いつも颯爽とスクリーンに現れる淡島千景様
お姉ちゃま(淡島千景)の目は、目の下がこう、ふくれてるでしょ。ああいうふうになりたくてね。一生懸命やったことあるの(笑)。なんとかふくれないかと思って、目の下にスジつけてぎゅうぎゅうやってみたけど、ならなかったわね。「お姉ちゃまダメだった」って言ったら、「あんたはほんとにバカね。あたしこれがいやでいやでしょうがないのに」って言われて。でもあの目がたまらなく好き。
あたしは目と鼻が好きなの。上向いた鼻がかわいい。いや全部いいわね。もう何もかも好き。後輩のあたしが言うのもなんですけどもね、あんなかわいい人っているかしらと思う。それで品がよくてさ、思いやりがあってさ、まあ若いときの綺麗さってなかったわね。
あたし女優さんで、わーって惚れ込んだってのは淡島さんしかいない。そしてそれは間違いではなかった。
淡路恵子(千景様から芸名を一文字もらっている)
宝塚歌劇団のスーパースターだった淡島千景様が1950年に退団し、『てんやわんや』で映画デビューし、さっそく第1回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞しました。
その翌年に出演した本作では、『てんやわんや』で共演し、とても息の合う掛け合いを見せた佐野周二(1912-1978、関口宏の父)も出演していることもあり、原節子様と同じくらいに魅力的な存在感を示していました。
さらにその翌年、小津安二郎監督の『お茶漬の味』にも出演し、当時の、女性にとってファッション・アイコンと呼んでいいほどのセンスの良さを見せつけくれています。
それにしても4人の女性が、銀座の喫茶店で女子会しているシーン、4人共とても素敵で、まるで宝塚OBの女子会のような、いい匂いが漂ってきそうな、晴れやかなシーンです。この作品の千景様は、まるで『リボンの騎士』のサファイヤが大人になって、日本で生活しているような、または小津映画の静かな構図の中でひときわ華やぐような、颯爽としたカッコ良さがあります。
私、『麦秋』を自分で見て、どうしていつもああにぎやかな女なんだろうって思うことあるわよ。シーンとしたなかで、ジャンジャンと出てきてねえ。
淡島千景
間宮紀子のファッション3
テーラードスーツ
- かちっとしたセパレートのテーラードスーツ
田村アヤのファッション3
テーラードスーツ
- 上半身しか映らないので断言できないがテーラードスカートスーツ、ショールカラー
- 一粒のパールイヤリング
この4人のシーンをはじめとする、ほとんどのシーンで『麦秋』の女性がとても美しく見えるのは、その所作の美しさと同じくらいに〝削ぎ落した美しさ〟があるからでしょう。この作品には、アクセサリーはほとんど登場しません。
このシーンでは淡島千景様だけが、顔周りに二粒のパールを持ってこられておられます。この二粒が、彼女の表情に合わせて、静かに見守るように温かく輝いているのです。
映画では美しくなければならないってことがどんなに大事な事か、此の頃しみじみわかってきましたわ。美しい人はいいなあと思いますわ。
淡島千景(撮影中に行われた、原節子、杉村春子との座談会にて)
原節子様の決意と、イングリッド・バーグマンに対する憧れ
どっちかと言えば、私、演技がうまくなれる女優じゃないの。
原節子(1950年)
1949年に『晩春』『お嬢さん乾杯』『青い山脈』という良作に出演し、宿願だった毎日映画コンクールの主演女優賞を獲得した原節子様にとって、30歳を迎える1950年という年は充電の年でした。そして、この年、彼女は、運命の人に出会ってしまったのでした。
イングリッド・バーグマン(1915-1982)です。バーグマンがロベルト・ロッセリーニに手紙を出したことにより誕生した『ストロンボリ』(そして二人は禁じられた恋を進んでいくのでした)。この禁じられた愛の結晶を、節子様は見てしまったのでした。
1950年7月20日の原節子様のインタビューがとても興味深いです。
