作品名:007 ユア・アイズ・オンリー For Your Eyes Only(1981)
監督:ジョン・グレン
衣装:エリザベス・ウォーラー
出演者:ロジャー・ムーア/キャロル・ブーケ/リン=ホリー・ジョンソン/ジュリアン・グローヴァー/カサンドラ・ハリス
ボンドガールが最も輝いていた時代。
『007 ユア・アイズ・オンリー』の撮影は、1980年9月15日に、ビキニを着たボンドガール達がプールサイドに集結するシーンから撮影されました。そして、このシーンは、『007 私を愛したスパイ』からはじまる恒例でした。
つまりは、映画の中ではかなりぞんざいに扱われる彼女達は、ボンドムービーのプロモーション・ガールなのでした(ティモシー・ダルトンがニューボンドに登板することにより、こういったボンドガールの存在は男尊女卑の最たるものだという理由で、廃止され今に至ります)。
たしかに、映画の中での扱われ方はぞんざいなのですが、こういったビキニを着た女性達の存在がひとつの奇跡を生み出したのでした。その奇跡の名をチューラと申します。彼女は、俗に言われる史上唯一のボンドボーイであり、ボンドガールだったのです。
史上唯一のトランスジェンダー・ボンドガール
彼女がボンドガールの一人に起用されたとき、誰一人として彼女が、男性(戸籍上)だとは気づきませんでした。そして、チューラ自身もその秘密に罪悪感を持ちながら、そして、183cmという長身に皆が違和感を感じているのではないかという猜疑心に悩まされながら撮影に望んでいました。
予断ですが、あるトランスジェンダーのインタビュアーが「あなたがボンドムービーで役柄を演じたことが私たちに勇気を与えました」という言葉に対して、チューラは「プールサイドを歩くのが演技とは思わないですが、私がボンドガールに選ばれたことが、トランスジェンダーの皆様方に勇気を与えたのでしたら、この仕事は誇りに値すると思います」と答えていました(ちなみに、チューラが最も愛するボンド像は、ショーン・コネリーでした)。
結局彼女は、映画公開前に、タブロイド誌「ニュース・オブ・ザ・ワールド」の一面に〝JAMES BOND’S GIRL WAS A BOY. (ボンドガールはボーイだった)〟とその真実をすっぱ抜かれ、本作における見世物的要素を担わされることになったのです。
チューラ自身も、この記事が表に出た後、自殺を考えたほど、精神的に追い込まれたのでした。しかし、この時、彼女はある出来事(1978年の出来事。後述)を思い出し、プレイボーイ誌の1981年6月号にて、自分を曝け出す決心をしたのでした(トランスジェンダーがはじめてプレイボーイのグラビアを飾った瞬間)。
チューラの生い立ち
チューラこと、キャロライン・コッシー(1954-)は、ダイアナ元妃の出身地でもあるイギリスのノーフォーク出身で、撮影当時は26歳でした。
通常の男性よりX染色体が一つ多いクラインフェルター症候群により、女性的に見えた少年時代のコッシーはいじめに苦しんでいました。
そんな不幸な少年時代において、妹パム(姉となっている誤訳が多い)だけが、唯一の友達でした。そして、一緒に、母親の服やコスメを使い、女装する中で、自身のアイデンティティーを確立していったのでした。
15歳で義務教育を中退し(世界中のトランスジェンダーのほとんどが、日本を含めて、義務教育の途中放棄を余儀なくされています。弁護士になれる人などごく稀であり、ほぼ99%のトランスジェンダーは、最底辺の生活を余儀なくされています)、彼女は、衣服店、肉屋の見習いとして働くのですが、田舎町で浮いている自分の存在に葛藤することに疲れ果てていました。
お金を貯め、意を決して、16歳でロンドンに上京した彼女は、当初はゲイボーイとして、様々な最底辺の仕事をしながら美容師になる勉強をしていました。しかし、ゲイボーイが集まるクラブに出入りするうちに、女装を本格化させていた彼女は、違和感を感じはめていました。そんな矢先に、性別適合手術をしたトランスジェンダーを出会いました。そして、この出会いが彼女の一生を変える出会いになるのでした。
「女装するのではなく、女性になるのよ」という励ましの下で17歳から女性ホルモンの投与を始めました。そして、女性としてロンドンのナイトクラブでショーガールの仕事を始めました。更に、豊胸手術を行い、パリでトランスジェンダーのショーガールとして働き、ローマではトップレスダンサーとして活躍しました。
そして、1974年12月31日にロンドンのチャリング・クロス・ホスピタルにおいて、念願の性別適合手術をしました(当時、交際していたクウェートのプリンスに「そのままの方が魅力的だ」と手術中止を求められるが、静止を振りきり手術に望んだ)。
以後、女性としてモデル活動を行い、チューラーというモデル名で、オーストラリア版ヴォーグやハーパースバザーなどの雑誌やスミノフなどの広告媒体に登場しました。