ジャドール
原名:J’Adore
種類:オード・パルファム
ブランド:クリスチャン・ディオール
調香師:カリス・ベッカー→フランソワ・ドゥマシー
発表年:1999年
対象性別:女性
価格:30ml/11,550円、50ml/16,720円、100ml/23,100円
公式ホームページ:ディオール
ジャドール誕生前夜のディオール
「ジャドール」は〝パーフェクト・ストーム〟でした。それはまさにすべての星がこの香水の上に完璧に揃ったということです。 ブランディングは素晴らしく、ボトルはゴージャスで、広告も際立っている。
これらすべてが、人々に香水を試したいと願望させ、香水をつけた後も、決して失望させなかったのです。このフレグランスの作り方も、今までのやり方とは全く違うものでした。そして、今では真のクラシックになったのでした。
カリス・ベッカー
ジャドールは、特別なフレグランスです。というのは際立った個性を備えながらも親しみやすい魅力を持つという挑戦を受けて立っているからです。重苦しくならずに官能的であること、それは、相容れないものを組み合わせることであり、それがアイコニックなフローラルノートから、今までにない魅力的でミステリアスなフレグランスに仕上げるのです。ジャドールは、実際には存在しない理想の花を創り出したのです。
フランソワ・ドゥマシー(ディオール公式ページより)
20世紀末、香水産業は斜陽の予兆を見せ始めていました。フランスの市場は、香水に興味を失い始め、アメリカの市場は、これ以上成長の見込みがなく、ドイツの市場は縮小傾向にありました。であるにもかかわらず、香水のための広告予算は跳ね上がる一方でした。
ディオールにとってそれは1985年の「プワゾン」が生み出した流れでもありました。ひとつの新しい香水の為に数千万ドルかかる状況の中、どのブランドの香水部門も新作に対して、満足の行く売上を上げることができませんでした。そんな中誕生した「ドルチェ ヴィータ」も大失敗を喫し、ディオールは完全にヨーロッパ以外の香水市場で衰退していました。
ディオールが世界の香水市場の王位継承争いに返り咲くためには、フランス文化を体現するフローラルと、当時アメリカ市場を席巻していたフレッシュでフルーティな香りを融合させた大胆なフレグランスの創造が急務でした。
三人の女性により生み出された「ジャドール」
男性の調香師が愛する女性のために香りを作るように、私は、女性の調香師として、自分自身のために、女性の香りを作りました。
カリス・ベッカー
(1995年から2004年にかけて)ディオールのパルファム部門のグローバル・マーケティング・ディレクター、サビーナ・ベッリが、アメリカ市場を再度席巻するために、ニューヨークを拠点とするエバリュエーターであるアン・ゴットリーブをこの新作のクリエイティブ・ディレクターに抜擢しました。彼女は過去に「ローレン」(1978)「オブセッション」(1985)「エタニティ」(1988)「シーケーワン」(1994)「トミーガール」(1996)といったアメリカの名作を生み出してきました。
私にとってこれははじめての挑戦でした。なぜなら余程のことがない限り、フランスの香水創作にアメリカ人が関わることが出来るなんて考えていなかったからです。だからこそ、アメリカ人がフランスの香水を作れることを証明したいと思いました。
アン・ゴットリーブ
アンが参加する数年前からプロジェクトは進行しており、名前、パッケージ、広告イメージは既に決定していました。そしてアンはフィルメニッヒ、ジボダン、クエスト、ハーマン&ライマーといった4つの会社に制作を依頼しました。かくして9人の調香師による9つのサンプルからこの奇跡の香りの物語は始まるのでした。
そのうちのひとつのサンプルが、「もし、ゴールドを香りにしたら、どんな香りになるのだろうか?」という思いを香りに詰め込んだクエストの女性調香師カリス・ベッカーによるものでした。
ディオール帝国ジャドール王朝のはじまり
2000年に向けて、ディオールは20世紀から21世紀へと進んでいく通過儀礼となるフレグランスを作りたがっていました。まるで洗礼、結婚式のような、ひとつのステージから別のステージへ、女性にとって、花は通過儀礼の必需品ですから、私たちはブーケをこの香りの中心に置こうと考えました。私は8ヵ月間ただこのプロジェクトだけに集中しました。
カリス・ベッカー
まず最初にカリス・ベッカーは、彼女の夫の祖母が住む、崖のそばの家があるフランス南西部のサント・バルブ・アコードを中心に香りを生み出すことにしました。このアコードは、その家の隣にある庭のイチジクの木と野生のハニーサックルが、太陽の下温められ、海風とひとまとめになる瞬間を再現したものでした。
