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マドンナ伝説12(4ページ)

マドンナ
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マドンナ略歴

  • 1958年8月16日 ミシガン州ベイシティで生まれる(6人兄妹の3番目であり長女)。
  • 1977年 ミシガン大学を中退し、35ドルを片手に、グレイハウンドバスでニューヨークへ。
  • 1982年 「エヴリバディ」で歌手デビューを果たす。
  • 1983年 デビュー・アルバム『バーニング・アップ』を発売。全米で500万枚、全世界で1000万枚を売り上げる。
マドンナ略歴続き

 

『オースティン・パワーズ:デラックス』サウンドトラック(1999年5月リリース)
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20世紀最後のマドンナ

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「ビューティフル・ストレンジャー」 1999年5月リリース。全米19位、全英2位

正直なところ、反逆者や先駆者でいるのは楽しくてたまらない、ってわけにはいかないわね。だってみんなの恐怖の対象になっちゃうのよ。・・・だってどう見ても自分は嫌われてて、ありとあらゆる人に攻撃されたとしたら、ある意味何でも好きなときに好きなことをする自由が手に入るのよ。すべての人間を喜ばせる必要がなくなるんだもの。

マドンナ

メイクアップを担当したのは伝説のメイクアップ・アーティスト、ケヴィン・オークイン(1962-2002)です。1983年からヴォーグのために、主にスティーヴン・マイゼルとタッグを組み、同年、レブロンのクリエイティブ・ディレクターに起用され、最高級ラインのウルティマ2を手がけました。その後、セルジュ・ルタンスの後継として資生堂のINOUI(インウイ)のクリエイトを担当しており、スーパーモデルをはじめとするセレブたち(シェール、ジャネット・ジャクソン、グウィネス・パルトローなど)に愛されたメイクアップ・アーティストでしたが、2002年に肝不全で死去します。

そんな彼のメイクの力も借り、マドンナは40過ぎにしてとても魅力的な女性=しかもダンスする成熟した女性の魅力をシンプルなコスチュームで演じあげます。ここにマドンナの第6形態がやってきます。そうです。カッコいい40女を築き上げる「時と戦うオンナ」像です。彼女は、アンチエイジングならぬ、カッコよく年を取る戦線に乗り込んだのでした。この時、まさに当時10代のブリトニー・スピアーズやクリスティーナ・アギレラが登場し、マドンナは時代から取り残されかねない空気に満ち溢れていました。

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『ビューティフル・ストレンジャー』ライブ・パフォーマンス


ドラウンド・ワールド・ツアー、2001年、デトロイト。