バルドーが世界一美しい女性と言った人。
この地球上に存在する女性の中で、最も美しい女性は、ヴィルナ・リージでしょう。
ブリジット・バルドー。全盛期だった1965年の言葉。
ティヴィアンには、とても美しい婚約者フランチェスカがいます。彼女は仕事も充実している独立した現代女性でした。一方、ティヴィアンが有名な作家となったのは、死んだ兄の小説を盗作したことによります。彼にとって、今の環境は<本来の自分に相応しくない>居心地の悪い環境でした。彼の見せ掛けの充実の本質にあるものは、創造ではありませんでした。
一方、エヴァという女性は、(昔ながらの)高級娼婦です。生まれも育ちも怪しく、発する言葉のほとんどがいかがわしい女性でした。そんな彼女にティヴィアンが惹きつけられるのも、自分自身と同じ匂いを嗅ぎ取ったからでした。ティヴィアンはエヴァが魅力的だから追うのではなく、間違いなくやってくる破滅が、エヴァだと知ったから追いかけるのです。
エヴァという人は、創造的なことは何一つせずに、どこに行っても、レコードに針を落とすだけの日々を過ごしています。一方、フランチェスカはそうではありません。彼女は生命感に溢れています。だから、傷つき自殺するのです。そんなフランチェスカを演じたのが、ヴィルナ・リージ(1937-2014)でした。1968年に『バーバレラ』の主役を演じていたかもしれない女優。そして、ずっと低迷期をすごしながら、『王妃マルゴ』(1994)にてカンヌ国際映画祭女優賞を獲得した不屈の人。美しさに甘んじずに生きた女性。
ヴィルナ・リージのファッション。
フランチェスカ・スタイル1
- ノースリーブのダークドレス
- 左肩にブローチ
- お団子アップ
フランチェスカ・スタイル2
- レインコート
- ウェイファーラー・サングラス
- ハイヒールパンプス
- レザーグローブ
フランチェスカ・スタイル3
- トレンチコート
- ショートブーツ
ピエール・カルダンを着たジャンヌ・モローのファッション以上に魅力的とも言えたのが、ヴィルナ・リージのレインコートとトレンチコート・ルックです。この着こなしはまさにタイムレスな着こなしであり、他のアイテムとのアンサンブルも実に効果的であり、特にハイヒールパンプスとショートブーツの使い分けは見事としか言いようがありません。当時20代半ばの彼女の大きな難点を挙げるとするならば、「20代の美女が、本当の魅力を手にするためには、皺の誕生を待たなければならない」ということのみです。彼女のようなクールビューティーは、映画の中では、ただその美しさだけで、厚みのない人に見えてしまうものなのです。
さて最後に、ジャンヌ・モローに再び話を戻しましょう。
全てはラスト近くでティヴィアンに夜這いをかけられる時のジャンヌ・モローの表情により逆転します。この時の表情は、圧倒的な美に包まれています。醜さと美しさの振り幅が、彼女を魅力的に見せているわけではありません。彼女の美しさが現れたのは、エヴァが意識を失い眠っていた時のみであり、それ以外は美しさではない魅力に支配されています(彼女の自室は、男たちの貢物が、まるで墓場のように飾られている)。ジャンヌ・モローの恐ろしさ、それは、現代のアンチエイジングの嗜好とは相容れない発想でしょうが、ジャンヌ・モローについて言及した川本三郎氏によるこの文章に集約されているのではないでしょうか。
つまり、ジャンヌ・モローの顔は、当時の美の基準からいえば欠点だらけだった。とくに誰もが指摘するように、口が美しくなかった。横から見ると〝口が曲がっている〟。そのために、年齢以上に〝意地悪な顔〟に見える。おそらくジャンヌ・モロー自身、自分の顔に決して自信を持っていなかったっことだろう。ルイ・マルはそれを逆手に取った。これまでの監督たちは、演技力はあっても決して美しいとはいえないジャンヌ・モローの顔の欠点を隠すために濃厚なメイクをほどこした。しかし、ルイ・マルは逆にほとんどノー・メイクの彼女をカメラでとらえた。欠点といわれていた〝曲がった口〟を強調するように撮った。その結果、思いがけない、これまでの美の基準とは違った美しさが引き出された。年下の男の視線を浴びる幸福とはこのことをいうのだろう。年上の男たちの保守的な視線とは、まったく別の新しい発見があったのである。
ルイ・マルによって、これまでマイナスと思われていた欠点を美に変えてしまった。ジャンヌ・モローはこの瞬間に生まれ変わったといっていいだろう。ブリジット・バルドーもミレーヌ・ドモンジョもこのとき彼女からは遠いところへ行ってしまった。