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原節子

【麦秋】1950年代の美しい日本人の教科書

原節子
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【麦秋】

第二次世界大戦で敗戦国となった日本が、連合国軍占領下(1945-1952)で意気消沈していた中、1950年に黒澤明が監督した『羅生門』は、第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第24回アカデミー賞で名誉賞を受賞し、世界に日本映画の存在を知らしめ、日本人に自信を与えることになりました。

そんな中、小津安二郎(1903-1963)も一年かけて『麦秋』の脚本を盟友・野田高梧と練り上げ、『晩春』(1949)で初タッグを組んだ原節子(1920-2015)が主役を演じることを絶対条件に、1951年6月から9月にかけて撮影は行われました。

小津監督作品の中で、原節子が「紀子」という名の役(同一人物ではない)を3作品にわたって演じた「紀子三部作」の2本目にあたる作品です。

一向に結婚する気配のない28歳を迎えた紀子。彼女のことを心配し、好条件のお見合いを薦める兄や上司の専務を尻目に、紀子は、ずっと慕っていたが戦争で死んだ兄の友人(妻を亡くし子持ち)との結婚を勝手に決めてしまうのでした。二世帯七人で仲良く住んでいた家族が、離散し、それぞれ新しい家族を築き上げていく人生輪廻を、時にコミカルなタッチで描き上げた作品。

紀子の親友・アヤを演じる淡島千景(1924-2012)と兄嫁・史子を演じる三宅邦子(1916-1992)、専務・佐竹を演じる佐野周二(1912-1978)がとても魅力的で、それぞれが原節子との相性も抜群でした。特に、宝塚を退団したばかりの淡島の存在は、戦後日本人女性の〝憧れ〟を一身に集めたような役柄でした。

今では、『羅生門』と同じく、世界中の人々に、日本映画の素晴らしさを教えてくれる不屈の名作として、不滅の輝きを放ち続けています。

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あらすじ

太平洋戦争が終わり、5年ほど経ったばかりの北鎌倉の間宮家の朝のスケッチからこの物語ははじまります。老植物学者の間宮周吉(菅井一郎)とその妻・志げ(東山千栄子)、その長男の康一(笠智衆)は医者で都内の病院に勤めており、その下の長女の紀子(原節子)は丸ノ内の貿易会社の専務佐竹宗太郎(佐野周二)の秘書である。そして、長男の嫁・史子(三宅邦子)と幼い息子たち2人の二世帯七人家族です。

あわただしい朝のいっときが過ぎると、紀子が丸の内のオフィスで颯爽とタイプを叩いている姿が映し出されます。そんな彼女のもとに、佐竹の行きつけの築地の料亭「田むら」の娘アヤ(淡島千景)がやって来ます。アヤは、紀子の学生時代からの親友で、共に28歳独身です。

この日、周吉の兄・茂吉が大和(奈良)から上京して来るのでした。東京駅に迎えに行く前に、仕事上がりに長男夫婦と紀子は小料理屋「多き川」で夜食をとることになります。久しぶりの外食で浮かれる史子に冷たい康一に紀子は軽口を叩きつつも、楽しい時間が過ぎてゆきます。

そんな折、佐竹が自分の先輩の真鍋という40歳ではあるが初婚で商社の常務である男性との縁談話を持ってきます。かなりの好条件に間宮家の人々は乗り気になります。しかし、肝心の紀子は、康一と同じ病院に勤めている謙吉(二本柳寛)という、亡き妻との間に三才の娘があり、戦争から帰ってきていない兄の大親友だった幼馴染の彼に心惹かれていくのでした。

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ファッション・シーンに与えた影響



1937年3月10日から7月28日にかけて、原節子がナチス・ドイツとの合作映画『新しき土』のPRも兼ねて139日間の世界一周の旅から戻ってきたすぐその後の、9月10日に小津安二郎は、7月7日からはじまった日中戦争のため徴兵され、毒ガス兵器を扱う中隊に伍長として配属され、9月27日に上海に上陸しました。

上海、南京、徐州、漢口、武昌といった主要都市の攻略戦には、殆ど参戦し、38年6月から9月にかけて、軍曹に昇進し、南京に駐留していた時に佐野周二と再会しました(戦地で三度再会している)。

1939年7月13日に帰国するまで、小津は戦火の下で生き抜いたのでした。

1938年、南京で再会した佐野周二と小津安二郎。

1943年6月からは、軍報道部映画班員として南方へ派遣され、主にシンガポールに滞在し、(本作のカメラマンである)厚田雄春と共に行動しました。この時期に『風と共に去りぬ』『怒りの葡萄』『ファンタジア』『市民ケーン』などのハリウッド映画をひたすら見ていました。そして1945年8月15日にシンガポールで敗戦を迎え、1946年2月に帰還しました。

1949年に帰還後三作目となる『晩春』で完全復活を果たし、『宗方姉妹』(1950)を挟み、本作で、黄金時代に突入していくのでした。

そんな小津安二郎の絶頂期のこの作品が、ファッション・シーンに与えた影響は以下の四点です。

  1. 永遠に色褪せない、戦後の日本人女性の美しさをフィルムに焼き付けていること。姿勢と所作から思いがけない美しさをたくさん発見することが出来る。
  2. 淡島千景様が教えてくれる日本人女性の特権=和と洋のファッションを楽しめる。
  3. 原節子様の〝不滅の美〟をただただ愛でる。
  4. ローアングルで映し出す、今は失われた日本の美。

特に海外のファッションデザイナーにこの作品が与えている影響は凄まじく、『日本の美を知る教科書』的な存在となっています。しかし何よりも素晴らしいのは、地獄の戦場から生還した映画監督だからこそ、ずっと戦地で夢にまで見てきたであろう〝日本の美〟を敗戦後、僅か6年後で映像に残したところにあります。

作品データ

作品名:麦秋 (1951)
監督:小津安二郎
衣装:斎藤耐三
出演者:原節子/淡島千景/笠智衆/三宅邦子/杉村春子