ドメニコ・ドルチェにとっての神・ヘプバーン。
ある種のファッションは、芸術からインスパイアされて生み出されます。もしドルチェ&ガッバーナというブランドの特徴をひとつ挙げよと言われたならば、それは「芸術にもっとも近いファッションを生み出すブランド」でしょう。しかし、一方で、ここほど、日本において間違ったイメージに包まれているブランドもありません。
10年以上前、夜の仕事に従事する(特にホストとキャッチ)男性にとっての人気ブランドとしてエンポリオ・アルマーニと共に一大旋風を巻き起こし、この2ブランドのデザインに似たコピーブランドが多数生まれました。今で言う、クリスチャン・ルブタンとジミー・チュウのようなものです。そして、そのイメージが、早晩にしてファッション感度の高い男女に対して「ちゃらい」ブランド・イメージを植えつけることになりました。今もまだその余波の中、汚れたイメージの払拭に励んでいます。しかし、ドルチェ&ガッバーナの海外におけるイメージはそうではありません。
シチリア生まれのドメニコ・ドルチェが、自分自身のルーツの追求の果てに2013年秋冬として、ミラノ・コレクションで発表した伝説のウィメンズ・コレクション「TAILORED MOSAIC(テーラード・モザイク)」。そのヒントとなったのは、1940年の『フィラデルフィア物語』において、キャサリン・ヘプバーンが、男性の熱い視線と女性の羨望の眼差しを勝ち取った伝説のビザンティン・ドレスでした。そこから、故郷のシチリアのパレルモにあるモンレアーレ大聖堂に思いを巡らせ、世界最大のモザイク装飾へとたどり着いたわけです。
12世紀(1174年から9年かけて)に建てられた大聖堂は、豪華絢爛なビザンティン美術が集まるショーケースのようであり、ゴールドとモザイクをもちいた芸術品に満ちた空間です。それはまさにドメニコにとっての創造の神殿であり、ドルチェ&ガッバーナにとっての理想郷だったのです。そんな聖なる母に対して向き合った当コレクション。それはドメニコにとっての「美の女神」との対話だったのです。
21世紀に蘇ったビザンティン芸術。
ここに特筆すべきルックを一気に公開していきましょう。特に以下の点にご注目ください。
1.ドルチェ&ガッバーナを代表するシルクドレスの美しさ。
2.モザイクとフレスコいう芸術をファッションに融合させたトレンドを無視した我が道を行く芸術派志向。
3.十字架と王冠をモチーフにした各種カトリック・アクセサリー。
4.モザイクバッグ。
5.モザイクシューズとケージシューズ。
これらのテイストの中には、今日のファッションからは抜け落ちている、色々な視点からファッションを楽しむということの本来の意味が存在します。ミニマルはあくまでひとつの観点であって、そこに支配されているとファッション感度は、マンネリズムへと突き進む真実。複雑さを知るものが、削ぎ落としたものがミニマリズムであり、元々単純なものしか理解できないものが、なんとなく小奇麗にまとめていることは、オシャレであったとしても、ファッションではないことを、このコレクションを見ているとご理解いただけるはずです。
光の都が生み出したビザンティン美術。
ルック1 プリンセス・モザイクドレス
モデル:ケイト・キング(1993-)
ビザンティン美術とは?
ビザンティン帝国(東ローマ帝国)の帝都コンスタンティノープル(今のイスタンブール)は、かつてビザンティウムと呼ばれていました。330年にコンスタンティヌス帝によりローマ帝国がかの地に遷都してから、1453年5月29日のオスマン帝国のスルタン・メフメト2世による帝都陥落までの1123年と18日間に及ぶビザンティン帝国が生み出した代表的な美術様式それは、モザイクとフレスコでした。
西洋と東洋にまたがる美術圏を生み出したビザンティン帝国。ヨーロッパ人にとって東洋的であり、オリエントの人々にとって西洋的という不思議な世界。6世紀に最盛期を迎え、以降は取るに足らない小国家でありながらも1000年以上もローマ帝国を名乗り、その皇帝を神の代理人として頑ななまでのキリスト教国家を作りました。そして、ほとんど全ての美術品は、キリスト教に関するものでした。
点在する教会の壁に描かれた「フレスコ」と、四角いガラスや大理石のかけらを壁の中に埋め込み描く「モザイク」。ビザンティンの人々は、人間の姿をした聖なるものを描くためにゴールドを豪華に使用しました。
ルック2 モザイク・シフトドレス
モデル:アヴァ・スミス(1988-)
モンレアーレ大聖堂を着る。
ルック3 プリンセス・モザイクドレス
モデル:アラナ・ジマー(1987-)
モンレアーレ大聖堂