湾の岬にちなんで付けられた一番最初にジャドールの原型としてアンに香らせたこのアコードに対する、彼女の反応は、「面白い香りね。でもイチジクはいらない」でした。ジャドールは、海風とハニーサックルの香りを背骨にしていくことにしたのでした。かくしてイチジクを抜き再調整したアコードを、カリスはダイアナ元妃にちなみ〝ダイアナ95〟というコードネームを付けたのでした。
私はフランドルの静物画のような手法でこの香りを生み出していこうと考えた。花束を描くために、画家はそれぞれの花々を別々に徹底的に研究し、一輪一輪を丹念に描き、それを徐々にキャンバス上に組み立てていくのです。
私は4つの異なる花、4つの異なるアコードに最新の注意を払い、それぞれを可能な限り正確に仕上げました。そして出来る限り忠実なスズラン、ハニーサックル、ヴァイオレット、ローズのアコードを作り出しました。それらは調香師が理想のローズではなく、最も正確にローズを再現した香りでした。
カリス・ベッカー
カリス・ベッカーはサンプルの最終調整にあたり、ディオール社より「トッズの靴のようにとても快適な履き心地でありながら、セクシーなスティレットヒール」のような香りを作って欲しいという難解な要望を出されていました。
35回もの試作を経て生み出された〝ダイアナ95〟は、そのサンプルをサビーナが、クエスト社の社長に招待されたオペラ鑑賞の日に身に纏い、思いがけず夫に大賞賛されたことから「ジャドール」になったのでした(消費者テストで不評だったこの香りに対して、サビーナの夫が、「あの日の賞賛の方が当てになる!」と、彼女にこの香りを、ジャドールにすることを決心させたのでした)。
それは、宝石がキラキラ輝くように花々の呼吸を感じ取ることが出来るフレッシュフローラル・ノート誕生の瞬間でした。そして、この香りは、2000年だけで1億2000万ドルの売り上げを記録することになりました。
カリス・ベッカーは「ジャドール」は、ディオールらしくなく、〝いまどきの合成香料がストレートすぎる香りだ〟という批判に対して以下のように答えています。
私は化粧品やトイレタリーといった機能的な香りを調香してきた経験の中で、派手で、扱いにくい合成香料を恐れないことを教わりました。血気盛んな若い馬を乗りこなすように、合成香料を天然香料と一緒に使うことによって乗りこなしていくのです。
高価な天然香料をたくさん使っても、大自然を感じさせる香りにはなるが、メッセージ性は漠然としてしまいます。しかし、そこに合成香料を加えることにより、明快さと推進力を与えることが出来ます。
ジャスミンの香りを調香するとき、私はジャスミン・アブソリュートには頼らない。ジャスミン・アブソリュートを加えるのは、ほうれん草にバターを塗るようなものだ。私はねっとりとした香りよりも、素肌の上で安定した広がりを生む香りを生み出すことに重きを置きます。だからこそ、合成香料はとても重要なのです。
マサイ族のネックレスをモチーフにしたボトル・デザイン
「ジャドール」とは、フランス語で、「大好き」という意味です。そしてこの〝J’Adore〟には〝or(ゴールド)〟と〝Dior〟が入っていて、広告でその部分を強調されています。古代ギリシアのアンフォラのようなボトルデザインは、宝飾デザイナーのエルヴェ·ファン·デル·シュトレーテンによるものです。
100回近い形を実験した果てに生み出されたボトル・デザインは、オリジナルの「ミス ディオール」のボトル・デザインの影響を強く受けたものでした。それは、1947年にクリスチャン・ディオールによって生み出されたニュールックのドレス・ラインと、ミャンマーの首長族のゴールドリングから連想されたものでした。さらに1997年の春夏クチュール・コレクションと1998年の春夏コレクションでジョン・ガリアーノが発表した、マサイ族のネックレスからインスパイアされたデザインも組み合わせたデザインでした。
さらにボトルのラインの美しさを損なわないために、香水名を栓の内側に隠したのでした。そのことがボトルに神秘性を与えることになりました。最後にもうひとつデザイナーが心を注いだのは、「ボトルを持つ掌に寄り添うお守りのような物体」である点でした。
私は、〝大好き〟という言葉を自発的に女性が生み出すこの香りのボトルには、改めて〝大好き〟と誘導する言葉なんか必要ないと思いました。なぜならディオールの生み出してきた美とは、女性のスタイルを強調するにしても、その邪魔を決してすることのないシンプルさとピュアなものの中から生まれてきたのですから。
1999年から2010年までのオリジナルの香り
