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ファッション・モデル

『アメリカン・ジゴロ』Vol.6|ローレン・ハットンとボッテガ・ヴェネタ

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はじめに神はローレン・ハットンを創造された。

彼女の鼻は西を向き、口は北を向く、左目はやぶにらみです。そして、彼女は自分らしい美を作り上げた。障害を改造するのではなく、学習、謙虚さ、集中力によって。

『ハーパーズ・バザー』1973年

ファッションの歴史において、重要な役割を果たした20世紀のファッション・モデルを5人挙げよと言われたならば、必ずその名が挙がる人、それがローレン・ハットン(1943-)です。

リチャード・アヴェドンとタッグを組んだ(特にヴォーグ誌における)写真の数々は、21世紀に入り、単なるファッション・フォトの領域を超えた「神の創造物」と言わんばかりに崇拝されています。

映画出演も少なくないローレンですが、そんな彼女が、最も輝いていたのが、『アメリカン・ジゴロ』のミシェル役です。上院議員の妻として、日々何不自由ない生活をしているのですが、女盛りを持て余している、スタイリッシュな美しき女性なのです。

ジュリアンとの出会いが、ファッション・ショーが行われていたビバリーヒルズ・ホテルのポロ・ラウンジというのが、彼女の役柄を象徴しています。恐らく、ミシェルは結婚する前は、ファッション・モデルだったのでしょう。

女盛りの女性が、夫の財力により、ファッションと美容に大金を充て、もっともっと磨き上げられている時、次のステップは、そのファッションと肢体で男をときめかせ、男の手でその衣服を脱がされたいと願う願望です。

それは、ただただ自然の摂理として純粋に枯れる前に、見事に咲きほこるオンナとしての自分を認めてほしいという願望の現れなのです。そんなミシェルの視界に、ラグジュアリー・ファッションを着こなす、どこか場違いな美男子ジュリアンが入ってきたのでした。

『ヴォーグ』1968年6月号、フォトグラファー:リチャード・アヴェドン。

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メリル・ストリープが演じる可能性もあったミシェル役。

肩掛けジャケットで颯爽と登場するミシェル。ローレン・ハットンはこのシーンの演技が一番大変だったと回想しています。

アルマーニで決めているリチャード・ギアと最初の衣装のローレン・ハットン。

リチャードと私はジーンズ、Tシャツ、スニーカーを着る人間だったので、あんなに着飾ったのは私たちにとって珍しいことでした。私たちは完全に演技をしていたのです。

ローレン・ハットン

ミシェル・スタットン役は、元々、メリル・ストリープ、ジュリー・クリスティ、ジェシカ・ラングにオファーが出されていました。しかし、ポール・シュレイダー監督は、4、5人のオーディションを経て、ミア・ファローで決定しました。

ですがジョン・トラボルタとの相性が良くなかった(ミア・ファローの演技力の前に、トラボルタはすっかり怖気づいてしまった)ので、ローレン・ハットンのを起用することにしました。

トラボルタが降板した後、シュレイダーは再び、ミア・ファローを起用しようと考えたのですが、主役二人を降板させると、プロジェクトが流れてしまう危険があると諭され、ローレン・ハットンがそのままミシェルを演じることになったのでした。

彼女が着る衣装は、コート一着のみがジョルジオ・アルマーニによるものです。それ以外の13着の衣服は、すべてアルド・フェランテバジーレの春のコレクションの新作からチョイスしたものでした。

バジーレとは、レーモ・バジーレにより1951年に創業されたメンズテーラーから始まるイタリアのファッション・ブランドです。

まだミラノ・コレクションが開催される前の1970年に紳士服の生地を利用したレディーススーツを発表し支持を得ます。そして、1971年、拠点をフィレンツェからミラノに移し、1972年よりメンズとレディースのコレクションを発表し、70年代半ばにフェランテに買収されました。

シューズは全てドナルド・プリナーのライト・バンク・クロージング・カンパニーから提供されたものでした。

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ミシェル・スタットンのファッション1

スカートスーツ
  • アースカラーのスカートスーツ、ジャケットは肩掛け、ノッチラペル
  • 白いブラウス。パフスリーブ。襟がラペルのように上品なVゾーン

「僕たちは済む世界が違うんだ」「でも、会ってしまったのよ」。完全にミシェル・ペース。

肩掛けのジャケットも、頑張ってる感じがなく、自然に高嶺の花のエレガンスを生み出しています。

どこか野性味を感じさせる瞬間もある女性です。

とんでもなくエレガントでありながら、どこか脆そうな女性を見事に演じあげています。

この写真がとても素敵なのは、ローレン・ハットンのファッション・モデルとしての才能に、リチャード・ギアがタジタジしている初々しさが感じ取れるからです。

80年代を象徴する素敵なシルエットのスカートスーツ。

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プレイボーイのバニーガールから、彼女のキャリアは始まった。

20歳の時の、ローレン・ハットン。

ローレン・ハットンは、1943年11月17日にサウスカロライナ州チャールストンで生まれました。妊娠中に父親は第二次世界大戦に出征し、ローレンは父親の顔を知りません(父親は戦争から復員した後、自宅には戻ってこず、離婚したため。その後、父親は新聞記者として働いていたが36歳で心臓発作で急死しました)。

