オリヴィエ・クレスプ
Olivier Cresp 1955年、フランス・グラース生まれ。オリヴィエの両親は、香料会社にローズとジャスミンを供給する農園を経営していた。父親の工場で、天然香料の全てを学ぶようになったオリヴィエは、調香師としての正規教育は一切受けていない。
1980年にクエスト社に入社し、1992年にフィルメニッヒに入社(現在もフィルメニッヒに在籍)。1992年に「エンジェル」により世界初のグルマンノートを創造した。2006年にマスター・パヒューマーになる。2012年には、シュヴァリエ賞を受賞するという快挙を成し遂げた。姉は人気調香師のフランソワーズ・ キャロンである。
代表作
アンジュ デモン(ジバンシィ)
ヴァレンティナ(ヴァレンティノ)
エロス フェム(ヴェルサーチ)
エンジェル(ティエリー・ミュグレー)
ジュニパー スリング(ペンハリガン)
デューン プール オム(クリスチャン・ディオール)
ニナ(ニナ・リッチ)
ブラック オピウム(イヴ・サンローラン)
ミッドナイトプワゾン(クリスチャン・ディオール)
モン パリ(イヴ・サンローラン)
ライトブルー(ドルチェ&ガッバーナ)
ローパ ケンゾー(ケンゾー)
新香調=グルマンノートを創った男
私にとって、自分の調香した香りというものは、子供のようなものです。強いて、最もお気に入りの香りを挙げるとするならば、新しい香りの流れを生み出したティエリー・ミュグレーの「エンジェル」と、ドルチエ&ガッバーナの「ライトブルー」だと答えます。
オリヴィエ・クレスプ
1992年まで、歴史上食べ物の香りをフレグランスにした調香師は存在しませんでした。バニラを使用した香りであっても、それは食べたい香りではなく、温かみとオリエンタルなエキゾチックを生み出すための香料として使用されていました。「食べたくなる香りを自分の肌に乗せる」なんてことを考えた人は、それまで存在しなかったのです。
フレグランス界に革命を巻き起こした「グルマン革命」は、1989年に二人の天才の出会いから始まりました。
その二人とは、1980年代から90年代のファッション・シーンを駆け抜けた鬼才ティエリー・ミュグレーと新進気鋭の調香師オリヴィエ・クレスプでした。ティエリーの常人離れしたクリエイション能力が、オリヴィエの才能を覚醒させ、1989年の僅か3~4時間の二人の対話の中で、ティエリー自身が遊園地で遊んだ幼き日の思い出と、祖母がいつも作ってくれたホットチョコレートにレーズンケーキを浸して食べていたという思い出を元に、〝グルマン=食いしん坊〟な香りのコンセプトは形作られていったのでした。
こうして1992年に発売された『エンジェル』によって、〝食べたくなる香り〟が一大ブームとなったのです。では、第九の香調(ノート)とも言われるグルマンノートを創造したオリヴィエ・クレスプという男について、より詳しく見ていきましょう。日本では過小評価されている調香師の一人です。
グラース・エリートの出自。
私にとってのメンターは、ピエール・ブルドンです。彼はエドモン・ルドニツカに師事した人であり、私は彼から多くのことを学びました。
オリヴィエ・クレスプ
1955年にグラースで生まれたオリヴィエの両親は、香料会社にローズ(5月)とジャスミン(5月から9月)を供給する農園を経営しており、さらにはオレンジとレモン、ベルガモットをイタリアから輸入していました。父親も祖父もその祖祖父もずっと同じ仕事をしていたので、オリヴィエにとって、天然香料との関わりは幼少期からごく自然にはじまりました。
少年期にはピアノに熱中する一方で、7歳ではじめて調香をはじめました(「当時、グラースに20000人いる人口のうち7000人が香水業に従事していたので、それは不思議なことではありません」)。自宅の農園のベルガモット、ジャスミン、チューベローズを早朝に摘み、香料会社から購入したアルコールを使用して、天然香料を抽出して作っていたのですが、失敗ばかりだったと回想しています。
やがて、父親の工場で、天然香料の全てを学ぶようになりました。オリヴィエは、調香師としての正規教育は一切受けていません。
18歳になり、父親の紹介により、アメリカのビドル・ソーヤー社にて2年間フード・フレイバーを学びます(この時に、キャラメル、ハニー。チョコレートの香りを作っていた経験が、のちにグルマン・ノートを生み出すきっかけになりました)。彼は、最初の六ヶ月間の研修期間の必要がないほどに、天然香料や調香の基本について、すでにマスターしていました。
1975年に調香師になり、1980年にクエスト社に入社し、1992年にフィルメニッヒに入社します(現在もフィルメニッヒに在籍)。そして、2006年にマスター・パヒューマーになりました。2012年には、シュヴァリエ賞を受賞するという快挙を成し遂げました。
姉のフランソワーズ・ キャロンも人気調香師(オリヴィエの3兄弟全員が調香師)となり、息子のセバスチャンも調香師です。
コスメカウンターから漂う甘い香りの99%を作る男。
私はジャスミンとフリージアを愛しています。ジャスミンを調香することはロールスロイスを運転するようなものです。それらは明るく華やかな女性らしさを生み出してくれます。そして、ローズ、バニラ、パチョリの持つ官能性も私はとても愛しています。
私が嫉妬を覚えるほどに天才的だと感じるフレグランスは以下の二つです。ゲランの「シャリマー」と、それまでに存在しなかった香りを創造したディオールの「オー ソバージュ」です。
オリヴィエ・クレスプ
オリヴィエ・クレスプの調香の特徴は、「私の調香スタイルは、ミニマリズムです」と言い放つように、女性の香りは、あくまでもシンプルに調香する一方で、男性の香りは、女性ほど様々な香料を入れないという常識を逸脱した、バラエティ豊かな香料を、これまたあくまでシンプルに調香しているところにあります。
それは、400種類の天然及び人工香料のパレット(12000の天然香料と数千の人工香料の組み合わせからオリヴィエ自身がピックアップしたもの)から15から30種類だけを使用し、比率と濃度を変えながら作るのです。
パリに在住しているオリヴィエは、通常、5から10のフレグランスを同時に調香しています。調香とはフォトグラファーの仕事と似ているという彼は、ベストショットを生み出すために1000回以上のショットが必要なように、一回に40分はかかる修正のプロセスを数百回経て、数年かけて一つのフレグランスを生み出しています。
私は、水仙とヒヤシンスが好きではありません。それは、1月と2月に咲く花だからです。私は冬が嫌いなんです。
もし歴史上の人物のためにフレグランスを作れるのなら、ナポレオンのために最高のコロンを作る自信がある。
いまではフランスだけでも一年間に1000もの新しい香りがローンチされます。そして、そのうちで成功を収めるのはわずかに3つか4つなのです。
私はチェスを愛します。そして、文学ならば、アポリネールを愛します。絵画ならば、ピカソを愛します。どの絵かひとつは選ぶことが出来ません。しかし、キュービズム時代を最も愛しています。そして、ジョルジュ・ブラックを愛しています。音楽はだんぜんビートルズです。
私が最も愛する香りは、クリニークのアロマティック・エリクシールです。
私はニッチ・フレグランスという存在に対して、尊敬の念を抱いています。そして、私は香水とは芸術の新しい形だと考えています。
私は女性に対して、常に、フレグランスは全身よりも髪につけるべきですとアドバイスしています。なぜなら髪が動くたびに香りは流れ、モチも良いからです。そして、はじめてデートする時には、温かい香りをつけることをおすすめします。ペッパーのようなスパイシーな香りが男性の感情を、エレガントに揺さぶるからなのです。