究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ

ジバンシィ最初の3年・第3章1954年 – ファッションの歴史

ファッション ブランドの歴史
Suzy Parker in Hubert de Givenchy Coat, photographed by Georges Dambier for ELLE, 1954
ファッション ブランドの歴史
この記事は約4分で読めます。
当サイトではアフィリエイト広告を利用しています
スポンサーリンク

ユベールの新たなる挑戦。プレタポルテ・コレクション

Suzy Parker in Hubert de Givenchy Coat, photographed by Georges Dambier for ELLE, 1954

モデル:スージー・パーカー。白コート。『ELLE』1954年。

モデル:スージー・パーカー。ピンクシャツ・ドレス。1954年SS。

Capucine in Givenchy and Cartier jewelry, French Vogue Jul/Aug. 1954, cover by Henry Clarke

モデル:キャプシーヌ。カルティエの宝石と共に。『ヴォーグ』1954年7月/8月号。

1954 Capucine in evening gown with sleeves of mousseline flower-like petals by Givenchy, photo by Genevieve Naylor,

モデル:キャプシーヌ。モスリンフラワーを花弁のようにしたスリーブ付きのイブニング・ドレス。1954年SS。

Elsa Martinielli in Hubert de Givenchy Dress, photographed by Clifford Coffin for Vogue, 1954 Elsa Martinelli for French, British and American Vogues, September 1954

モデル:エルザ・マルティネッリ。ドレス。『ヴォーグ』1954年9月号。フォト:クリフォード・コフィン。

1954年、ユベール・ド・ジバンシィは、「ジバンシィ・ユニベルシテ」と呼ぶ、プレタポルテ・コレクションを発表します。これはクチュリエが初めて行うプレタ(今までは全部ブランドが、オートクチュールコレクションを発表していた)でした。全てアメリカから輸入したミシンを使用し縫製しました。まさにパリのアメリカ人です。そして、初めてシャツドレスを発表します(1957年、この進化形として、サックドレスを発表する)。

このシャツドレスこそ、後にダイアン・フォン・ファステンバーグにより発表されるラップドレスの原型です。1954年以降、ジバンシィは、オードリー・ヘプバーンというミューズと共に、ファッションに対するファンタジーを生み出す役割を担ってきました。今、LVMH社の傘下にあるジバンシィは、どこに向かって進んでいるのでしょうか?

表参道、有楽町阪急メンズ館、新宿伊勢丹メンズ館、梅田阪急メンズ館、梅田阪急本館にあるジバンシィの販売員の皆様に今一番求められていることは、新しい流れに追いつこうとするのではなく、その偉大なる、そして、他の追随を許さないファッション史に輝くジバンシィの歴史と向き合うことです。過去の誇りを知って、初めて現在のコレクションについて語ることが許されるのです。それだけ、ジバンシィは格別なのですから・・・

スポンサーリンク

1950年代、ヨーロッパのモード界は、アメリカを無視できなくなった

Fiona Campbell-Walter in Hubert de Givenchy Beach Towel, photographed by Georges Dambier for Femina, 1954 June 1954Fiona Campbell-Walter draped in cashmere beach towel by Givenchy, Corsica, photo by

モデル:フィオナ・キャンベル-ウォルター。カシミア・ビーチ・タオル。1954年6月コルシカ島。

Fiona Campbell-Walter in Hubert de Givenchy Dress, photographed by Georges Dambier for ELLE, 1954

モデル:フィオナ・キャンベル-ウォルター。ホワイト・オーガンジードレス。『ELLE』1954年8月1日号。コルシカ島。

1954_Givenchy22

モデル:マリー・テレーズ。ラズベリー・ウール・コート。レザーハンドバッグ。1954年AW。

女性は身につけるものでエレガントになるのではなく、どのように身につけるかでエレガントになるのです。  ユベール・ド・ジバンシィ

1954年、スイスで亡命していたココ・シャネル(1883-1971)が、フランスに戻ってきました(1939年にファッション界から引退していた)。同年2月にパリで発表されたカムバック・コレクションは、当初「時代遅れ」と批判されたが、アメリカにおいて、1954年3月15日号の『LIFE』誌が、「シャネル・カムバック!着心地が良く、シンプルでエレガント。大衆が影響を受けるのは明白だ」と書いたことにより、評価は一転しました。そして、アメリカの『ヴォーグ』『ハーパース・バザー』が特集を組み、シャネル復活の狼煙は上げられた。

1954年オードリー・ヘプバーン主演の『麗しのサブリナ』が公開され、パリのモードが、アメリカ人に身近に感じられるようになりました。そして、今ではハリウッドの映画人達が、こぞって、パリモードに興味を示し始めたのです。やがてハリウッド・スターに憧れる一般大衆が、連鎖反応のようにパリモードに興味を示すのも時間の問題でした。

パリモードが、大衆の手に届くようになったのです。それは、ファッションの芸術性の新たなる段階の始まりでした。多くの人々の目に触れるようになり、「ただ当たり前のように付けられる人々」から「頑張ってそれを手にした人々」という、熱量の違いが、ファッションにより多くの進化を求めることになったのです。ジバンシィもシャネルもそれを敏感に感じ取っていたのです。