作品データ
作品名:ショウほど素敵な商売はない There’s No Business Like Show Business (1954)
監督:ウォルター・ラング
衣装:ウィリアム・トラヴィーラ/チャールズ・ルメイアー/マイルズ・ホワイト
出演者:エセル・マーマン/マリリン・モンロー/ミッツィ・ゲイナー/ドナルド・オコーナー/ダン・デイリー
20世紀を代表するアンドロギュヌス。
この作品以前の私はいつも出演者の中でももっとも若い役柄で、誰かの妹や純情な少女役ばかりでした。しかし、ドナルド・オコナーの姉を演じることになって、おさげの髪を取ることが出来て、本当に嬉しかったことを覚えています。洗練されたドレスを着てナイトクラブに行ったり、結婚する役柄を楽しみました。そして、この作品以後、私の演技にも幅が生まれるようになったのです。
ミッツィ・ゲイナー
ミッツィ・ゲイナー(1931-)という女優の魅力を一文でいうならば、「野生の小動物のようにきびきびと動く肉体が若々しく中性的」な所にあります。それは本作におけるイタリアンボーイ・カットの雰囲気とマッチしており、彼女が踊る全てのシーンが、特別に洗練された空気に満ち溢れています。恐らく日本においては、全く無名な彼女の存在は、21世紀のアンドロギュヌス時代において、再評価されることになるでしょう。それでは、ミッツィ・ゲイナーというアンドロギュヌス・アイコンを紹介していきます。
ダンサーの母と、ヴァイオリニスト兼チェリスト兼音楽監督の父との間に1931年にシカゴで生まれ、11歳の時にハリウッドに引越してきます。そして、17歳の時、ミッツィは、幼少の頃から習っていたバレエを生かし、コーラス・ダンサーとしてのキャリアをスタートし、20世紀フォックスと7年契約を結びます。
やがて、本作を経て、ジーン・ケリーと共演した『魅惑の巴里』(1957)や『南太平洋』(1958)で映画スターとしての実績を残します。1959年には『お熱いのがお好き』で、当初はヒロインの予定でした。しかし、マリリン・モンローの出演が可能となり変更されました。
その後、1967年に第39回アカデミー賞授賞式において『ジョージ・ガール』のパフォーマンスを見せ、拍手喝采を浴びたのでした。この日が、ミッツィの人生最高の日だと言われています。以後、1968年から始まったテレビスペシャル「ミッツィ」で人気を博し、エンターテイナーとしての地位を不動のものにしました。
さて本作においてチャールズ・ルメイアーが、ミッツィ・ゲイナーとエセル・マーマンの衣装デザインを担当しました。
エセル・マーマンとダン・デイリーの衣裳。
オープニング早々の、ミッツィ・ゲイナーが登場する前のミュージカル・シーンのコスチュームも実に魅力的です。
ショールカラーがストロングショルダーのようになっているギンガムチェックのピンクドレスを着るエセル・マーマン(1908-1984)扮するモリー・ドナヒュー(グレーのパイピングが効いています)は、手袋もピンクのギンガムチェックで統一しており、ハイヒールパンプスもピンクです。
一方、ダン・デイリー(1915-1978)扮するテレンス・ドナヒューはピンクストライプのパンツとピンクのダブルのベスト(こちらもグレーのパイピングとバックのグレー地が効いています)に、黒のボウタイとグレーのボーラーハット。
1950年代に生み出されたミュージカルに使用されているコスチュームは、現代の視点から見ると実に新鮮な「夢のような感性」に満ち溢れています。特に、男性にピンクのストライプのパンツを履かせる発想が素晴らしいです。
そして、アカデミー衣装デザイン賞(カラー部門)にノミネートされた本作のメンズ・コスチュームを担当したマイルズ・ホワイトによるダン・デイリーのコートも視覚的な刺激に満ち溢れています。
それはグレーのフェルト帽に黒リボン、そして、オーバーサイズ気味の白と黒の格子柄のトレンチコートが、シングルでありながらドレープが効いていて、旅芸人の哀愁に満ちており格好良いです(言うなれば、アメリカ版『男はつらいよ』的なファッション)。中にはグレーの3つボタンのスーツに、ワインレッドの蝶ネクタイ、白シャツ、ブラウンのバイカラーの革靴の組み合わせです。
ハリウッドだから出来るカラフルな色の洪水
8種類のカラフルなオーガンジー・ドレスを着た妖精のような美女たちが現れます。各々のドレスの形状が微妙に違います。そして、もう一人ブラック・ドレスを着たモリーが登場します。スカートのファーと、フェザーの扇子が扇情的で、スリットから現れる黒いストッキングを履いた脚が実に艶かしいです。
こういったカラフルな色彩感覚の表現において、50年代のハリウッドのミュージカル映画の右に出るものはありません。