カイエデモードを応援する|2026年10月8日

カイエデモード香水図鑑を愛読してくださり、香水生活がより楽しくなっていると感じておられる皆様と、現役香水販売員として、教材として役立てていただいている皆様に読んで頂ければ幸いです。

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1967年の映画

ジェームズ・ボンド

【007は二度死ぬ】ジェームズ・ボンド日本上陸

『007 サンダーボール作戦』の大ヒットによりショーン・コネリー=ジェームズ・ボンドの人気は、世界的に頂点に達しました。1964年に東京でオリンピックが開催され、世界的にアジアブームが起きる中、満を持して日本列島横断大ロケーションに臨んだのがシリーズ第五作となる『007は二度死ぬ』でした。
その他の伝説の女優たち

『007は二度死ぬ』Vol.10|ナンシー・シナトラの神曲

ナンシー・シナトラの唄う秀逸なボンド・ムービーのタイトル・ソング。ジョン・バリーはこの曲をアレサ・フランクリンに歌ってもらいたいと考えていました。彼はこの曲に、〝 人生は二度しかない〟という原題の意味を連想させる「なにかミステリアスなムード」が欲しかったのです。
ボンド ガール

『007は二度死ぬ』Vol.9|カリン・ドール、第三のボンドガール

日本人にとって二人の日本人ボンドガールの印象が強烈すぎてほとんど記憶に残らないのが、第三のボンドガールカリン・ドール(1938-2017)です。本作においては、スペクターのナンバー・イレブンとして登場します。
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ボンド ガール

『007は二度死ぬ』Vol.8|竹取姫のような浜美枝様

そんな中、唯一無二の日本人ボンドガールである浜美枝様と若林映子様。この二人が日本の高度経済成長期において、世界中に対して見せた日本人女性のイメージは、私たち日本人女性が再認識すべき多くの〝失われつつある日本の美〟を兼ね備えています。
ボンド ガール

『007は二度死ぬ』Vol.7|浜美枝・もう一人の日本人ボンドガール第一号

『日本一のホラ吹き男』(1964)などで見られた浜美枝様の魅力は、快活なモダンガールのイメージです。しかし、本作においては彼女のそんな魅力はまったく生かされていませんでした。どこまでもおしとやかな日本人というイメージに最初から最後まで終始します。
ボンド ガール

『007は二度死ぬ』Vol.6|若林映子と「60年代のスウィンギング・ニッポン」

1963年に世界で最も素早く007人気に便乗した映画企画「国際秘密警察シリーズ」(1963ー67)。そのシリーズ第四弾『鍵の鍵』に出演したのが若林映子様と浜美枝様でした。そして、この映画出演が、結果的に二人をボンドガールへの道を歩ませることになるのでした。
ボンド ガール

『007は二度死ぬ』Vol.5|いつか三大怪獣がやって来そうな若林映子様

元々女優としての野心がほとんどなかった若林映子様は、1965年に再婚しており、この作品を最後に女優を引退する予定でした。だからこそ当初、浜美枝様が演じたキッシー鈴木役を彼女が演じる予定でした。
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ボンド ガール

『007は二度死ぬ』Vol.4|若林映子・日本人ボンドガール第一号

今、若林映子(1939-)という女優を知る人はどれだけいるでしょうか?特にそれが45歳以下だと、恐らくほとんどいないでしょう。1960年代の東宝映画の中でも『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964)を見ている人くらいにしかピンと来ない「幻の人」それが若林映子様なのです。
その他の男優たち

『007は二度死ぬ』Vol.3|丹波哲郎とドナルド・プレザンス

そして、そんな男が「生きていたんだね。ボンド君。ではもう一度死んでもらおう」と言うからこそ、ボンドムービーは最高に盛り上がるのです。このブロフェルドを演じた俳優の名を、ドナルド・プレザンスと申します。彼がいたからこそ、007は二度死ぬことが出来たのでした。
ジェームズ・ボンド

『007は二度死ぬ』Vol.2|ショーン・コネリーとトヨタと姫路城

秘密諜報部員=スパイが、世界を股にかけ、クールなスーツとタキシード姿で戦う姿です。この初代ボンド五部作により、男性にとってのスーツは、ただのビジネス服やアウトローのコスチュームから、大人のオトコの戦闘服へと昇華したのでした。
ジェームズ・ボンド