「ジャドール」には両親の思い出が隠し味として詰め込まれているの。ウッディな香りは父の思い出。彼は数学者で、アマランサスなどの貴重な木材を使って数式パズルを作ってくれました。アマランサスウッドの優しい感覚をベースに、非常にクリーミーで、荒々しさやドライさを感じさせないウッドアコードを作りました。
フルーティな香りは、母からもらいました。母は新鮮なプラムをバニュルスワインで煮込んでコンポートを作り、バニラを少々、レモンを一捻り、シナモンを加えていました。
煮込んでいる間、蒸気がうっとりするように立ち上り、すべての味覚を刺激し、引き込まれていきました。そのフルーティな香りを再現したのです。
カリス・ベッカー
「ジャドール」は、カリス・ベッカーの調香師としての才能を証明しています。素肌の上で持続し、時計仕掛けのように拡散してゆきます。 しかし、本当に素晴らしいのはその香りです。 まるでベッカーが壮大な声、豊かな弦楽器、涼しい木管楽器という完璧なオペラのアリアをミックスしたかのような香りがします。
「ジャドール」はラヴェルの音楽のようです。花、フルーツ、泉の水、それぞれが調和して集まります。 甘くて、それでいて適度な距離感を保てます。 シャーリーズ・セロンの広告は忘れてください。 映画スターの顔に惹かれて最初のボトルを買う人もいますが、二番目のボトルを売るのは香りであり、「ジャドール」は間違いなくその非凡なる香りによって大ヒットしたのです。
成功は人を騙します。 去年、私が出席したパーティーである調香師がこう言いました。 このような商業用の香りを2分で作ることができますと。「本当に?なら作ってください」。
チャンドラー・バール(ニューヨーク・タイムズ、2007年)
「ジャドール」はとても複雑で、どのカテゴリーに分類されるべきかはすぐにはわからない。カリス・ベッカーは、ホワイト・フラワー・アコードと呼ばれる、特定の花というよりは、重厚なブーケのような浮遊感を表現し、フルーツ(洋ナシ、ピーチ、フレッシュなマンダリンオレンジ、プラム)と絡めて、全体に若く淡いブドウの木を織り込んでいる。まるでゴールドのチェーンに当たる夕日を連想させる。ゴールドには香りはないが、もし香りがあるとしたら、それはジャドールのような香りだろう。
チャンドラー・バール(ニューヨーク・タイムズ、2021年)
あなたを圧倒し、魅了する香りではなく、思わず〝大好き!〟と心で呟いてしまう、女性の内なる感情を呼び覚ます香り〝ジャドール〟。それは、あなたが輝く黄金のオーラに満たされ、周りの人々の愛を呼び覚ます香りなのです(ポイントは、着用者に対する愛ではなく、愛を持つ喜びを呼び覚ますところにあります)。
そんな〝大好き!〟を内からも外からも呼び覚ます香り〝ジャドール〟は、ミルキーなグリーンノート(アロマティックなグリコリエラール®)の緑の閃光からはじまります。すぐに黄金の蜜のような、完全に熟したプラムとメロン、洋ナシ、マンダリンオレンジが溶け込み、フルーティさが素肌の上を滑らかに引き伸ばすような〝官能的な煌めき〟に満たされてゆきます。
やがて涼やかな海風に乗って、ジャスミン、ハニーサックル、チューベローズ、スズランといった花々がフレッシュに咲き誇ります。と同時に、黄金の果実の煌めきを伴奏に続々と!ローズ、ヴァイオレット、フリージアが開花していきます。まるで感情の波がゆっくりと押し寄せるように、花々が開花するように、一斉ではなく、順々に。これが、元祖ディオールにおけるマジック・モーメントなのです。
明らかに、昔のジャドールの香りのフローラルは、それぞれの花々が歌っているのです。ローズは気高く、ジャスミンは甘く、チューベローズは太陽のように明るく、スズランは清らかに、ヴァイオレットはどこか儚く・・・それでいてそれぞれの歌声に調和が取れており、素肌の上で弾むように〝煌めくハーモニー〟を生み出しているのです。
そして豪華絢爛たるシャンデリアの下で輝くダイアモンドのように呼吸するフローラルノートを経て、黄金のアンバーグリス(ホワイトムスクとアンブロックスによる)が、バターのように円やかなバニラ、トンカビーン、イリスと混ざり合い、〝シルキーに煌めく〟余韻に満たされていくのです。
その3つの〝煌めき〟は、同じ煌めきという言葉であっても、まったく違う煌めきであることが、このジャドールの香りの素晴らしさです。それは言葉を超えた心から解き放たれる〝大好き!〟なのです。
ちなみにオリジナルのジャドールの香調は以下のとおりです。
トップノート:プラム、マンダリンオレンジ、ベルガモット、マンダリンオレンジ、メロン
