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女優モード図鑑

マレーネ・ディートリッヒ

【モロッコ】マレーネ・ディートリッヒ伝説のはじまり

1930年にアメリカで公開され、日本でも、満州事変を起こした1931年に公開された本作は、〝この映画の最初の3分の1は、マレーネ・ディートリッヒを生み出すことだけに費やされている〟と評され、マレーネ・ディートリッヒ伝説の扉を開いた作品として今も色褪せない魅力を放っています。
マレーネ・ディートリッヒ

『モロッコ』Vol.4|マレーネ・ディートリッヒのコンプレックス

マレーネが欧米で崇拝されている真の意味は、自分の美脚に100万ドルの保険を賭け(事実ではないが)、不滅のシンボルとしてハリウッドに君臨した〝女神〟としてのクールネスからではなく、「完璧とは程遠い女性が、完璧を演出したという奇跡のファンタジー」ゆえなのです。
マレーネ・ディートリッヒ

『モロッコ』Vol.3|マレーネ・ディートリッヒを生み出した男

〝マレーネ・ディートリッヒ〟とは、極めて謙虚に美を追求する彼女自身のストイックなスタイルと、ジョセフ・フォン・スタンバーグという、〝カメラのレオナルド・ダ・ヴィンチ〟と後に呼ばれることになる映像の魔術師によって生み出された奇跡なのです。
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マレーネ・ディートリッヒ

『モロッコ』Vol.2|マレーネ・ディートリッヒの100万ドルの美脚

マレーネ・ディートリッヒの神話性を高めるひとつの要素として存在するのが、この『100万ドルの美脚』です。スタンバーグは、虚無的な表情に、だらしなく伸ばしたり曲げたりした脚というアンバランスなバランスに、男性が惹きつけられることを知っていました。
マレーネ・ディートリッヒ

『モロッコ』Vol.1|男装したマレーネ・ディートリッヒ

マレーネ・ディートリッヒは、少女時代にヴァイオリンのソリストを目指し、ゲーテを神のごとく崇め、リルケの詩を愛する女性でした。そんなマレーネから提案されたのが、女性が、男性の装いである黒のタキシードを着るというアイデアでした。
オードリー・ヘプバーン

【シャレード】オードリー・ヘプバーンのロマンチック・サスペンス

パリの香りがいっぱいのロマンチック・サスペンス。『ティファニーで朝食を』により映画界とモード界の頂点に到達したオードリー・ヘプバーン(1929-1993)が、『パリの恋人』のスタンリー・ドーネン監督と再びタッグを組み、ついにケーリー・グラントとの共演を果たした〝華麗なるファッション・ムービーの金字塔〟。
オードリー・ヘプバーン

『シャレード』Vol.4|オードリーとユベール・ド・ジバンシィ

この作品において、オードリーがユベール・ド・ジバンシィを愛した理由のひとつでもある「あらゆる色に、エレガンスの魔法をかけていく」才能を如何なく発揮しています。その代表的な例がカラフルなウールコートと帽子なのです。
オードリー・ヘプバーン

『シャレード』Vol.3|オードリーとケーリー・グラントとアイスクリーム

セーヌ河畔で赤いスカートスーツを着たオードリーとケーリーが散歩するシーンがあります。その時、オードリーがアイスクリームをケーリーのジャケットにつけてしまいます。実はこのシーンは2人の間に実際に起きた出来事のパロディとして撮影されたシーンでした。
オードリー・ヘプバーン

『シャレード』Vol.2|オードリー・ヘプバーンとトレンチコート

かつてバーバリーを率いていたクリストファー・ベイリー曰く、オードリー・ヘプバーンのトレンチコート姿こそ、トレンチコートの魅力が凝縮されているとのこと。この作品に登場するトレンチコートはジバンシィによるデザインですが、『ティファニーで朝食を』のものとすごく似ています。
オードリー・ヘプバーン

『シャレード』Vol.1|オードリー・ヘプバーンとルイ・ヴィトンとエルメス

アルプスで優雅なる休暇を過ごし、パリに戻ってきたオードリー・ヘプバーンはユベール・ド・ジバンシィがデザインしたファッションに身を包んでいます。この時持っているバッグが、ルイ・ヴィトンのスティーマーバッグとエルメスのクロコのハンドバッグです。
オードリー・ヘプバーン

