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シンディ・ローパー伝説3(3ページ)

シンディ・ローパー
シンディ・ローパー
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マイケル・ジャクソンが愛した歌。

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「シー・バップ」 1984年7月リリース。全米3位、全英46位

第三弾シングル「シー・バップ」は、登場する〝セルフ・サービス〟のガソリンスタンドやバイクの〝グッド・バイブレーション〟が象徴するように、隠されたテーマとして女性のマスターベーションについて歌われた歌です。それは「突然シー・バップは父母音楽情報源センターの「猥褻な15曲」のリストに入り、AC/DCの「欲望の天使」みたいに放送禁止にすべきだと言われている歌の仲間入りを果たし」話題になりました。

そういった内容はさておき、変則的かつ哀愁を帯びた80年代ポップスの王道のメロディラインは、今聞いても実に魅力的です。

シンディ・ローパーとマイケル・ジャクソン、1983年。

ところで「シー・バップ」のいちばん最後のところを聞くと、マイケル・ジャクソンがあのベース・ラインを使って「バッド」を書いたことがわかるんじゃないかな。「バッド」のレコーディングに入る直前、彼は飛行機の私の後ろの席にチンパンジーのエマヌエル・ルイスと一緒に座って「シー・バップ」を聞いていたのだ。まあ、かまわないんだけどね。彼がそんなことを考えてくれただけでもすごく嬉しい。

燃えるような赤毛に赤のサブリナパンツの80年代テイスト満点のマッチング。

左のポーズ。80年代にブレイクしたポーズです。

拡大するとこれ!

打ち上げ花火のようなカラフルな花柄カットソー。

私の片方の目はもう片方より小さいんだけど、同じ大きさに見せるように言ってしょっちゅうメイク係をイライラさせていた。


シンディ・ローパー・スタイル13 シー・バップ・スタイル
  • スカーフをバンダナに
  • カラフルな花柄のカットソー
  • 赤のサブリナパンツ
  • シースルーボビーソックス
  • ゼブラ柄のハイヒールパンプス
  • チェーンベルトとカラフルなシフォン
  • もちろん腕にも大量のバングル

また、グレゴリーのいとこでトランスジェンダーの女性であるダイアナが、自分の内面が女性だと感じ、女性になろうとして笑い者にされているのも見た。・・・グレゴリー(27歳でエイズで死亡)はファースト・フードの店でロボットみたいな動きをするお客を演じた。

シンディ・ローパーとグレゴリー。

このビデオ・クリップには、後にシンディ・ローパーが、エイズ撲滅運動や同性愛の権利獲得運動への参加のきっかけとなるゲイ・コミュニティの友人も沢山出演しています。




ラスト・シーンに登場するタキシード・スタイル。シンディの中では、意外に忘れられがちな曲「シー・バップ」は、かなり完成度の高い、今聞いても新鮮なメロディラインを持っている曲です。



シンディ・ローパー・スタイル14 レザービームシャツ
  • カラフルなレザービームシャツ
  • 白のビスチェ
  • 黒のワイドパンツ
  • ドレスにつけるようなラインストーンネックレスとイヤリング

いつもバックステージは大忙しで、ときにはメークアップ・アーティストがメークアップしている間にー髪は自分でやったーボーカルの練習を始めた。・・・肺を働かせるために風船を膨らませた。

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「シー・バップ」ライブ・パフォーマンス

テレビ・パフォーマンス、1984年。


トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー、武道館、1986年、日本。


トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー、1987年、パリ、フランス。

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シンディ・ローパーとマドンナ

有名になったらーそれもすぐさまーいつもある人のことをマスコミに尋ねられた。マドンナだ。彼らは熾烈なライバル争いみたいなものを作り出そうとしていたけれど、私としては姉妹のひとりを叩けるわけがないじゃない、という気持ちだった。だけど、彼女のレコード会社すら参入してきた。彼らは『ビルボード』に彼女が白いコルセットをつけている広告を出した。そこには「この娘がシンディ・ローパーの対抗馬となるだろう」みたいなことが書いてあって、ほんとにイヤな気分になった。他の誰も彼もがこの想像上のライバル争いに煽られていたけど、私は「こんなことやりたくない、こんなものに関わりたくない」と身を退いていた。

だってね、私たちの音楽は似てすらいないのよ(まあ強いて言えば、「ライク・ア・ヴァージン」で彼女の声がピッチを上げると私の声みたいに高く聞こえるけどね)。彼女はビジネスやマーケティングに関して頭が切れて(私は全然ダメ)、ずっときれいだったし、今でも相変わらず美しい。

私は別の道に進んじゃったって感じね。ことに1985年の終わりに向かって、インディアンの戦闘化粧をしたり、わざと反逆的で、ときにはアンチファッションな服を着たりしてたから。

シンディ・ローパー

日本の武者風のレイヤード・スタイル、ミネソタ、1984年。

1984年から86年にかけて、マスコミは、シンディ・ローパーとマドンナはライバル関係にあるような取り上げられ方をしていました。そして、1990年代に入り、マドンナはスーパースターになり、シンディは、スーパースターにはなりませんでした。

しかし、シンディは、21世紀において、着実にキャリアを復活させており、2012年にいたってはトニー賞まで獲得しました。そんな今、もしシンディ・ローパーとマドンナが何らかの再会を果たしたならば、それは何らかのセンセーションを生み出すことでしょう。シンディ・ローパーの偉大性は、そういうことを連想させるところにあるのです。