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マドンナ伝説9(4ページ)

マドンナ
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サウンドトラック『アイム・ブレスレス』(1990年5月リリース)
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世界がマドンナに夢中になった瞬間。

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「ヴォーグ」 1990年3月リリース。全米1位、全英1位

正直なところ、今まで出した中で一番好きなアルバムはディック・トレイシーのサウンドトラック(本アルバム)よ。あのアルバムの曲はみんな大好き。

マドンナ

「ヴォーグ」で、再びデヴィッド・フィンチャーがマドンナのPVを撮影します。僅か16時間で撮影されたこのPVにより、マドンナは、完全にゲイ・カルチャーの代弁者の立ち位置に駆け上ったのです。1990年。時代は、「ゲイパワー」に満ち溢れようとしていました。当時流行の兆しを見せていたハウス・ミュージックと、すでに、ニューヨークのゲイ・ピープルの間では、衰退の兆しを見せていたダンス・ムーブメント、ヴォーギングを融合させたのです。

マドンナが愛するタマラ・ド・レンピッカの絵を背景にして始まります。さぁ!「Strike a Pose」。このPVにより、MTVがファッション業界と融合することになりました。マニッシュなスーツを着て「阿修羅の舞」まで見せるマドンナ。ファッションショーの存在価値は、この年、MTVにとって変わられたのでした(そして、この両極を結び合わせ成功したのが、ヴィクトリアズ・シークレットのファッション・ショーです)。

シースルーのブラウスから透けて見える乳房に対してMTVは、そのシーンのカットを指示しましたが、マドンナは無視しました。そういった自分の意志を曲げない姿勢も、ゲイ・ピープルの敬愛を勝ち取る要因となりました。「この人は、見せ掛けだけで音楽を作ってる人じゃないんだ」と感じさせる人。それがマドンナなのです。

マドンナにとって、ポーズを取るということは、ただのポーズではない。

全身全霊を傾けるスーパースターの姿。それが今のスターとの違い。

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『ヴォーグ』ライブ・パフォーマンス


MTVアワーズ1990。


ブロンド・アンビション・ツアー。1990年。


ブロンド・アンビション・ツアー。1990年、日本。


ガーリー・ショー・ツアー、1993年。


リインヴェンション・ツアー、2004年。


スティッキー&スウィート・ツアー、2008年。


スーパーボウル・ハーフタイム・ショー。2012年2月5日。


MDNAツアー、2012年。