ドミニク・ロピオン
Dominique Ropion 1955年、フランス・パリ生まれ。香料会社で働いている両親の下で生まれ、物理学と数学を専攻する。1978年から3年間グラースのルール・ベルトラン・デュポン(現ジボダン香水学校)で訓練を受け、卒業後、10年もの間、ジャン=ルイ・シュザックに師事する。
1984年にデビュー二作目であるジバンシィの「イザティス」により、ヒット作を生み出す。2000年にIFFに入社し、1988年からの付き合いであるフレデリック・マルのために「ポートレイト オブ ア レディー」「カーナル フラワー」など多くの香りを調香し、マルから「現代で最も才能ある調香師」と称賛される。
2012年にシュバリエ賞を受賞し、2018年に、IFFが2013年に創設したマスター・パフューマーの称号を、カルロス・ベナイムに次ぎ授与された2人目の調香師となりました。
香水が芸術であると熱心に主張する調香師は、たいてい一流ではない。
ドミニク・ロピオン
代表作
あなたの唇で E.Q.(ドルセー)
アマリージュ(ジバンシィ)
イザティス(ジバンシィ)
イレジスティブル(ジバンシィ)
エイリアン(ティエリー・ミュグレー)
カーナル フラワー(フレデリック・マル)
セクシー グラフィティ(エスカーダ)
デューン(ディオール)
ベイビーキャット(イヴ・サンローラン)
ピュア プワゾン(ディオール)
フラワーボム(ヴィクター&ロルフ)
ポートレイト オブ ア レディー(フレデリック・マル)
ユーフォリア(カルバン・クライン)
ラヴィエベル(ランコム)
ランテルディ オーデパルファム(ジバンシィ)
ロム(イヴ・サンローラン)
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フレデリック・マルが最も敬愛する調香師ドミニク・ロピオン
私がもっとも惹かれる香料は、複雑な花々の天然原料です。特に、ローズ、水仙、オレンジブロッサム、ジャスミン、チューベローズ、ヴァイオレットなど、一次的と思われるフラワーノートは、調香師にとって宝石のように貴重なものです。
私は、これらの花のグリーン、フローラル、フレッシュ、官能的な側面だけでなく、乾燥した花のノートも扱うのも好きだ。また、カシュメランのような、フルーティーなパインのようで、ムスキーなラズベリーのようでもある複雑で多面的な特徴を持つ原料も好きです。
ドミニク・ロピオン(以下、すべての引用は彼のお言葉です)
天国にいちばん近い天然香料を生み出す研究所、ラボラトリー・モニーク・レミー(LMR)は、モニーク・レミー女史により1983年にグラースで設立されました。2000年3月にIFFに買収され、最高級の天然香料のラインナップがさらに充実することになりました。
IFFとは、世界四大香料メーカーの頂点に君臨する企業です(二位がジボダン、三位がフィルメニッヒ、四位がシムライズ)。2013年よりIFFは、LMRの天然香料を魔法使いのように使いこなすことが出来る在籍調香師のトップオブトップに、マスターパフューマーという称号を与えることを決定しました。
同年、最初に任命されたのがカルロス・ベナイムでした。そして2018年に二人目のマスターパフューマーに任命されたのが、フレデリック・マルに「現代で最も才能ある調香師」と敬愛され、〝Maître des fleurs=フローラルの達人〟と呼ばれるドミニク・ロピオンでした。
長身で堂々として凛々しい彼は、知的で思慮深く、その古代ギリシアの王の家庭教師のような風貌から、香りの哲人、調香師界のアリストテレスとも呼ばれています。
ジャック・ポルジュの助手として働いていた青年時代。
ドミニク・ロピオンは、1955年にパリで生まれました。母は、ルール・ベルトラン・デュポン社(現ジボダン)の人事部で働いていました(ちなみに祖父は同社の財務部長として働いていた)。調香師の家系ではないにしろ、香水に関わる仕事をしている一族の子息でした。
10代の頃、ドミニクは物理学に夢中になりました。そんな彼が香水に魅了されるきっかけになったのは、16歳以降、夏休みごとにアルジャントゥイユのルール・ベルトラン・デュポン社の研究所で助手としてバイトするようになってからでした。
やがて、クロマトグラフィーとデータ解析のチームに入り3年間頑張っていました。この頃、ルール社で働いていたジャック・ポルジュの助手として、香料の計量などを行っていました。
23歳の時、1978年に、ルール社の調香師養成学校(現ジボダン調香師養成学校)に丁度空きが出たため、当時のルール社の社長であるジャン・アミック(「オピウム」を調香した人)に入学を薦められました。
将来調香師への道を進んでいくか迷っていたドミニクは、現役調香師であるジャン=ルイ・シュザックとピエール・ブルドンに相談しました。結果的に、性格的に即決することのない彼は即決したのでした。以後、二人は彼のメンターとなります。
