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フレッド・ジンネマン

オードリー・ヘプバーン

【尼僧物語】オードリー・ヘプバーンの乙女の祈り

何よりも『尼僧物語』の素晴らしい所は、オードリー・ヘプバーンによって、尼僧ルック(シスター・ルック)さえもモードになったということなのです。世界中の女性がこの作品の影響を受け、イブニングドレスよりも、尼僧服に憧れを持つようになったのでした。
オードリー・ヘプバーン

『尼僧物語』Vol.4|オードリー・ヘプバーンの『コンゴの休日』

1958年1月23日から二ヶ月にわたる撮影が実際に始まってみると、オードリーはコンゴという国がとても気に入りました。撮影中、彼女はそのストイックさにより、24時間、尼僧のファッションで過ごしていたのですが、休日になるとそういった衣装を脱ぎ捨て、カジュアルな装いに身を包み、コンゴを思う存分堪能していたのでした。
オードリー・ヘプバーン

『尼僧物語』Vol.3|オードリー・ヘプバーンとコンゴ

この作品が撮影されたのは、1958年でした。そして、その僅か2年後にコンゴ動乱(死者:推定10万人)が勃発し、現地在住のベルギー人が黒人の暴力に曝され、この作品のために協力した宣教師及び、尼僧も暴行され殺害されたのでした。この作品は、オードリーにとっても他の出演者にとっても忘れられないものとなりました。
オードリー・ヘプバーン

『尼僧物語』Vol.2|オードリー・ヘプバーンと尼僧の美学

『尼僧物語』のオードリー・ヘプバーンが、世界で一番パリモードを体現する女性から一転して、尼僧として神々しさに満ち溢れていたのは、監督のフレッド・ジンネマンの徹底した世界観の作りこみ方により導かれたものでした。
オードリー・ヘプバーン

『尼僧物語』Vol.1|オードリー・ヘプバーンのスクールルック

オードリー・ヘプバーン(1929-1993)の最後の20代に撮影された『尼僧物語』では、ジバンシィをはじめとするモードを着こなすシーンは一切ありません。この作品においてオードリーは、時代の最先端をいくファッションではなく、尼僧服という伝統的な装いに身を包み、最後の数分まで物語は進んでいきます。
グレース・ケリー

【真昼の決闘】グレース・ケリーの誕生

赤狩り真っ只中のアメリカで、西部劇史上はじめてリアリズムに徹底した作品。当時50歳のゲイリー・クーパーを初老の保安官として配し、悪党のガンマン4人とたった1人で立ち向かわないといけない焦燥感を描き、最後の最後に決闘で締めくくる、
グレース・ケリー

『真昼の決闘』Vol.2|グレース・ケリーの原点

この作品からグレース・ケリーの神話の扉は開かれました。そして、ここに美の本質に対する明確なる答えが示されています。そういった意味において、『真昼の決闘』という、美意識の高い女性にとって、極めて無縁に見えるこの作品こそが、あらゆるファッション誌よりも、端的に、忘れがちな美の本質を教えてくれるバイブルなのです。
グレース・ケリー

『真昼の決闘』Vol.1|21歳のグレース・ケリーのメジャー・デビュー作

「あれはすばらしい映画でした。私はあの保安官の妻が登場する場面以外は、何もかも大好きでした。」とこの作品におけるグレース・ケリー(1929-1982)は、彼女自身が回想しているほどに、ひどい演技力ではありませんでした。
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