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キャロライン・マンロー1 『007 私を愛したスパイ』5(3ページ)

ボンド ガール
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作品名:007 私を愛したスパイ The Spy Who Loved Me(1977)
監督:ルイス・ギルバート
衣装:ロナルド・パターソン
出演者:ロジャー・ムーア/バーバラ・バック/キャロライン・マンロー/クルト・ユルゲンス/リチャード・キール

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その女の名をキャロライン・マンローと呼ぶ。




一人の女のウインクが、超大作のすべてを持っていってしまいました。その女の名をキャロライン・マンローと呼びます。

史上最強にセクシーなボンド・ガールと呼ばれた女が、ここに登場したのでした。

ジェットスキーの原型ともいえるウエット・バイクに乗るナオミ。本編ではボンドが乗っていた。

ベル206ジェットレンジャーとロータス・エスプリとナオミ。作中の三大殺人兵器が勢揃い。




もう何も申すことはありません。ただただ彼女の写真を見ているだけで、彼女が、1970年代の青少年にいかなる影響を与えたかが理解できることでしょう。日本の青少年には、白人女性に対する恐怖と憧れを植えつけてしまった罪作りな女キャロライン・マンロー=ジェームズ・ボンドに殺された女。

キャロライン・マンロー(1949-)は、弁護士の両親の下で、バークシャーのウィンザーに生まれました。修道院付属学校で学び、16歳のとき、母親が、デヴィッド・ベイリー(スウィンギング・ロンドンを代表するファッション・フォトグラファーであり、この頃、カトリーヌ・ドヌーヴと結婚していた)が審査員をつとめるモデル・コンテストに写真を送ったことがきっかけとなり、17歳でヴォーグUKと契約することになります。そして、1967年『007 カジノロワイヤル』で映画デビューを果たしました。

代表作は『ドラキュラ’72』(1972)、『シンドバッド黄金の航海』(1974)、『地底王国』(1976)です。抜群のプロポーション(170cm/B91/W64/H89)のため、プレイボーイ誌より、オールヌードを打診されるも、拒否します。キャロラインは、そのグラマラスな外見とは正反対の、芸術肌で熟考型の女性であり、以後、ヌードの仕事は全て拒否しました(『ナバロンの嵐』もそのために断った)。

そして、本作のナオミ役のために『スーパーマン』(1978)の主要悪役アーサ役を蹴ったのでした(サラ・ダグラスが好演)。

結果的に、ナオミがヘリコプターからウインクをしてジェームズ・ボンドを襲撃するシーンは、彼女は、メインのボンド・ガールではないにも関わらず、ボンド・ガールを象徴する最も有名なシーンのひとつになったのでした。

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16歳年下のイケメン御曹司と結婚することになるボンドガール

スーは、オープニングのこのラブシーンのためにトップレスでのぞんだ。




本作のトップバッターのボンド・ガールとして、ログハウスでボンドとのアバンチュールを楽しむKGBのインフォーマーを演じるスー・ヴァナーは、ブロンドヘアのショートボブが印象的なエレガントな女性です。

彼女は、後に、親友の息子である16歳年下のイケメン御曹司ウォーレン・トッド(1976-)と結婚し、スキャンダルになりました。