【モロッコ】
Morocco 1930年にアメリカで公開され、日本でも、満州事変が起きた1931年に公開された本作は、30年代にグレタ・ガルボと人気を二分したハリウッドスター、マレーネ・ディートリッヒ(1901-1992)伝説の扉を開いた作品として、今も色褪せない魅力を放っています。
その圧倒的なスター誕生っぷりに〝この映画の最初の3分の1は、マレーネ・ディートリッヒを生み出すことだけに費やされた〟と評されたほどでした。
日本では、 市川崑監督の金田一耕助シリーズ『悪魔の手毬唄』(1977)でも紹介されたように、はじめて日本語字幕がスーパーインポーズで付されたトーキー作品でした。この作品により、マレーネ・ディートリッヒは、生涯でただ一度だけのアカデミー主演女優賞にノミネートされました。
マレーネにとって『嘆きの天使』に次ぐジョセフ・フォン・スタンバーグ監督との二作目の作品であり(全部で7作品でコンビを組む)、前作がベルリンで撮影されたのに対して、本作は1930年7月15日から8月18日にかけてハリウッドで撮影されました。
熱砂のモロッコのオアシスのような酒場の歌姫と若き外人部隊の兵士の恋の物語。マレーネがタキシードを着て男装するシーンや、カッコよくツーフィンガーで敬礼のような挨拶をするシーン、100万ドルの美脚を披露するシーン、ゲイリー・クーパー(1901-1961)がルージュの伝言を残すシーン、ハイヒールを脱ぎ捨て、灼熱の砂漠を裸足で歩き、恋する男を追いかけるシーンなど、後世に残る名シーンの宝箱と言えます。
あらすじ
ヨッロッパから流れ流れてモロッコにやって来た渡り鳥の歌手アミー・ジョリー(マレーネ・ディートリヒ)が、酒場で歌を歌っています。華麗なる男装で、女性の観客にキスをしたりして、一瞬で、観客のハートを鷲掴みにしていました。
アミーはすぐに、そんな観客のひとりであるハンサムな青年兵士の姿が目に留まるのでした。フランス外人部隊において、女たらしで有名なトム・ブラウン(ゲイリー・クーパー)でした。
その後、男装姿から一転して、美脚を露わに再登場したアミーにすっかり夢中になったトムは、彼女に猛烈にアプローチをかけました。恋の予感を感じる二人。しかし、お互いにモロッコに流れて来た理由は、男女関係で負った傷からでした。
そんな中、トムは上司の妻に手を出していることがバレ、懲罰の意味で最前線に送られることになりました。別れを告げるためにアミーの楽屋を訪れたトムは、富豪のベシエール(アドルフ・マンジュー)がアミーに求婚している姿を見て、楽屋の鏡に〝ルージュの伝言〟を残し、彼女の幸せを願い、去ってゆくのでした。
ベシエールと婚約したアミーは、渡り鳥のような惨めな生活から一転し、何不自由ない日々をすごしていました。そんなある日、トムが負傷したことを知り、矢も盾もたまらずに一目散に病院へと向かうのでした。しかし、実はトムは最前線から逃れるために怪我をしたふりをしていただけでした。
トムと再会するも、アミーに対してそっけないトム。しかし、彼が去った後、テーブルに残された落書きを見て、アミーは彼の自分に対する深い愛を知るのでした。
すぐに再び、最前線に送られるトムを見送るアミーは、すべてを捨てるように、ハイヒールを脱ぎ捨て、ベシエールに別れを告げ、熱砂の中、裸足で彼を追いかけるのでした。
ファッション・シーンに与えた影響
『モロッコ』が、20世紀のファッションに与えた影響は凄まじく、21世紀においても尚、大いなる影響を与え続けています。それはマレーネ・ディートリッヒという〝男装の麗人〟でありながら〝100万ドルの美脚〟を持つという〝唯一無二の存在〟を世に示しただけでなく、あらゆる視点から見ても、永遠に色褪せないファッション哲学の宝箱のような作品と言えます。
この作品がファッション業界に影響を与えた要素を連ねていきましょう。それは以下の3点です。
- マレーネ・ディートリッヒの男装→男性の服装を女性が着たことに意味があるのではなく、男性の服装を女性が着た方が美しいことに意味があった
- 『100万ドルの美脚』→コンプレックスを長所に変える方法
- ゲイリー・クーパーが教えてくれるアイシャドウをつけた男の美しい魅せ方
特に、マレーネの〝男装=タキシード姿〟が、1966年にイヴ・サンローランのスモーキングへと昇華していったことや、文化大革命における中国の人民服ルックも含む、女性のパンツルックの解放へと繋がっていった流れはとても興味深いです。
作品データ
作品名:モロッコ Morocco (1930)
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
衣装:トラヴィス・バントン
出演者:マレーネ・ディートリッヒ/ゲイリー・クーパー