18.マーク・クロス
21世紀に伝承されるべきエレガンスの全てが詰まっているアルフレッド・ヒッチコック監督の名作『裏窓』で、グレース・ケリーが持っていたバッグがマーク・クロスのバッグよ。 |
南北戦争前夜の、1854年にアメリカ・ボストンでヘンリー・クロスによって、馬具のサドルやハーネス等の皮革製品の納入業者として設立された「マーク・クロス」(ヘンリーの息子マークの名を取って、そのブランド名は命名された)は、1900年に従業員のパトリック・マーフィがビジネスを引き継ぎ、ニューヨークの5番街に店舗をオープンされることによって大々的にアメリカの上流階級で知名度を高めることになったの。
そして、20世紀に入り、『華麗なるギャツビー』のような生活を送っていたその息子のジェラルドが1934年に後を引き継ぐことによって、(一時パリで生活していた)彼のハイセンスが加わり、マーク・クロスは、レザーバッグなどを作るようになり、更に洗練されたラグジュアリー・ブランドとなったのよ。
マーク・クロスは、かつてアメリカにおいて、エルメスとルイ・ヴィトン、そして、グッチがひとつになったようなブランドだった。
ニール・J・フォックス
なかでもオーバーナイトケースは、アルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(1954)においてグレース・ケリーが使用したバッグとしてブランドを代表するアイテムとして人気を博したの。そして、70年代と80年代にはアメリカ全土に23店舗を持つほどになったんだけど、1997年にマーク・クロスの歴史は一旦幕を閉じることになったの。
時は流れ、2011年に、バーグドルフ・グッドマンやニーマン・マーカスで豊富な経験をつんでいたニール・フォックスによって復活したマーク・クロスは、当初、中国の工場で、イタリアン・レザーを使用し製造された500ドルから900ドルの価格帯のバッグが中心だったんだけど、さっぱり売れず、ニールは、翌年に「ブランドの元々の姿に忠実にやっていこう」と決断し、かつてマーク・クロスのレザーグッズを製作していたイタリアの工場で製造させ、品質を向上させ、価格帯をぐっとラグジュアリーなものにしたの。そして、バーニーズ・ニューヨークと専属契約を結部ことによってブランディングに成功したのよ。こうして、軌道に乗ったマーク・クロスは、海外進出を果たすようになり(今ではアメリカ国内の売り上げは全売り上げの30%に過ぎない、一方、韓国では10%以上)、今に至るのよ。
ニール・フォックス自身はかく語りき。「私は、ブランド力を高めるために、自社のバッグをリアーナ達に無料提供したことはない。リアーナ自身がバーニーズで、2、3個自社のバッグを購入したのが真実です」と。しかし、このバーグドルフ・グッドマン上がりの凄腕の言葉を額面どおり信じるわけにはいかないだろう。(圭子・スカイウォーカー)