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カトリーヌ・ドヌーヴ

『昼顔』Vol.1|カトリーヌ・ドヌーヴとイヴ・サンローラン

カトリーヌ・ドヌーヴ
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カトリーヌ・ドヌーヴ、ロジェ・ヴァディムとの失恋をバネに!

17才の時、カトリーヌ・ドヌーヴ(1943-)は、16才年上の男性と出会い恋に落ちました。そして、その5日後には、2人はタヒチへ逃避行の旅に出ました。

その男性の名を、ロジェ・ヴァディムと申します。「映画作りは超二流。女優作りは超一流」と言われたあらゆる意味で伝説の映画監督ですブリジッド・バルドージェーン・フォンダと結婚し、女優として磨き上げた、この希代のプレイボーイとの逃避行は、現代社会においては「若い女性が大好きな中年映画監督と、まだ判断能力のない現役女子高生の女優の卵の…」という捉え方をされてしまうことでしょう。

ヴァディムへの憎悪が、私の生のエネルギーになった。

カトリーヌ・ドヌーヴ

しかし実際の所は、若い季節に魅力的な年上の男性と接していると、仕事の付き合いが恋愛に発展しがちであり、その延長線上で、その男性が恋人を優遇し、恋人も彼のために全身全霊を傾けて仕事に望むという同志的関係が生み出されていくことがあるのです。

それがたとえ、17才と37才であったとしても、素晴らしい恋であることに変わりありません。恋愛とは、数字の引き算で線引き出来るほど単純なものではありません。

17才で初めて男性を愛することを覚えたカトリーヌは、19才で妊娠し、結婚を望むのですが、無残にもロジェ・ヴァディムに捨てられてしまいます。

この時、ロジェは、ジェーン・フォンダという新しい恋人を作り去っていくのですが、いざカトリーヌが子供を生むと、結婚を求めてきたのでした。しかし、その時、ロジェにカトリーヌは強烈なカウンターパンチを放ちました。「あなたは私の中ではもう死んだ人なの」と。

そして、イギリスの人気ファッション・フォトグラファー、デヴィッド・ベイリーと彼女は結婚したのでした。この逞しさ、17才の恋愛によって生まれた憎悪を力に、カトリーヌは、ロジェよりも遥かに大きな存在になっていくのでした。

ロジェ・ヴァディムとカトリーヌ・ドヌーヴ。1962年。

20代後半にして大女優の風格に包まれた1970年代のカトリーヌ・ドヌーヴ。

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イヴ・サンローランとの出会い

伝説のモンドリアン・ドレス。

イヴ・サンローラン(1936-2008)の話をしましょう。クリスチャン・ディオールの主任デザイナー(1957-1960)と徴兵と精神病院を経て、独立したサンローランは、1961年から65年にかけて、5つのバレエのセットと衣裳のデザインをしました。

この経験が、オートクチュールのコレクションのデザインでは経験できない、芸術とイマジネーションと歴史的なスタイルの融合を生み出すきっかけとなったのでした。

そして、1965年7月のオートクチュール・ショーで、伝説のモンドリアン・ドレスは発表されたのでした。

1966年3月14日、エリザベス女王に謁見するカトリーヌ・ドヌーヴ。後ろにいるのは〝黄金銃を持つ男〟〝60年代のドラキュラ〟=クリストファー・リー

左からジュリー・クリスティ、ウルスラ・アンドレス。カトリーヌのドレスはイヴ・サンローランによるもの。

そんな時、1965年に、ロンドンで女王陛下に謁見(1966年3月14日)するためのドレスを注文するために、夫デヴィッド・ベイリーに伴われ、オテル・フォランにやって来たカトリーヌに、サンローランは初めて会ったのでした。

先シーズンのイブニングドレスがとても気に入っていたカトリーヌはその写真が載っていた新聞の切れ端を彼に見せました。

この時、デザインしてもらったクレープデシンドレス(上の写真のドレス)がすっかり気に入った彼女は、『昼顔』の衣裳をサンローランにお願いすることにしたのでした。

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『昼顔』。この映画には音楽がありません

60年代とは、ミリタリー・ファッションに女性が袖を通し、モードの神通力を授けた10年間ともいえます。

赤はデザイナーの力量が試されるカラーです。

現代は、映画の中で音がずいぶん幅を利かせる時代になっています。それは演者の演技力の弱点を補う意味での音であったり、映像に迫力を求める強迫観念の一部として音であったり、ただ静寂を恐れるがためであったりと、テレビドラマも、映画も、音、音、音に支配されています。

この作品は、そんな今から見ると、とても新鮮に感じます。音がなくても映画は作れるんだという驚きです。もっとも、昔は色がなくても映画は作れました。100年前には、声がなくても映画は作られていたのでした。

全てあることが、映画の芸術性を逆に制限してしまっているのかもしれません。シンプルなファッションの素晴らしさと、インスタなどでアップされている日替わり弁当のようなポップスターのファッションは、まさに対極に位置しています。これもまた音の洪水と同じく色の洪水であり、その1つのゴールがラグジュアリー・ストリートだったのです。

この作品におけるサンローランのファッション革命のひとつに、女性のファッションにミリタリー・スタイルを落とし込んだ点があげられます。そのきっかけは、1965年秋にイヴが<Y>の発売開始にあたり、ニューヨークを旅したときに見た米軍の制服から着想を得たものでした。

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セブリーヌのファッション1

ミリタリー・ダブルブレストジャケットスカートスーツ
  • デザイナー:イヴ・サンローラン
  • ハーフアップのヘアスタイル
  • 赤のミリタリーダブルブレストジャケットスカートスーツ、金ボタン、Aライン、アイゼンハワー・ジャケット
  • 黒のロジェ・ヴィヴィエ


アイゼンハワージャケットとは、のちに第34代アメリカ合衆国大統領(1953-1961)となるドワイト・D・アイゼンハワー将軍(1890-1969)が、第二次世界大戦中に考案した軍用ジャケットです。特徴は、腰と袖口がフィットするように絞られたジャケットの丈の短さです。

ボタンを開けてもカッコいい、ミリタリー調。

それはどこかナポレオン時代の軍服の空気も多分に含んでいます。


作品データ

作品名:昼顔 Belle de jour (1967)
監督:ルイス・ブニュエル
衣装:イヴ・サンローラン
出演者:カトリーヌ・ドヌーヴ/ミシェル・ピコリ