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『死刑台のエレベーター』2|ジャンヌ・モローと死刑台に立たされたファッション

ジャンヌ・モロー
ジャンヌ・モロー
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<ジャンヌ・モロー>という映画ジャンル。

本当に表情がコロコロ変わる女優=ジャンヌ・モロー。

かりにあなたが新人女優で、誰を尊敬するかと聞かれたら、とりあえず「ジャンヌ・モロー」と言っておけば、無条件に好印象を与えるだろう。

ジャンヌ・モロー・ルック2 シャネル・スーツPART2
  • シャネルのグレーのスカートスーツ。ラペルは白。ジャケットの下部両サイドにポケット2つ
  • 白のブラウス
  • 一連パールネックレス
  • ボウ付きグレー系ハイヒールパンプス

現像液から浮かび上がる真実。そこにだけ二人の笑顔があった。

10年・・・20年・・・無意味な年月が続く。私は眠り・・・独りで眼をさます。私は冷酷だったわ・・・でも愛してた。あなただけを・・・私は年老いていく。でも2人は一緒、どこかで結ばれてる。誰も私達を離せないわ。

フロランス(ジャンヌ・モロー)

ジャンヌ・モローはこの作品の中で一切笑いません。いいえ、正確には写真の中でだけ笑っています。『死刑台のエレベーター』という映画は「省略の美学」です。2010年にリメイクされた日本映画を見たならば、このオリジナルの素晴らしさがいかなる要素によってかが容易に理解できるはずです。

1.ジャンヌ・モロー。美人ではないが、男に殺人を決意させる女。それは吉瀬美智子のようなどこから見ても美しい女優には出せない魅力。昔ならば岡田茉莉子のような存在感を持つ人。
2.マイルス・デイヴィス。音楽が映画を作る。
3.アンリ・ドカエ。高感度白黒フィルムを使って可能な限り自然光で撮影する。「女優をあんな風に撮るのはけしからん!」と怒られながら手持ちカメラで撮影した気骨の男。
4.シャネル。ジャンヌ・モローの私服。スタイリストが用意したものではない。
5.パリ。1950年代のパリ。第二次世界大戦から10年以上が経ち、復興が始まる独特な活気。

二人の愛を永遠のものにするために起こした犯罪。しかし、真実を閉じ込めた写真によって全ては露呈するのです。そして、オープニングのように独白するジャンヌ・モローによって、物語は終わるのです。この作品は間違いなく、ジャンヌ・モローの最高傑作であり、女を描いた作品の中でも最高傑作にあげられるでしょう。そのジャンルの名を<ジャンヌ・モロー>と呼ぶことにしましょう。

それはファム・ファタールの作品ではなく、夫がいて恵まれた生活があるにも関わらず、若い男との情事に身を焦がしてしまう大人の女の性(さが)を描いた作品なのです。それが禁止されているからこそ、その行為に夢中になるという成熟した男女の生の充実を、笑顔とラブシーンを排除して描いた作品なのです。

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ジャンヌ・モローよ永遠に。

ジャンヌ・モローのためのお祝いをしているモーリス・ロネ、ルイ・マル、ヨリ・ベルダン、エルガ・アンデルセン。

蝋燭を吹き消すモーリス・ロネとジャンヌ・モロー。

打ち合わせをする三人。アップスタイルのジャンヌには気品があります。

タバコに火をつけるモーリス・ロネ。

「女というのは、常に美しくなることばかりを追い求めていて、自分の見かけには決して確信が持てないものなのよ」

「私は今でもラッシュを見ないし、完成作品だって出来る限り見ない。他の人と一緒に自分の映画を見るのはいやなのよ」

ジャンヌ・モロー

2017年7月31日ジャンヌ・モローは世界中の女性にとって永遠のスタイル・アイコンになりました。今、ファッションに関わる仕事がとても薄っぺらなものに見えています。とにかく人々が着飾り、集まり、「私ってステキでしょ!」と<見て見てオーラ>を発散し、要するに高価なものを身に着けているにも関わらずとても安っぽく見えてしまう。その理由は、お金のかからないものでその情報が拡散されているからでしょうか?

あるラグジュアリー・ブランドの路面店がオープンし、芸能人がまぬかれ、VIP客とメディアが集まり、DJが曲をまわし、その風景が、SNSで拡散されます。そんな賑やかな一面がファッションであり、ファッション業界と感じるならば、以下のジャンヌ・モローの言葉を知る必要があるでしょう。

自己管理するためには一人になる必要があるの。孤独の贅沢が必要なの。本来、私はとても内気なのよ。店にいくのはかまわないけれど、世間話ばかりのパーティや夕食会といった社交は好きになれない。私は一人か二人の友人を招いて、自分で料理してもてなし、本当の会話を楽しみたいの。

ジャンヌ・モロー

ファッションが孤独を恐れています。あらゆる人の目に飛び込ませようと必死です。私のオシャレを見てと、自己主張する人々で溢れかえり、それはただのゾンビの群れになってきています。同じような写真がネット上に溢れかえっています。暇な時間のつぶし方をインスタやツイッターなどのSNSで覚えてしまい、本来は暇な時間をつぶすものに過ぎなかったものに、自分自身の貴重な時間を犯されつつあります。

ほとんどの情報は、そんな暇つぶしから得るようになります。日替わり弁当のような<安っぽさ>に包まれています。本当の会話が出来ない自分に気づき始めています。ただ流行っているものにのっかかっている自分がいます。そして、あなたからスマホが取り上げられたとき、あなたには何も残っていなかったことを実感します。

「機械に支配された人間」。そろそろ、私たちは、孤独の中で、アナログと向き合わなければならないことだけは確かだろう。