナイト プワゾン」、そして、ディオールの初代調香師に就任したフランソワ・ドゥマシーが、2016年に若者をターゲットにした「毒少女」という名の6代目プワゾン=「プワゾン ガール」を発表したのでした。

この「プワゾン ガール」を最後に、プワゾンシリーズの新作はストップしています。しかし、二代目調香師フランシス・クルジャンによる「第七のプワゾン=Poison 007」誕生までそれほど待つ必要はないでしょう。

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プワゾン6姉妹

1985年


プワゾン(エドゥアール・フレシェ)

1994年


タンドゥル プワゾン(エドゥアール・フレシェ)

1998年


ヒプノティック プワゾン(アニック・メナード)

2004年


ピュア プワゾン(カルロス・ベナイム、ドミニク・ロピオン、オリヴィエ・ポルジュ)

2007年


ミッドナイト プワゾン(ジャック・キャヴァリエ、オリヴィエ・クレスプ、フランソワ・ドゥマシー)

2010年


ヒプノティック プワゾン オーセンシュアル(フランソワ・ドゥマシー)

2016年


プワゾン ガール(フランソワ・ドゥマシー)

2017年


プワゾン ガール オードゥトワレ(フランソワ・ドゥマシー)

2018年


プワゾン ガール アンエクスペクティッド(フランソワ・ドゥマシー)