香水データ
香水名:ジュ・ルビアン・クチュール Je Reviens Couture オード・パルファム
ブランド:ウォルト
調香師:モーリス・ブランシェ
発表年:2004年(オリジナルは1932年)
対象性別:女性
価格:不明
トップノート:コリアンダー、アルデヒド、レモン、オレンジ
ミドルノート:オレンジ・ブロッサム、バイオレット(スミレ)、ローズ、スイセン、イランイラン、ジャスミン
ラストノート:ベチバー、ムスク、トンカビーン
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ルカ・トゥリン
★★★★☆ フローラル・グリーン
「クチュール」は「機内販売のカートに乗せられた貧相なミニボトルでもなければ、ペンキ除去剤のような臭いもしない」ことを約束するような言葉。そして「ジュ・ルビアン」は「私は帰ってくる」の意。その名のとおり、この香水は復活した。この30年、ウォルトの製品は経費削減という旗印のもとで安い材料に走り、どんどん品質を低下させてきた。そのため、伝統を支えるこの香りが悪い冗談のようになってしまった。さすがに60年代当時の製品は手元にないけれど、記憶の中に鮮やかに残っている。それは古典的な、抑え気味のフローラル・サリチレートのアコードだった。アスピリンによく似たサリチレートは奇妙で、なんともいいようのないほんのりスモーキーなフローラルグリーンの香りを漂わせ、フローラルアコードに神秘的な効果を与える。トップノートには、当然のごとく贅沢なほど高価なジャスミンを使用している。残香のすばらしいこと。足りないもの?50年代の香水の復刻版すべてに共通して足りないのはニトロムスクだ。この種の香水はニトロムスクがなければ始まらない。でも、やっぱり戻ってきてくれたのは嬉しい。― ルカ・トゥリン
『「匂いの帝王」が五つ星で評価する世界香水ガイドⅡ』ルカ・トゥリン/タニア・サンチェス 原書房
香水についての解説
19世紀半ばまでファッション・デザイナーの社会的地位はとても低いものでした。あくまでも王侯貴族のために衣服を仕立てる裁縫師にすぎませんでした。そんなデザイナーの立ち位置を一変させる人が出てきました。1825年にイギリスのリンカンシャーで生まれたシャルル・フレデリック・ウォルトです。
顧客の注文に応じて服を仕立てていた今までの洋服店とは全く違った形の洋服店を、1858年にパリで始めました。この洋服店は、あらかじめウォルト自身がデザインした服を、モデルに着せて、顧客に見せ、購入してもらうという現在の洋服店の原型となりました(そして、1868年にパリ・クチュール組合が設立されることになる)。
1895年にシャルルは死去し、息子のジャン・フィリップ・ウォルトが後を継ぎ、ポール・ポワレもデザイナーとして働きました。そして、20世紀に入り、ウォルトは香水販売にも乗り出しました。
モーリス・ブランシェ(1890-1953)が、1932年に調香した「ジュ・ルビアン」は、(シャネルNo.5と同じく)フローラル・アルデヒドの香りと、ルネ・ラリックの摩天楼の高層ビルのようなボトル・デザインによって伝説的な香りとなりました。1920年代から30年代のパリを感じさせる香りは、「私は帰ってくる」というネーミング通り、天然のナルシス、スミレ、ジャスミンによる、優しく静かにパウダリーな香り立ちがします。
同時期に発売されたウォルトの5つの香水の名前をつなげてみると一つのメッセージが浮かび上がってきます。「ダン・ラ・ニュイ」(1924)=「夜更けに」、「ヴェール・ル・ジュール」(1925)=「夜明けに」、「サン・アデュー」(1925)=「さよならは言わないで」、「ジュ・ルビアン」(1932)=「私は帰ってくる」、「ヴェール・トワ」(1934)=「あなたのもとに」。
アメリカでは、第二次世界大戦中、「ジュ・ルビアン」は、フランスで休暇を過ごした兵士たちが愛する祖国の恋人へ贈る香水となりました。美輪明宏も愛用していました。
そのニューバージョンとして2004年に発売されたのが、「ジュ・ルビアン・クチュール」です。