『007は二度死ぬ』Vol.1|日本に来たジェームズ・ボンド=ショーン・コネリー

1966年7月30日(ビートルズ来日の翌日)から6週間かけて行われた日本でのロケ撮影。この作品を最後に、ショーン・コネリーは一度ボンド役を退くことになります。『最後のブルース・リー』ならぬ『最後のジェームズ・ボンド』かと当時心配された本作は、全てにおいてバランスの取れた作品でした。
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その他の男優たち

【俺たちに明日はない】ふたりのラストダンスは87発の弾丸と共に

1967年に『俺たちに明日はない』が全米公開された瞬間、アメリカン・ニューシネマ旋風がはじまりました。一方で、フェイ・ダナウェイのファッションがボニー・ルックとして、ファッション業界に与えた影響も爆発的でした。この作品以降、世界中の女性が、ベレー帽を手に取ることになったのでした。
その他の男優たち

『俺たちに明日はない』Vol.7|ウォーレン・ベイティと本物のクライド・バロウ

本物のクライド・バロウの残された写真を見ていても、すごくお洒落な青年だったことが分かります。1930年代前半は、世界大恐慌と禁酒法真っ盛りの暗黒時代でした。そしてそんな時代に、若者たちは、飢えながら惨めに生きながらえることよりも、束の間であっても、華やかな夢を見て、太く短く燃え尽きたいと考えたのでした。
その他の男優たち

『俺たちに明日はない』Vol.6|ウォーレン・ベイティと30年代のクライド・ルック

ベレー帽とタイト・ニットとミディ・スカートで話題になったフェイ・ダナウェイによるボニー・ルックだけでなく、ウォーレン・ベイティのクライド・ルックも大変魅力的です。1960年代に、男性のファッションが急激に女性化したからこそ、そんな時代の空気を反映して、この作品には、3人の男性が配されています。
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.5|ブリジット・バルドーのボニー・パーカー

1967年のパリのプレミアにおいてフェイ・ダナウェイは、ベレー帽を被ったボニー・ルックの女性たちに、ロックスターのような熱狂の中迎えられました。それはロンドンにおいても同じでした。彼女はまるでビートルズやローリング・ストーンズのような存在になったのでした。
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フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.4|デス・バレエ。死ぬまで踊れ!

死に向かって走り抜けたボニーとクライド。最後に羽ばたく鳥の群れと、地面に伏せる老人。そして、ゴールキーパーのような姿勢を取り、ボニーを見つめるクライドと、クライドに一瞬笑顔を送るボニー。二人の視線が合った瞬間に、『滅びの美学』の幕が切って落とされたのでした。
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.3|フェイ・ダナウェイと本物のボニー・パーカー

ボニー・ルックとは、フェイ・ダナウェイ(1941-)が演じたボニーという役柄から名付けられたものです。それは恐らく実在した犯罪者の名前を冠した唯一の「ルック」の名称であり、現存するボニー・パーカー(1910-1934)の写真を見ていても、ボニー自身が、このタイムレスなモードのアイコンであることを示してくれています。
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.2|1960年代後半、ベレー帽が大流行する。

フェイ・ダナウェイ(1941-)扮するボニー・パーカー(1910-1934)にベレー帽を被らせるというアイデアは、コスチューム・デザイナーのセオドア・ヴァン・ランクルのものではありません。それは元々、本物のボニーが、ベレー帽を愛用していたからでした。
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.1|フェイ・ダナウェイのボニー・ルック

映画が、本格的にファッション業界全体に影響を与えるようになったのはいつかと考える時、絶対に忘れてはならない作品があります。それは『俺たちに明日はない』です。この映画が製作され、公開された1967年以降、映画がファッション業界に与える影響は、決定的なものとなりました。
カトリーヌ・ドヌーヴ

【昼顔】カトリーヌ・ドヌーヴとイヴ・サンローラン

美しい若妻のセヴリーヌをカトリーヌ・ドヌーヴが体当たりで演じ、女優としての確固たる地位を確立する。イヴ・サンローランがドヌーヴの全ての衣裳のデザインを担当した。サファリルック、ミリタリールック、白襟のリトルブラックドレスといった後世のファッションシーンに大いなる影響を与え続けることになるファッション・ムービーの金字塔。