【魔界転生】
1980年代が到来し、日本映画界は衰退の一途を辿っていました。そんな時代に、日本映画を転生させるべく、当時最高の才能が結集して生み出された、〝物の怪と忍法と剣戟と妖艶な和美人〟がミックスされた伝奇ロマン時代劇、それが『魔界転生』でした。
原作は、東京オリンピックが開催され、世界に向けて日本の復興が示された1964年12月から『大阪新聞』に連載された、山田風太郎(1922-2001)の伝奇小説『おぼろ忍法帖』でした。1967年には単行本化され、後に角川文庫から『忍法魔界転生』(上下合わせて1000頁近い長篇)の名で再刊されることになりました。
当時、数々の映画を成功させてきた角川春樹(1942-)は、1980年代は「忍者時代」だと考え、本作の映画化を望んでいました。そして紆余曲折の末、新しい題材を求め、白土三平の漫画の映画化の実現か、本作の映画化を考えていた深作欣二(1930-2003)と『復活の日』(1980)を経て、再びタッグを組むことになるのでした。
角川春樹自身が「映画作りへの情熱を失っていた私が、再び映画を創る喜びをもう一度原点に戻してくれた」と回想する作品の製作がスタートするのでした。
西洋の黒魔術と日本の忍法が融合した世界観という、チープになりかねない題材を、格式高く作り上げることが出来るカメラマンと美術監督を求め、今まで東映で撮影したことがなかった長谷川清(1931-)を撮影監督に起用しました。市川崑監督による『犬神家の一族』(1976)からはじまる石坂浩二の金田一耕助シリーズを全作撮影し、その〝失われつつある和の精髄〟を作品の中で甦らせる事に大きな役割を果たした人でした。
一方、美術監督には『十三人の刺客』(1963)『明治侠客伝 三代目襲名』(1965)『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970)『柳生一族の陰謀』(1978)など東映時代劇&仁侠劇の世界を作り上げてきた第一人者であり、東映京都撮影所を誰よりも上手く使うことが出来る、井川徳道を起用した、夢の組み合わせが実現しました。
さらに宣伝美術と衣裳デザインを、人形作家の辻村ジュサブロー(1933-2023)に手がけてもらい、磐石の布陣で妖気漂う世界観の構築に挑んだのでした。
もうひとつ忘れてはならないのが音楽です。人間国宝の山本邦山による尺八とジャズピアニスト・菅野光亮の異色のアンサンブルが実に効いています。
そんなおどろおどろしい空間に、当時絶大なる人気を誇るスーパースターであり、太陽を盗んだばかりの男、沢田研二が、天草四郎として、中性的な美を解き放ってゆくのです。相対するのは、柳生十兵衛に扮する眼帯をつけた千葉真一でした。
この二人を軸に、柳生但馬守宗矩に若山富三郎、細川ガラシャ夫人に佳那晃子、宮本武蔵に緒形拳、伊賀の霧丸に真田広之という 錚々たるメンバーが揃ったのでした(もちろん、深作映画の脇を締める丹波哲郎の存在も外せない)。このような文句なしの環境で生み出された本作は、伝奇ロマン時代劇という新しい時代劇の形を生み、観客動員数200万人(そのうち6割が女性客という、男性客が多くを占める東映初の快挙)、配給収入10億5000万円(製作費約5億円)を記録しました。
あらすじ
寛永15年(1638年)の徳川幕府のキリスト教徒弾圧に端を発する島原の乱は、壮絶な死闘の後、12万の幕府軍将兵は、3万7千人もの信者を惨殺し、10代の若き総大将の天草四郎時貞(沢田研二)も、さらし首にされた。
その夜、雷鳴と共に閃光が走り四郎は黄泉の国から甦った。聖なる教え、慈愛の心をかなぐり捨て、悪魔の力を自らのものとし、徳川幕府への復讐を誓うのでした。そして、まず手始めに、新たに手に入れた魔術を使い、愛していた夫・細川忠興に裏切られ、無念のうちに燃え盛る炎の中、世を去った細川ガラシャ夫人(佳那晃子)の霊を呼び出し、その肉体を復活させた。
かくして、自分と同じく現世で無念の死を遂げた者たちを魔界衆に引き入れていく。宮本武藏(緒形拳)、宝蔵院胤舜(室田日出男)、伊賀の霧丸(真田広之)、そして柳生但馬守(若山富三郎)といったそうそうたる人物が黄泉の国から甦り、幕府に対して反旗を翻した。
そして日光東照宮で、家康の命日の日に、巫女に化けたガラシャが、四代将軍徳川家綱(松橋登)に見初められ、大奥入りを果たす。そんな中、全国を巡る修行のたびに出ていた柳生十兵衛(千葉真一)は、異変を嗅ぎつけるのだった。宮本武蔵との一騎打ちに勝ち、江戸城に向かう十兵衛。
時すでに遅し、ガラシャは、その妖美なる美貌と肉体により、家綱を完全に籠絡し、幕府の屋台骨がぐらつき出したその時に、四郎たちは、島原の乱鎮圧の総大将だった伊豆守を、惨殺し遺体を江戸城内に晒したのだった。ガラシャの乱心により燃え盛る江戸城の中、柳生但馬守は、夢にまで見た息子・十兵衛との決闘に挑むことになる。
業火の中、死闘を繰り広げる二人。そんな二人を見つめる一人の青年の姿があった。
ファッション・シーンに与えた影響
『魔界転生』が公開された1981年6月の2ヶ月前の4月に、ファッションの歴史を二人の日本人が揺り動かす衝撃的な出来事がありました。はじめてパリ・ファッション・ウィークに川久保玲のコム デ ギャルソンとヨウジヤマモトがデビューしました。そのわざと穴があけられ、ボロのようにほつれを見せたセーターなど、ヨーロッパのクチュール文化の常識を覆す、寡黙な色である黒を基調としたスタイルにより、『黒の衝撃』を巻き起こしたのでした。
そんな中、日本人のパワーが世界中を席巻している時代に生み出されたこの作品が、ファッション・シーンに与えた影響は以下の四点です。
- 辻村ジュサブローによる、和と洋、女性の振袖と男性の陣羽織といった境界線を取っ払ったノージェンダーな衣装。そして、メイクアップする男性の美しさ。
- 佳那晃子様のメイクアップ。日本女性の美が、三段階変化であることを教えてくれる。
- 佳那晃子様の『物の怪の美学』。または幽霊のような美しさ。日本文化が如何に黄泉の国からインスパイアを受けているかということを教えてくれる時代の30年先駆けた〝魔界堕ちメイク〟
- 史上はじめてレザーを着たサムライが現る。
この作品の最後が自らの首を持って、高笑いする天草四郎の姿で終わるように、日本の美学とは、終わりのないものにあるということを教えてくれる作品。コムデギャルソンの美学が、完成したのか未完成なのかその境界線の意味さえも無意味にしてしまうアンチファッションの〝破壊の美学〟であるなら、この作品は、魔界堕ちした登場人物を通して伝える、アンチ時代劇の〝破壊の美学〟なのです。
この作品を境に、日本の時代劇は、世界のファッションシーンにメイクアップを含めて多大な影響を与えてゆくことになりました。
作品データ
作品名:魔界転生 (1981)
監督:深作欣二
衣装アドバイス:辻村ジュサブロー
出演者:千葉真一/沢田研二/佳那晃子/真田広之/若山富三郎