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シンディ・ローパー伝説7(3ページ)

シンディ・ローパー
シンディ・ローパー
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レディー・ガガとのコラボ

フォトグラファー:エレン・フオン・アンワース

MACにより、1994 年に設立された「MACエイズ基金」のために2010年にシンディ・ローパーとレディー・ガガがコラボしました。「ビバ・グラム・シンディ」(コーラルレッド)と「ビバ・グラム・ガガ」(ブルーピンク)という2本のリップスティックが2011年2月まで限定販売(税込2940円)され、売上げは全て寄付されました。

彼女(レディー・ガガ)の中にちょっとだけ私自身を見た。私が「あら、私もあなたみたいに踊ったりしちゃうのよ」と言うと、ガガは私を見つめて「シン、私、よくあなたを研究していたのよ」と言った。年上のアーティストは若いアーティストをインスパイアすると多くの人たちが言うけど、ことにキャンペーンで彼女と仕事をしたあとは、その反対もアリだと思った。ガガは私が自分をどんどん平凡にしてしまっているという事実に目覚めさせてくれた。・・・いろんな意味で過激なものが好きな似たもの同士だったから・・・


2009年、オバマ大統領は、〝マシュー・シェパードとジェームズ・バード・ジュニアヘイトクライム防止法〟成立の祝賀式典で、前夜のヒューマン。ライツ・キャンペーン・ディナーにおけるレディー・ガガのパフォーマンスを賞賛する意味を込めて、シンディに「彼女は君の動き方を全部パクっていたよ!君がオリジナルだ!」と言いました。



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シンディ・ローパー、60代にして、更なる輝き!

ヴァニティ・フェア・イタリア

2013年『キンキー・ブーツ』にて、トニー賞とグラミー賞を受賞。



「だけど私は、なんでも知っているかのように偉そうに話すただの馬鹿セレブにはなりたくなかったの」と、レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーのためのトゥルー・カラーズ・ファンドを創立しました。

フォトグラファーは最初のアルバム・ジャケットを撮影したアニー・リーボヴィッツ。2016年。


シンディ・ローパーと日本の感動的な関係については、あまりにも有名なので、記載する必要はないでしょう。ただ一言いえることは、彼女は本当に慈愛の心が強いアーティストだということです。顧みて今、日本のシンガーで本当にアーティストと呼べる人がどれだけ存在するのでしょうか?

一人で表現できない人達が、安っぽいセンセーショナルを売り物(ある者達は、若い肌の露出を売り物に集団舞踏して男性の性欲を満たすだけの存在に成り果てている)にして、他人から押し付けられた操り人形のような空っぽの学芸会を見せつけていて、そんなものにしか感動しない人々を増殖しているゾッとする現実。人間は恐ろしい生き物です。そして、そんなお涙頂戴劇の延長線上で、シンディと日本との係わり合いを語る人々・・・

シンディ・ローパーとは、ファッションの新たなる定義を生み出したシンガーであり、アーティストです。彼女の素晴らしいところは、自分の個性を大切にして、それを否定されても、落ち潰されそうになりながらも、その個性に忠実に生き続け、やがて賞賛を勝ち取ったところにあるのです。

結局のところ、ファッション・アイコンもしくはスタイル・アイコンとして崇拝されるシンガーの条件は、自分の個性から生み出されたファッションを発信できる人であり、今、ファッション誌などで取り上げられているインスタなどのSNSで、自慢げにスタイリングを発信することではないということなのです。賞賛は押し付けすぎると決して得られないものであり、日替わりランチのような一貫性のないスタイリング美女は、結局の所、上手なお絵かき程度の関心しか生み出さないわけなのです。

シンディ・ローパーは、ファッションの明確な定義を示してくれています。それは周りに共感を求めない一貫性なのです。「私は、あの頃、みんなが私のマネをしだした時に、すごく嫌な気分になりました。もっと自分らしくなくちゃ、とね・・・」そんなシンディにとって、SNSの「いいね!」なんてクソみたいなものでしょう。