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ルイーズ・ターナー 『ロストチェリー』を生み出したスター調香師

調香界のスーパースター達
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ルイーズ・ターナー

Louise Turner 『イングランドの庭園』ケント州で生まれる。年齢非公表。科学者の両親のもと、自然の豊かな環境で少女時代を過ごす。やがて、歯科医を目指しロンドンの医科大学で学んでいる休学中に、約10カ月間をクエスト・インターナショナルの市場調査部門で学生のバイトとして働いているうちに〝香りの世界〟に魅了される。

3年後にクエストの調香師見習いとなる。1991年から、グラース出身の調香師アラン・ガロッシの下で調香師としての活動を本格化し、2000年以降は、ジボダンで働くことになり、ロンドンからパリに拠点を移し今に至る。

ルイーズは、正規の調香師養成学校で教育を受けていないのですが、同僚のほとんどがイジプカ(ISIPCA)等でトレーニングを受けており、彼らから吸収し、自分のスタイルを作り上げていく。

2001年にトラサルディとヴェルサーチェのための香水から実績を積み重ね、2002年のジェニファー・ロペスの「グロウ バイジェイロー」の成功により注目されるようになる。そして2008年には、ディオールの「ミス ディオール ブルーミングブーケ」のオリジナルのレシピを作り上げ、「レイジーサンデー モーニング」(メゾン・マルジェラ)「グッドガール」(キャロライナ・ヘレラ)「ロストチェリー」(トム・フォード)により、不動の地位を獲得する。

代表作

グロウ バイジェイロー(ジェニファー・ロペス)
ミス ディオール ブルーミング ブーケ(クリスチャン・ディオール)
LOVE, クロエ(クロエ)
レイジーサンデー モーニング(メゾン・マルジェラ)
グッドガール(キャロライナ・ヘレラ)
ロストチェリー(トム・フォード)
ブランシュベット(リキッドイマジネール)
ミル エ ユヌ ローズ(ランコム)
チェリー スモーク(トム・フォード)

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女がいちばん似合う職業、それが〝調香師=香りの創造主〟

「私は女性の香りを作るのが得意だと自分では感じています」©2013 Rui Camilo

メゾン・マルジェラの「レイジーサンデー モーニング」、トム・フォードの「ロストチェリー」、キャロライナ・ヘレラの「グッドガール」という、2010年代以降に爆発的な人気を誇る香りは一人の女性調香師によって生み出されました。

優雅な物腰と、モデルのようなすらっとした長身が印象的なルイーズ・ターナーは、アイルランドのケント州に生まれました。豊かな自然に恵まれた野原を駆け抜ける少女時代を過ごし、ハニーサックルやライラック、刈り取られた草と英国庭園の香りを愛するようになりました。

やがて、ロンドンの医科大学で歯学を選択したのですが、別に歯科医になりたいわけでもないことに気づき、中退し、ケント州に戻り、大学で環境科学を学ぶことに決めました。そして、休学中の約10カ月間をアシュフォードにあるクエスト・インターナショナル(2007年にジボダンが買収した香水会社)の市場調査部門で、学生のバイトとして働きました。

この時に、ルイーズは、自分の天職を知るのでした。そして苦学の末、幾度に渡るテストと面接をクリアし、3年後にクエストの調香師見習いとなったのでした。

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『ロストチェリー』『レイジーサンデーモーニング』を作った人



彼女にとっての運命の出会いは、1991年にグラース出身の調香師アラン・ガロッシと出会ったことでした。そして彼の下で調香師としての活動を本格化させていくのでした。

やがて、オランダで1年過ごした後、1996年にパリで香水の調香に携わり、2000年にはジボダンで働くことになり、以後、ロンドンからパリに拠点を移し今に至ります。彼女自身、正規の調香師養成学校で教育を受けていないのですが、同僚のほとんどがイジプカ(ISIPCA)等でトレーニングを受けており、彼らから沢山吸収し、自分のスタイルを作り上げていったのでした。

2001年にトラサルディとヴェルサーチェのための香水からキャリアをスタートし、2002年のジェニファー・ロペスの「グロウ バイジェイロー」の成功により注目されるようになり、2008年には、ディオールの「ミス ディオール ブルーミングブーケ」のオリジナルのレシピを作り上げました。そして2013年の「レイジーサンデー モーニング」2016年の「グッドガール」2018年の「ロストチェリー」により、不動の地位を獲得することになりました。

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「Less is more」がルイーズのモットー

©David Maupile

「Less is more」がモットーのルイーズのスタイルは、自然の花々やフルーツが与える喜びや輝きを、高揚感へと昇華させていくスタイルです。それはただ美しい花の香りを生み出すのではなく、花びらに触れた時の感触や、鼻を近づけたときに花がもたらす喜びを呼び覚ます香りを生み出す能力に長けています。

ルイーズにとって、一番最初の香りの想い出は、科学者だった父親が、休日に情熱を傾けていた木細工のおが屑の香りと、その作業中にいつも吸っていたタバコの香りが織り交ざった香りです。その香りに彼女は今も魅了されています。さらにもうふたつ、幼少期に住んでいたビクトリア調の古い家の匂いと、刈りたての草やハニーサックルの匂いも彼女にとっての大切な嗅覚の記憶です。

ルイーズがリフレッシュする方法として三つ挙げている方法がとてもユニークです。ガーデニングとアウトドアは英国人らしいのですが、もうひとつは軽飛行機の操縦という、壮大な趣味をお持ちなのです。

11歳のときに叔母からもらったギ・ラロッシュの「フィジー」というフレッシュなグリーンフローラルの香りがとても好きでした。それから、当時はみんなと同じようにレブロンの「チャーリー」をつけていました。

16歳の時に初めて自分で買ったフレグランスは「オー デ ジバンシィ」で、私はこの頃からパリ生活に憧れていました。それは自然の香りがするフレッシュフローラルでした。

ルイーズ・ターナー

私にとって母の香りはとても特別で、憧憬と尊敬が混ざり合っています。ランコムの「マジーノワール」、イヴ・サンローランの「オピウム」、カルヴェンの「マグリフ」などは、プルーストのマドレーヌと同じような効果を私に与えてくれます。結局、それらは私が調香師として仕事をする上で、最初に嗅ぐことのできた有名な香水なのです。

ルイーズ・ターナー

仕事をする時はもちろん香水は一切つけません。しかし、夕方や週末に外出しているときは、自分が今取り掛かっている試作品を身につけます。私は、家族や見知らぬ人の自然なコメントを通して現実に直面するのが好きなのです。

ジェニファー・ロペスの「グロウ バイジェイロー」を制作していたとき、試作品をつけていた時の体験は今も忘れられません。ショッピングをしていたら、隙のない素敵な女性に呼び止められ、何をつけているのか尋ねられました。私は「まだ市販されていないのです」と答え、ただ「ムスキーノートです」と案内しました。彼女のコメントは私にとってとても貴重で、香りの開発に大変役に立ちました。

ルイーズ・ターナー