少女時代をフロリダ・タンパの湿地帯で暮らし、事業に失敗した義父が牛乳配達人から這いあがる姿を見ながら、極貧の中、粘り強く物事を行う能力を身につけました。この粘り強さが、後にファッション・モデル業界に革命を起こす原動力になるのでした。

10代のローレンは、蜘蛛やヘビが大好きな少女でした。自分が「のっぽで、内気で、醜い」と考えていました。人生が好転するきっかけは18歳のときに出会った38歳の男性との恋愛でした。この男性がニューヨークに行き、彼女も追いかけるようにニューヨークに出て来たのでした(ローレンは、父親の急死を知らされてから、肌身離さず父親の手紙を持つようになりました)。

そして、18歳の時、オープンしたばかりのプレイボーイ・クラブでバニーガールになりました。この時、本名のナンシーが何人もいたので、彼女は、最も憧れた女性だったローレン・バコールからその名を取り、ローレンの名で働くことになりました。しかし、4か月ほどで、こんなことをしてちゃいけないと考え、辞めて、ニューオーリンズで大学に入りました。

時は過ぎ、21歳になったローレンは、実家のあるフロリダで休暇を取っていました。そして、ニューヨークから出港しているアフリカ行きの不定期貨物船の記事を読み、母から200ドル借り、ニューヨークへと飛びました。このニューヨーク行きが彼女の運命のみならず、後のファッション・モデル達全ての運命を変えることになるのでした。

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80年代の到来を予感させるファッション

ボディコンシャスなウエイトレスのファッション。ちなみにこの女性は現在、画家として活躍中です。

このシーンで登場するカフェは、かつてノース・ロデオ・ドライブに2005年まで存在した高級会員制ディスコ兼カフェ『デイジー』です。1962年にオープンしたこのカフェは、ロバート・レッドフォードやジャック・ニコルソン、キャサリン・ヘプバーンなど実際の常連客のハリウッドスターの特製ランチをメニューとして選ぶことが出来るカフェとして有名でした。

1977年に、当時18歳で高校を卒業したばかりのニコール・ブラウンは、『デイジー』でウェイトレスとして働き始めました。 そしてO・J・シンプソンと出会い結婚しました。しかし、1994年に起きたO・J・シンプソン事件で、ニコールは殺害されました。

現在は取り壊され、今は、サンローランとモンクレールのブティックがあります。

それにしても、このウエイトレスのボディコンシャスなファッションがとても80年代的です。ちなみに本作が撮影されたのは、1979年2月半ばから4月半ばでした。

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ジョルジオ・アルマーニのトレンチコート

ジョルジオ・アルマーニとローレン・ハットン

小脇に抱えるのはボッテガ・ヴェネタのクラッチバッグ。

アメリカのキャリアウーマンの間でアルマーニ人気が絶大なのは、着心地がよい上に彼女たちを知的に美しく見せてくれるという安心感。そして、アクセサリーやインナーを変えることで、個性をプラスすることができるし、上質だから長く着られる。まさに投資に値する服だからよ。

バーナディン・モリス(ニューヨーク・タイムズのファッション・エディター)

アルマーニは女に男の服を着せた。彼は天才ね。

ロジータ・ミッソーニ

仕事ができる女性ほどいくつもの顔を持ち、生活を楽しんでいる。

ジョルジオ・アルマーニ

アルマーニのトレンチコートを着て登場するローレン・ハットン。ミステリアスな女性を引き立てるアイテムとしてのトレンチコート。そして、脇に抱えるのは、ボッテガ・ヴェネタのクラッチです。

ちなみにこのトレンチコートは、元々はリチャード・ギアのために用意されたものを、ローレン・ハットンが直感で選び、見事に着こなしたのでした。

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ボッテガ・ヴェネタのクラッチ




ボッテガ・ヴェネタが2016年9月のブランド創立50周年とトーマス・マイヤーのクリエイティブ・ディレクター就任15周年を記念し発表した2017年春夏コレクションでは、72歳のローレン・ハットンがそのクラッチとともにランウェイに登場しました。

そして、また、そのオリジナル版と同じデザイン、素材と〝ジゴロ・レッド〟と命名されたオリジナル・カラーで復刻させたものも発表されました。その名も「ザ・ローレン1980」です。ちなみに価格は259,200円でした。

同じクラッチをプライベートで持っていたダコタ・ジョンソン、2018年、ニューヨーク。

同上、2018年、ニューヨーク。

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ミシェル・スタットンのファッション2

アルマーニコート
  • アルマーニのグレーのトレンチコート。オーバーサイズ。十字に交差するストームフラップ、比翼
  • パープルのロングワンピース(後に少しだけ登場する)
  • ボッテガ・ヴェネタのバーガンディカラーのクラッチ

トレンチコートとしては珍しいカラーであるグレージュ。

オーバーシルエット気味のルーズシルエット。

メンズライクと思いきや、真にメンズコートを彼女はクールに着こなしているのです。

太陽の光でブリーチされたようなヘアカラーのクラシックボブ。

ローレン・ハットンとポール・シュレイダー監督。タバコをプライベートで吸っている雰囲気もクールです。

作品データ

作品名:アメリカン・ジゴロ American Gigolo (1980)
監督:ポール・シュレイダー
衣装:ジョルジオ・アルマーニ
出演者:リチャード・ギア/ローレン・ハットン/ニーナ・ヴァン・パラント