ファーストコレクションで、〝スター・イズ・ボーン〟と!
ユベール・ド・ジバンシィは、第二次世界大戦が終わり、地味な戦時中の服装から解き放たれた人々は、華やかな装いを求めているがしかし、従来のオートクチュールの価格帯では大衆には手が届かないと考えていました。貴族社会における装いという概念から、大衆がおしゃれを楽しむという概念に、ファッションは転換していくだろうと感じていたジバンシィは、クールシックというスタイルを自分のブランドの中心にすえることにしました。
そして生まれたのが、コットン素材の上品なシルエットのブラウスと軽量なスカートで構成される〝セパレーツ”です。タイトな予算の中で、男性用のワイシャツ地で作られたドレス。今まで、カジュアルさをオートクチュールに持ち込むデザイナーは、存在しませんでした。色と生地の欠落が、ユベールの世界的な成功につながりました。カラー・バリエーションがないので、逆に色々なアンサンブルを楽しめ、クールでシックだと、人々に感じさせるのです。
一方、ブランドのスパイスとして、妙なアクセサリーやハットを発表しました。クールシックの真髄は、堅苦しさとは相反する〝ヌケ〟の遊び心の絶妙なバランスにあるのです。ファーストコレクションに対して、ニューヨークタイムズ誌は「スター誕生」と書き、フィガロ誌は「ファッション界の〝アンファンテリブル(ジャン・コクトーの恐るべき子供たちより)〟」とユベールを評しました。ヴォーグ誌は、「信じられないほど素晴らしいコレクションだった」と絶賛しました。ベッティーナの活躍もあり、なんと初日に、2万ドルの売り上げを上げたのです。
ルネ・グリュオのファッション画の援護射撃
クリスチャン・ディオールが、ニュー・ルックを発表したのが、1947年2月でした、ディオールを創立した46年12月以来、クリスチャン・ディオール社の全てのポスターを手がけていたのが、ルネ・グリュオ(1909-2004)でした。内気で、社交的ではなかったクリスチャン・ディオールの大親友にして、バレンシアガやランバンとも親密な関係を築いていたルネが、ファースト・コレクションのファッション・イラストを描いてくれることになりました。
1950年代において、ファッション・イラストが、大衆に与える影響はとても強く、この2枚のイラストの存在が、速やかに人々にジバンシィは、ディオールと同格のファッション・ブランドなんだと印象付ける役割を果たしたのです。