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【ブロンディ】第九章 涙のユニオン・シティ|デニムオンデニム

ブロンディ
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涙のユニオン・シティ

Union City Blue フォース・アルバム『恋のハートビート』より、セカンド・シングルとして、1979年11月に発売されました。ニュージャージー州ウィーケーンでハドソン川を背景に撮影されたPVは、奇妙なオレンジ色のデボラ・ハリーの衣装のセンスの悪さだけが印象に残るものだったのですが、この曲自体は、哀愁を帯びたメロディの名曲です。

概要

曲名:涙のユニオン・シティ
原名:Union City Blue
リリース:1979年
最高順位:全英13位

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燃え尽きたブロンディ

アルバム『恋のハートビート』に関するプロデューサーのマイク・チャップマンの回想が実に興味深い。

レコーディングは混迷を極めた。ドラッグは私たち7人全員を蝕んでいた。喧嘩しながら、レコーディングし、汚臭に包まれながら、何日もぶっ通しでやった。そして、アルバムのタイトルとは逆に、「音楽に食い尽くされた」のだった。アルバム完成後の私たちは、消耗しきっていた。それも達成感に包まれた消耗ではなく、ただ単に、感情を磨耗させるローラーコースターのような日々から生まれた消耗だった。こんな体験は私の今までの人生で初めてだった。ブロンディは、もしかしたらこのアルバムで既に燃え尽きていたのかもしれない。

マイク・チャップマン

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パンクロッカーに愛されたリーバイス505

1971年に発表されたローリング・ストーンズのアルバム『スティッキー・フィンガーズ』。

ジャケットの裏側。

ラモーンズのメンバー全員がリーバイス505を着用、1976年。

リーバイス505は、1967年にサンフランシスコで誕生し、そのちょっぴり細身なシルエットにより、アメリカ全土の若者の間に浸透し、リーバイスが作業着から若者のユニフォームへと移行したまさにその転換期を象徴するものとなりました(ただし、ヒッピーはベルボトムを愛用した)。

そしてニューヨークのパンクロッカー達に愛されるようになりました。1971年には、ローリング・ストーンズのアルバム『スティッキー・フィンガーズ』(全英、全米No.1)のジャケットに登場し、センセーションを巻き起こしました。

アンディ・ウォーホルが撮影したこのジャケットには、本物のジッパーが取り付けられており、実際に開くことが出来るというすごい作りでした。

そしてこの頃、パンクバンド、ラモーンズも愛用し、ステージ上で、引き裂いたりして履くようになり、505=ロックジーンズの印象を人々に植え付けることになりました。

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ブロンディ・ルック16 デニムオンデニム

実は、デボラ・ハリーのファッションにおいて忘れがちなのが、デニムをとても上手に着こなすという点です。

デボラ自身、リーバイス505(ラモーンズをはじめとするパンクロッカーに愛された)の愛用者なのですが、デニムオンデニムにおける小技の数々が今でも使えます。

  1. アクセサリーはシンプルなものだけをつける
  2. ベルトは着用しない
  3. 襟がアーチ状に綺麗に上がるものしか着用しない
  4. あくまでもタイトに。出来れば素肌の上から
  5. 袖も大きく捲くらずに、ゆるく

といったこだわりようです。一番面白いのは、フレンチカーディガンのようにデニムジャケットを逆に着たりもするところです。デニムオンデニムとは、スタイリッシュにデニムを着る「デニムの独立宣言」なのですから、特にモードにセンス良く着てあげないといけないのです。

すべての写真は、1978年に撮られたものです。

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ブロンディ・ルック17 GVジーンズ

1980年のグロリア・ヴァンダービルトのGVジーンズのCFに出演したデボラ・ハリー。

彼女が最初に結成したガール・グループの名は「スティレット」!さすがです。タイトフィットのジーンズにスティレットヒールのサンダルを見事に履きこなしています。何よりも、オレンジ色のスエットシャツとのアンサンブルが素晴らしい。

【ブロンディ伝説】デボラ・ハリーのファッション史