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マドンナ伝説9(4ページ)

マドンナ
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マリリン・モンロー再び。with マイケル・ジャクソン

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「スーナー・オア・レイター」 第63回アカデミー賞歌曲賞受賞。

マイケルもプリンスも友人とは言えないわ。一緒にいた時間はけっこう長かったけど、ふたりとも全然違うのに、同じものを感じさせるの。隣にいると自分が野暮ったく思えてきちゃう。あたしはお腹がすけば食べる。喉が渇けば飲む。言いたいことを言う。あのふたりは自分のスタイルに縛られすぎている。もう少し人間らしい生き方をしなきゃ。あのふたりがトレーニング・ウェアを着てジョギングしたり、外で犬と遊んだり、ノーメイクで友達と遊び歩いてるのって想像つかないわ。あたしの言ってる意味わかるでしょ?でも、あのふたりにはこのことがわからないのよ。

マドンナ 『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』西寺郷太著。

1991年3月25日のアカデミー賞において、マドンナはマイケル・ジャクソンと登場します。その姿はまさに1950年代のマリリン・モンローの再来であり、当時、そんな彼女をエスコート出来るだけのオーラを持つ男性はマイケルを除いて他にいませんでした。「プリンスとの競演の次は、マイケル・ジャクソンとか!?」と世界は、期待しました。しかし、残念ながら、二人の競演は実現しませんでした。

この授賞式の会場においてマドンナは「スーナー・オア・レイター」を歌いました。当時彼女は、本職の俳優達からは、アクターとしては全く認められていない存在でした。そんな演技のプロフェッショナル達を前にして、彼らが崇拝する<マリリン・モンロー>の装いでステージに上がったのでした。

その堂々たるパフォーマンスに対して、プロフェッショナル達は、大いなる賞賛を与えたのでした。「私はマリリン・モンローより上手く歌える本職の歌手です。だから、私がマリリンの姿で、マリリン以上の歌を歌い、古き良きハリウッドを蘇らせることが出来たならば、私はアカデミー賞(=ハリウッド)以上の存在になれるはず」というマドンナの目論見が見事に的中したのでした。この時、1991年3月25日のこの日、ハリウッドスターから≪歌って踊れるエンターテイナー≫に、ファッション・アイコンの地位は移譲されたのでした。そして、彼女は、その第3形態の中枢に以下の奇跡を盛り込んだのでした。それはゲイをはじめとする第三の性の感性と、古き良きハリウッドの普遍性の融合でした。

この作品により、マドンナは≪歌姫=ディーヴァ≫イメージを勝ち取った。

1991年3月。マドンナが、本当のスーパースターに君臨した瞬間。

その野心は、ハリウッドの新たなる象徴になる方向へと向けられていた。

パーフェクトなオスカーナイト・パフォーマンス。

マドンナ・スタイル17 マリリン・スタイル
  • ボブ・マッキーによるパールとビーズに覆われたホワイト・ロングドレス。バストラインにはスワロフスキー・クリスタルが散りばめられています
  • ハリー・ウィンストンから借りた2000万ドルのダイヤモンドネックレス
  • 白のファーストール(クリスタル・ペンダント付き)

マドンナのドレスのデザインは、イーディス・ヘッドの下で経験を積み、1967年よりシェールの専属デザイナーとなり、ハリウッドでも有数の人気デザイナーの一人であるボブ・マッキー(1940-)によるものでした。

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『スーナー・オア・レイター』ライブ・パフォーマンス


ブロンド・アンビション・ツアー、1990年4月27日、横浜。