私が最も敬愛している女優は、イングリッド・バーグマン。何から何までいいの。ミーハー級のファンなの。(男優は?と聞かれ)バーグマンみたいな人がいないわよね。
そして、節子様は、1951年新春にこう宣言していたのでした。
もうかなり長い映画生活、私もこの辺りでアッといわせるような仕事がしたいわ、今年は日本の映画も国際コンクールに出品するとかっていうでしょ、世界の檜舞台で一、ニを争うような映画に出たいわ。それも日本独特の味わいのあるもの、ホラ昔やった『晩春』のような役なんかでもいいの。娘役だってヴァンプ役だってそんなことは問題じゃない。ただ演技だけに打ち込めるようないい仕事に取り組みたい、つまり損してもいい仕事のことよ。
『麦秋』の原節子様が、ただ日本女性の美を体現しているだけでなく、世界中の人々の心を捉え続けているのは、小津安二郎監督の才能と、彼女の情念が、奇跡の遭遇を果たからだと言っても過言ではないでしょう。
バーグマンとロッセリーニの伝説が、原節子様と小津安二郎の伝説を生み出したのでした。
間宮紀子のファッション4
リーフ柄のカーディガン
- リーフ柄のゆったりめのカーディガン
- 白いブラウス
- タータンチェックのロングスカート
- ショートソックス
ところが原さんは白いブラウス着ていますね。ご承知のように、小津さんはいろいろ紋様があるものより、単純に白いブラウスのようなものがお好きだ。その白いやつが大変むつかしいんですよ。そっちに合わせたんじゃあ画調がこわれちゃいますから、顔本位でいくわけですが、それには照明を変えなきゃならないんです。
厚田雄春
田村アヤのファッション4
着物PART2
- 結城紬の着物と帯のコントラストが絶妙
笠智衆と原節子
先生が俳優になられていたら、きっと演技賞ものの名優だったでしょう。『麦秋』でしたか、珍しく実演されたことがありました。お父さん役の菅井一郎さんとそれを見ていた僕たちは、顔を見合わせ「ウマイなー」と、しきりに感心したものです。ちょうど菅井さんの出番で、菅井さんは、先生のマネをしようとするのですが、これが、うまくできんのですな。見るとやるとは大違いです。舞台出身で、演技のしっかりした菅井さんですらそうですから、僕が先生のマネをできるはずがない。
笠智衆『大船日記』
紀子のお父さんを演じる菅井一郎(1907-1973)と、紀子の兄を演じる笠智衆(1904-1993)は、実は菅井の方が3歳年下でした。本来、この作品で笠智衆は、宮口精二が演じた小さな役を演じる予定だったのですが、当初、兄役を演じる予定だった山村聰が舞台出演のスケジュールの都合で出演できなくなり、急遽代役したのでした。
この時、笠智衆は、珍しく地に近い38歳の役を演じたのでした。ちなみに原節子様と最も親しく接しているように思われる笠智衆は、節子様についてこう回想しています。
とにかく、きれいな方でした。昔の女の人としては大柄で、顔立ちといい体格といい、まるでハリウッド女優のよう……僕が共演したたくさんの女優さんの中でも、一番か二番でしょう。
原さんは、きれいなだけじゃなく、演技も上手でした。ほとんどNGも出しません。めったなことでは俳優を誉めなかった小津先生が、「あの子はウマいね」とおっしゃっていたのですから、相当なもんです。東宝作品に出とられた時はそれほど思いませんでしたが、小津作品では上手かった。きっと、小津先生の演出と波長が合ったのでしょう。原さんも僕と同じように、先生に育てられた俳優の一人です。
普段はおっとりとして、気取らない方でした。美人に似合わずザックバランなところもありました。撮影の合間に、大きな口を開けて「アハハ」と笑っとられたことを覚えています。
僕はほとんど口をきかなかった。僕みたいなもんがお付き合いすると、あの美しさを汚すような気もしまして。
笠智衆『大船日記』
作品データ
作品名:麦秋 (1951)
監督:小津安二郎
衣装:斎藤耐三
出演者:原節子/淡島千景/笠智衆/三宅邦子/杉村春子