ミドルノート:チャンパカ・フラワー、スズラン、ジャスミン・サンバック、ターキッシュローズ、ヴァイオレット、オーキッド、ブラックカラント
ラストノート:ムスク、ウッディノート
「ヴァンベール」(1947)のフレッシュさ、「ナエマ」(1979)のフローラルさ、「ディオリシモ」(1956)のきらめき。「ジャドール」はたくさんの小さなパーツから出来ています。だから、香りの中に身を置いた人は、香るたびに色々な香りがすると感じるのです。
カリス・ベッカー
2010年以降のジャドールの香り
私に次のジャドールを作らせてください。
ティエリー・ワッサー(ゲランの専属調香師)
現在のジャドールは、2006年以降、ディオールの専属調香師であるフランソワ・ドゥマシーにより2010年に再調整されたものです。
それはトップにコモロ諸島産イランイランエッセンス、ミドルにダマスクローズ・エッセンス、ラストにマツリカジャスミンとグラースジャスミンという全く違う香りになっています。
2010年以降の香りは、トップの煌めくようなグリーンが排除され(洋ナシにその片鱗があるにはある)、ピーチとマンダリン・オレンジの際立つフルーティさが満ち広がります(カリス・ベッカーの天才性はここにありました。最初に頬を叩き、後から甘い言葉を囁いてくれる人なのです。残念ながらドゥマシーのジャドールにはそれがありません)。
そして、煌めきのフローラルノートも、ジャスミンとバニラの甘さに包まれたダマスクローズ、チューベローズ、イランイランに、トップのフルーツが絡み合う、「決して嫌われない」程度のフルーティフローラルに置き換えられています。
しかし、あまりにもオリジナルが素晴らしすぎたのでしょう。オリジナルを意識せずに「新ジャドール」の香りの中に身を置くと、その魅力の片鱗を十分に感じ取ることが出来ます。
やがて、サンダルウッドとムスクにより、円やかにミルキーなフルーティフローラルの余韻に満たされてゆきます。オリジナルの「ジャドール」を知る人に何を言われようとも、彼女は明らかに「ジャドールの娘」であり、そのDNAは流れているのです。
ジャドールのキャンペーン・モデルの歴史を述べてゆきます。まず最初に、1999年に初代ミューズとしてカルメン・カースが「人生は白か黒かではなく、金よ」という号令を発しました。
そして2000年に二代目ミューズとしてティウ・キュイクが起用され、2004年以降は三代目ミューズとしてシャーリーズ・セロンが就任し、今に至ります。彼女が「ジャドール」のミューズになることにより、この香りは、ディオールとハリウッドを結びつける果てしない〝黄金のオーラ〟を感じさせる香りとなりました。
2011年のキャンペーンは特に秀逸で、彼女はベルサイユ宮殿でパレードを行い、途中でマレーネ・ディートリッヒ、マリリン・モンロー、グレース・ケリーと遭遇するのでした。
タニア・サンチェスは『世界香水ガイド』で、「ジャドール」を「ピーチ様ローズ」と呼び、「1999年に初めて発表されたときには、カリス・ベッカーの「トミーガール」へ向かうような感じだった。毎日雨上がりの朝みたいな新鮮なアップルティーのフローラル。それに比べて、ジャドールはベッカーのいつものフローラルスタイルから放たれる雪のまばゆい光が、美しくダークな砂糖漬けプラムのノートを経由して、アンバーのフィルターを通り過ぎた。黄金に輝くサンセットから紫の夕闇に染まる。残香は「パルファム・サクレ」の暗いお香のようなローズに驚くほど近かった。過去形を使っているのは、今では変わってしまったから。」
「パフュームオイルはすべてジボダン社(世界最大の香料メーカー)から完成品を取り寄せているだけだったけど、今では自社で一部製造している。その責任者は、かつてシャネルの調香師だったフランソワ・ドゥマシー。こんにちのジャドールはみごとなピーチと石けん様のローズフローラル。以前あった夕方の輝きはない。自分のコピーを作っちゃったみたいな香り。かなり好きだけど、大好き(ジャドール)ではない。」と3つ星(5段階評価)の評価をつけています。
香水データ
香水名:ジャドール
原名:J’Adore
種類:オード・パルファム
ブランド:クリスチャン・ディオール
調香師:カリス・ベッカー→フランソワ・ドゥマシー
発表年:1999年
対象性別:女性
価格:30ml/11,550円、50ml/16,720円、100ml/23,100円
公式ホームページ:ディオール
トップノート:マグノリア、メロン、ピーチ、セイヨウナシ、マンダリンオレンジ、ベルガモット
ミドルノート:チューベローズ、イランイラン、プラム、オーキッド、ヴァイオレット、フリージア、ジャスミン、ダマスクローズ、スズラン
ラストノート:バニラ、サンダルウッド、ムスク