シンディ・ローパー略歴
- 1953年6月22日 ニューヨーク市ブルックリンで生まれる。5歳の時、両親が離婚する。
- 1970年 高校を退学し、愛犬スパークルと家出し、様々な職業を経験する。
- 1978年 ブルー・エンジェルというグループを結成し、80年にアルバム・デビューするも売れず、解散。自己破産する。
- 1983年 一枚目のソロ・デビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』を発表し、全米で600万枚、全世界で1600万枚を売り上げる。ファースト・シングル「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」が全米No.2ヒットになる。
スクールガール・シンディ
1990年7月21日に、ベルリンの壁崩壊を記念して、ドイツ・ベルリンのポツダム広場で20万人以上の観衆を集めて開催された歴史的コンサート〝ザ・ウォール・コンサート〟に参加したシンディ・ローパー。学校教育のあり方に疑問を投げかける「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」を、超劣等生として4回高校を転校したシンディがスクール・ガール・コスプレで、ピンク・フロイドの歴史的名曲をパフォーマンスします。
あまりにも”We don’t need no education”(教育なんて必要ない)という一節がハマり過ぎていて身震いするほどカッコいいです!それにしても・・・
何よりも凄いのが、終盤に登場するこの男!!!!!!!トーマス・ドルビー閣下!そこにマングースのように襲い掛かるシンディ!
シンディのウエディング・ドレス
アル・グリーンに頼んだが話がつかず、リトル・リチャードに結婚式を執り行ってもらう。「私は白のホットパンツとゴーゴーブーツをはきたかったんだけど、デヴィッドはロック・ショーにいるみたいな気分になりたくないと言った。だから真っ当にやった。友達で当時のスタイリストのローラ・ウィリスと一緒にサックスに行った。Aラインの膝まであるサテンのドレスでーとても60年代っぽいー前に刺繍がついているものを選んだ。髪はソフトなブロンドにして、長い白の手袋、顎までのAラインのベールがついた浅い縁なし帽、Aラインのリボンがついたサテンの靴。グレイシー叔母さんは私がグレース・ケリーに見えると言った。
シンディ・ローパー
ミュージカル『タイクーン』サントラ
フランスでNo.2の大ヒットを生む!
「ザ・ワールド・イズ・ストーン」 1992年6月リリース。全英15位
フランスで3ケ月間No.5ヒット圏内に留まる大ヒット(31週間トップ50位内に)となったが、アメリカではリリースされなかった。かなりモード感溢れるセンスに満ちたシンディの隠れた傑作です。イギリスのTVでライブ中継された時のシンディがとてもキュートです。
そして、1993年に発表された4枚目のアルバム『ハット・フル・オブ・スターズ』は、シンディ・ローパーがアルバム・カバーから作曲まで全てをこだわって生み出したアルバムです。それはアメリカでは112位と全く振るわなかったですが、フランスでは9位、日本では15位と安定した売り上げを上げました。
1993年のアルバム、あのアルバムを誇りに思っているし、いいレビューももらったけど、売れなかった。一枚のシングルもカットされなかったとはいえ、それでも音楽を前に進めることにはなったと思う。・・・1993年6月にリリースされたとき、私は売上げ枚数を見て、家に帰って目が腫れるほど泣いた。私にとって初めてのほんとの大失敗作だった。
シンディ・ローパー
「ザッツ・ホワット・アイ・シンク」みたいな歌では人々にじかに語りかけ、もう一度やる気を出させたいと思っていた。だってね、当時はすべてがほんとに企業っぽくなっていたんだから。どこに旅しても、どんな街も同じに見えた。どの国に行っても、コカコーラのロゴみたいにまったく同じ型にはまった街並。・・・あの頃の音楽業界の人々はビジネス絡みのことを仕掛けたり、利益や損失を検討したりするのに忙しすぎて、創造性について考える余地がほとんどなかった。
シンディ、エミー賞受賞。
シンディはヘレン・ハント主演の人気テレビ・コメディ『マッド・アバウト・ユー』(1992-1999)の第2、第3、第7シーズンに出演し、1995年の第47回エミー賞のゲスト女優賞(コメディ・シリーズ部門)を受賞しました。このドラマの中でシンディが着ていた衣装は全てドルチェ&ガッバーナから、シンディ本人のチョイスで借りたものでした。
エミー賞を受賞したとき、私は自分らしい格好をしていた。彼らみたいな格好をしなきゃいけないって気づかなかったのよーロックンロールな格好じゃなくて、私はヴィヴィアン・ウエストウッドのコルセット付きのドレスにタイトなゴールドのパンツ、ゴールドの厚底で爪先なしのハイヒールといういでたちだった。アップにした髪はいろんな濃さの混ざったブロンドとブラックだった。そうね、グラミー賞ならキュートだったはずなんだけど。
シンディ・ローパー