【ティファニーで朝食を】ダイヤモンド以上に輝くオードリー・ヘプバーン

オードリー・ヘプバーンの人気の絶頂期に生み出されたロマンティック・コメディ映画。トルーマン・カポーティの中編小説を原作にブレイク・エドワーズが監督した作品。オードリーの衣裳は、ユベール・ド・ジバンシィとイーディス・ヘッドによるものです。
オードリー・ヘプバーン

『ティファニーで朝食を』Vol.6|パトリシア・ニールとポーリーン・トリジェール

この作品には、三人のファッション・デザイナーが関わっています。一人はオードリー・ヘプバーンのフォーマルな衣装を担当したユベール・ド・ジバンシィ。もう一人はイーディス・ヘッド。そして、最後の三人目がパトリシア・ニールの衣装を担当したポーリーン・トリジェールでした。
オードリー・ヘプバーン

『ティファニーで朝食を』Vol.5|ティファニー ダイヤモンドとシャネルの2.55バッグ

ジバンシィのリトルブラックドレス、オリバー・ゴールドスミスのサングラス、バーバリーのトレンチコートといった〝永遠のファッション・アイテム〟が登場する本作において忘れてはならないのが、シャネルの2.55です。
オードリー・ヘプバーン

『ティファニーで朝食を』Vol.4|オードリーとニューヨーク五番街のティファニー本店

『ティファニーで朝食を』において、ニューヨークのティファニー本店で史上初のロケーションが行われました。基本的にどれほどの信頼関係があろうとも盗難保険等の関係で宝石店が、映画のロケ撮影に協力することはありません。
オードリー・ヘプバーン

『ティファニーで朝食を』Vol.3|オードリー・ヘプバーンとトレンチコート

女性として生まれたからには、華やかな大都会で生活してみたい。たとえそれが、破滅への道につながろうとも、それが一瞬の輝きであろうとも、本望だと考える心。そんな気持ちを表現する女性の戦闘服が、いつの時代でもトレンチコートなのでしょう。少女はトレンチコートを着て大人になるのです。
オードリー・ヘプバーン

『ティファニーで朝食を』Vol.2|オードリー・ヘプバーンとリトルブラックドレスPART2

第二次世界大戦を経て、ヨーロッパ中がカラフルなカラーと花柄に溢れ、そんなカラフルなカラーコードに疲れた人々の心を掴むように、『ティファニーで朝食を』の中でオードリーが着たリトルブラックドレスにより、世界中の女性は、再びリトルブラックドレスに憧れを抱くようになったのでした。
オードリー・ヘプバーン

『ティファニーで朝食を』Vol.1|オードリー・ヘプバーンとリトルブラックドレス

この作品により、オードリーとジバンシィの60年代ははじまったのでした。そして、この作品により、パリモードが、ニューヨーク(=世界の各大都市)へ、はっきりと溶け込み、ファッション文化の大衆化は加速することになったのでした。
オードリー・ヘプバーン

【尼僧物語】オードリー・ヘプバーンの乙女の祈り

何よりも『尼僧物語』の素晴らしい所は、オードリー・ヘプバーンによって、尼僧ルック(シスター・ルック)さえもモードになったということなのです。世界中の女性がこの作品の影響を受け、イブニングドレスよりも、尼僧服に憧れを持つようになったのでした。
オードリー・ヘプバーン

『尼僧物語』Vol.4|オードリー・ヘプバーンの『コンゴの休日』

1958年1月23日から二ヶ月にわたる撮影が実際に始まってみると、オードリーはコンゴという国がとても気に入りました。撮影中、彼女はそのストイックさにより、24時間、尼僧のファッションで過ごしていたのですが、休日になるとそういった衣装を脱ぎ捨て、カジュアルな装いに身を包み、コンゴを思う存分堪能していたのでした。
オードリー・ヘプバーン

『尼僧物語』Vol.3|オードリー・ヘプバーンとコンゴ

この作品が撮影されたのは、1958年でした。そして、その僅か2年後にコンゴ動乱(死者:推定10万人)が勃発し、現地在住のベルギー人が黒人の暴力に曝され、この作品のために協力した宣教師及び、尼僧も暴行され殺害されたのでした。この作品は、オードリーにとっても他の出演者にとっても忘れられないものとなりました。
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