「イザティス」誕生。そしてフレデリック・マルとの出会い。
3年間、グラースにあるルール・ベルトラン・デュポン社の調香師養成学校で調香師としてのトレーニングを受けた後、アルジャントゥイユのルール社の研究所で、ジャン=ルイ・シュザックの部下として働くようになり、1982年にデビュー作(ヤードレーの「Lace」)が発売されました。
そして1984年に、ドミニクの調香師人生を決定づける栄光の時はやって来ました。ルール社の社長ジャン・アミックの推薦により、まだ見習い調香師に過ぎなかった彼のアイデアを、ジバンシィのパルファン部門社長ジャン・クティエールにプレゼンテーションする機会が与えられたのでした。
その結果、僅か29歳で「イザティス」という伝説の香りが生み出されたのでした(僅か二週間で完成した)。まさに若手調香師として順風満帆な日々をルール社で謳歌していた1988年のある日、運命的な出会いが訪れたのでした。フレデリック・マルの入社でした(6年間在籍した)。以降、二人はゆっくりと長い年月をかけて友情を築き上げていくことになります。
2018年にIFFのマスターパフューマーに任命される。
私は「ひとつの香水が、ひとりひとりの肌に異なる物語を伝える」という考えに突き動かされています。
ルール・ベルトラン・デュポン社に12年在籍した後、フロラシンス社に10年、そしてドラゴコ社に短期間在籍した後、2000年にIFF社に入社し、ジバンシィ、ランコム、ディオールといった数々のブランドよりヒット作を生み出し今に至ります。
2012年にシュバリエ賞を受賞し、2018年に、IFFが2013年に創設したマスター・パフューマーの称号を、カルロス・ベナイムに次ぎ授与された2人目の調香師となりました。
2018年には、マリ・ベネディクト・ゴーティとの共著による香水本「Aphorismes d’un Parfumeur」を出版しました。
ドミニクは、カリス・ベッカー、ヴェロニク・ ナイバーグ、エミリー・コッパーマンといった調香師のメンターとして、調香の未来の才能を指導することを自分の最も神聖なミッションの一つとみなしており「私は常に生徒の失敗から学んでいます。それは美しく創造的なアイデアに変わる可能性があるからです。」と語っています。
現在は、IFFの調香師学校の講師でもある若手調香師のホープであるファニー・バルと共に教育プログラムの刷新にも積極的です。
ドミニク・ロピオンの調香スタイルと愛する香水たち。
あらゆる私の香りのインスピレーションの源となっているものは、時代を象徴してきたすべての素晴らしいフレグランスたちです。それらから、私たちがこれまで気づかなかった新しいノートや側面を常に発見できるため、私は無限に研究しています。
「No.5」「ミツコ」「シャリマー」などの神話のようなレジェンドたちは、どれも美しい展開があり、飽きることなく分析、解剖することができます。私は「ロシャス ファム」「ユースデュー」「ミス ディオール」からも大きな感銘を受けています。
より現代的なフレグランスを挙げると、「ジョルジオ ビバリーヒルズ」「パリ」「エタニティ」「 プレジャーズ」「エンジェル」などです。
ドミニク・ロピオンの香りに関する最初の記憶は、フランスの小学校の香りです。それはチョークやインク、紙のり、ギモーヴの匂いです。7歳の時に重病にかかり、長い期間ベッド生活を送ることになったのも、彼が自然の匂いに対する感謝の気持ちを持つようになったきっかけでした。
パリで生まれ育った彼にとって、香りの記憶は、地下鉄やセーヌ川、石畳の歩道など都会の匂いの記憶が強いことが、グラース育ちの調香師との違いと言えます。
青年期からずっと愛している香りとして、エルメスの「オー ドランジュ ヴェルト」「4711」、クラシックなシプレである「ロシャス ファム」を挙げています。
調香師としてのドミニク・ロピオンのスタイルは、オリエンタルやフローラルからウッディやアクアティックまで、さまざまな香りの系統をシームレスに操ることができる万能性にあります。彼のプロセスには、原材料の持つ特性を丁寧に引き出し、その輪郭、ボリューム、コントラストを慎重に形作り、調和のとれた香りのシンフォニーを創り出すことにあります。
2024年11月に自分のためのフレグランス・ブランドを創立。
2024年11月に自分のためのフレグランス・ブランド『Aphorismes by Dominique Ropion』を創立しました。ブランド名の〝アフォリズム〟とは〝格言〟の意味です。50ml/260ユーロ。6種類展開です。
2022年にレーヌ ド サバを創業したハビブ・アル・ソワイディにより共同で創立されました。ドミニクとハビブの出会いは、ジャン=ルイ・シュザックを通じて数年前に遡ります。
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