SHISEIDO THE STORE
資生堂の名香とナルシソ・ロドリゲスの「ムスクコレクション」が唯一購入出来る店舗ですが、最低限のフレグランス・トレーニングが行われていないため、販売員の皆様が苦労している残念な店舗です。混乱期の資生堂において現在、フレグランス・トレーニング部門の再編成が図られているのですが、ここで経験豊かなトレーナーを雇用しないと、資生堂は益々衰退していく可能性があります。
場所 東京・銀座
住所 東京都中央区銀座7丁目8−10
電話 03-3571-7735
資生堂香水とセルジュ・ルタンスの聖地

©SHISEIDO

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1872年(明治5年)に福原有信氏が東京・銀座に「資生堂薬局」を創業したことからはじまる資生堂の香水の歴史は、1917年(大正6年)に発売された「花椿」からはじまります。
しかし、日清戦争・日露戦争・韓国併合・第一次世界大戦などを経て、日本は帝国主義化し、1940年の日独伊三国同盟により、第二次世界大戦の波に飲み込まれてゆきました。そして1945年に敗戦を経験することになりました。
そんな焼け野原から見事に蘇り、東京五輪を迎えた1964年に「ZEN(禅)」は発売されました。1980年には、資生堂の外国部長であった福原義春氏(1931-2023)の要望により、セルジュ・ルタンスが、資生堂のグローバルイメージ展開の責任者になり、その流れの中、1982年に伝説の香水「ノンブルノワール」が生み出されました。
さらに1987年に資生堂の社長に就任した福原氏は、香水を国内で作るという考えを改め、香水作りの本場であるフランスに自立した存在として1990年10月にボーテ・プレステージ・インターナショナル社( BPI )を設立して、世界市場で香水を生み出してきたプロの手に委ねる事にしました。
続く1992年には、資生堂のパリの本拠地であるレ・サロン・デュ・パレロワイヤル・シセイドーもオープンし、かの地からセルジュ・ルタンスが誕生しました。
まさに日本の香水文化を牽引してきた資生堂の香水を知らずして、香りの文化を語ることはできません。
資生堂銀座本店「SHISEIDO THE STORE」が店名を新たにしグランドオープンしたのは、2018年1月19日のことでした。さらに2021年10月1日にセルジュ・ルタンスのフラッグシップサロンも併設されリニューアルオープンし、今に至ります。
迷走する資生堂を象徴する、老舗の誇りを忘れた香水販売の姿勢。

©SHISEIDO

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「SHISEIDO THE STORE」でしか体験できないこと。それは資生堂のコスメカウンターに置いていない〝伝説の香り〟を肌に乗せ、確認した上で購入できる事です。そのラインナップは錚々たるものです。
さらに、セルジュ・ルタンスのフルラインナップとナルシソ・ロドリゲスの「ムスクコレクション」が置かれているのです。
資生堂が培ってきた美のソリューションを総合的に提案する唯一の施設であるこちらの店舗は、2022年をピークに、年々香水接客の質が劣化しています。はっきり言うと、最低限のフレグランス・トレーニングすらももう行われていないようです(つまり販売員の方々には責任はございません)。
セルジュ・ルタンスについて、百貨店で販売されているコーナーで、よく言われる「ルタンスの香りの世界観は、あなた自身の肌で感じてください」という〝自分で決めろ接客〟が、再び幅を利かすようになってきています。
ちなみにセルジュ・ルタンスの香りには、ひとつひとつに抽象的な言葉が存在し、その言葉をお伝えした上で、お客様それぞれの物語を紡いでいくように作られております。だからこそ、ひとつの解釈の参考として香りの世界観を、アドバイザーがお伝えするのが、当世風のセルジュ・ルタンスの接客だと思います。
ムエットに香りを出して黙って立っていることで、その世界観を感じてもらいたいのであれば、しっかりとした世界観が伝わる店舗の存在がなければならないです(数年前に銀座の地下にあったあの限定店舗のような)。
ちなみにここには、イッセイ・ミヤケ、ナルシソ・ロドリゲスの香りもフルラインナップで置かれていますので、併せてカウンセリングを受けることが出来ます。
資生堂の復活は、〝フレグランスの復活〟にかかっています。

モデル:山口小夜子様 撮影:横須賀功光 ©Shiseido

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資生堂は2025年を「勝負の年」と明言しています。そしてナルシソ・ロドリゲス、イッセイ・ミヤケ・パルファムに期待をかけています。売上高1000億円を超えるシセイドウ(SHISEIDO)とクレ・ド・ポー ボーテとナーズは、復活の兆しを見せています。
しかし、2025年8月にルイ・ヴィトンのビューティーが上陸し、中国と北米市場において不安点を抱えているLVMHが日本のビューティー市場に総力戦を傾けていくことでしょう。
資生堂の最後の砦である日本事業を打ち滅ぼされずに、逆襲を起こしていくために、唯一無二な戦略は、日本の香りの文化をかつて牽引してた『資生堂』のイメージを取り戻す、つまりはフレグランス・ブランドとしての資生堂の復活を果たすことでしょう。
資生堂は、大沢さとりさんや、ジャン=クロード・エレナ、ファブリス・ペルグラン(ディプティックのヒットメーカー)を専属調香師として招聘し、山口小夜子様の過去のアーカイブを権利問題をクリアした上で使用した(AIを使用した)PR戦略など、偉大なる過去を現在に蘇らせ、世界中の人々が欲しくなる日本を代表する香水ブランドになってゆく必要があるのではないでしょうか。
今の資生堂は、世界のビューティー業界が、重要視しているフレグランスとコスメを結び付けていく戦略とは真逆の方向に向かい迷走しているような気がします。まずは「ノンブル ノワール」を復刻すれば良いだけなのですから…