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マドンナ

マドンナ伝説9(4ページ)

マドンナ
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初のベストアルバム『ウルトラ・マドンナ〜グレイテスト・ヒッツ』(1990年11月リリース)
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MTVを引っ掛けた悪女=マドンナ。

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「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」 1990年11月リリース。全米1位、全英2位

マリリン・モンローに扮したマドンナが、オスカーナイトにステージにあがった時、多くの観衆から蔑みの眼で見られていた原因が、この曲のPVにありました。セルジュ・ゲンスブールのような囁きで構成されたこの曲は、レニー・クラヴィッツとの共作です。実際に最上階の15部屋をすべて借り切ったホテルに2泊3日の間、マドンナをはじめとする出演者、スタッフ、監督が缶詰になり、何のコンセプトも持たずに、ただプロのカメラマンが絶対にしないような手法を多く用いて撮影されたフッテージをつなぎ合わせて作られました。

90年代の「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」と言うに相応しい、おおよそダンスに向かず、ヒットも望めないような曲を、マドンナは大ヒットへと導いたのでした。ただ一つの策略によって。それは、1973年のリリアーナ・カヴァーニの『愛の嵐』をはじめとするヨーロッパのデカダンなイメージを映像に体現することにより、予想されるMTVの反発を利用することでした(全体的な映像のイメージはジャンヌ・モロー主演の1963年のフランス映画『天使の入江』)。

予想通り、ビデオクリップは放送禁止となりました。マドンナは、この曲のPVをビデオにして販売し、MTVで放送禁止になった問題作という話題性により、一躍全米No.1ヒットとなりました。今聞くと、実に退屈なこの曲に、彼女は魔法をかけたのでした。そして、この曲が、1992年の「エロティカ」へとつながっていくのです。

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レザー、PVCティーシャツ、ラテックスの下着とコルセットが充満した映像。

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『ジャスティファイ・マイ・ラブ』ライブ・パフォーマンス


ガーリー・ショー・ツアー、1993年。

MDNAツアー、2012年、サンパウロ。