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ファッション ブランドの歴史

ジバンシィ最初の3年・第1章1952年 – ファッションの歴史

ファッション ブランドの歴史
FASHION HOUSE
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悪夢に出てきそうな「ベッティーナ・ブラウス」

Bettina, Spring Collection - February 1952

モデル:ベッティーナ・グラツィアーニ。『ベッティーナ・ブラウス』。1952年SS。

Bettina Graziani in Hubert de Givenchy Ensemble, photographed by Nat Farbamen, 1952

ベッティーナ・ブラウス。

Hubert de Givenchy- 1952 Latin American inspired Bettina white linen blouse with black embroidered eyelet detail in a khaki wool pencil skirt. Elle Les Collections Printemps 1952- March 3, 1952

ベッティーナ・ブラウス。

タコの吸盤のような、何か水木しげるの妖怪にでもいそうな〝昭和の負のテイスト〟が充満するフォルムを持つこのブラウス。一度見たならば消して忘れることの出来ないブラウス。このブラウスの名前となった〝ジバンシィのミューズ〟ベッティーナ・グラツィアーニの雰囲気がまた、岸田今日子的な只者ならぬオーラが出ていて、ファッションモデルがエレガントに着る服というよりも、祈禱師が着る儀式のための服が、カジュアルにモード変換され、解釈されたような印象を与えます。まさに悪夢に出てきそうな服です。

写真によっては到底美人ではなく、美とは明らかに異質の存在感があり、男を夢中にさせる雰囲気を持つ女性ベッティーナ。このブラウスの造形の奇妙さが更に倍化させる不安感。その手を振り回したならば、催眠術にかけられそうな、何か精神崩壊をじんわりと導くような黒いひだ飾りと、コットン・ポプリン製の男性用ワイシャツ地による清潔感溢れる全体の不思議な組み合わせ。そこに、カーキのギャバジン素材のペンシルスカートのアンサンブルにより、モード感が付与されます。1つの新しい世界観を示したファションの始まりです。

この「ベッティーナ・ブラウス」は、ジバンシィ創立40周年を記念して、香水アマリージュが発売された時、そのボトル・デザインに反映されたほど、今でもコレクションにおいて、様々な解釈を加えて、発表されるジバンシィの至宝の一品なのです。

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ジバンシィを成功に導いた3人。

Bettina in glittering evening gown worn with white capelet by Givenchy, photo by Milton Greene, 1952

モデル:ベッティーナ・グラツィアーニ。スパンコールとビーズで覆われた華麗なイブニング・ガウンと白のケープ。『ヴォーグ』1952/53年AW。

Bettina in chestnut velvet coat lined in double chiffon worn over velvet cocktail dress cinched in wide satin sash bow-tied, by Givenchy, photo by Pottier, 1952

モデル:ベッティーナ・グラツィアーニ。栗の実色のヴェルベット・コート。裏地はシフォン。ヴェルベット・カクテル・ドレス。白のサテン・サッシュ・ボウタイ。1952/53年AW。

Bettina in a dress and stole from Hubert de Givenchy's first collection, 1952. Photograph by Henry Clarke.

モデル:ベッティーナ・グラツィアーニ。ドレスとビッグ・ストール。1952/53年AW。

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モデル:ベッティーナ・グラツィアーニ。コート。ウールスカート。白ブラウス。ランタン・ヘッドスカーフ。1952/53AW。

Bettina Graziani in Hubert de Givenchy Coat and Lantern Scarf, photographed by Nat Farbman, 1952

The Bettina blouse, 1952. Givenchy named this ruffled sleeved cotton blouse with a straight skirt after his model, Bettina

モデル:ベッティーナ・グラツィアーニ。ニットのセーターとペンシルスカート。1952/53年AW。

モデル:ベッティーナ・グラツィアーニとソフィー・マルガとアイヴィ・ ニコルソン(左から)。1952年SS。

Ivy Nicholson (L), Gigi (C) and Bettina, February 1952

モデル:アイヴィ・ ニコルソン(サンゴのビーズ付きの白のカーディガンと黒スカート)。ソフィー・マルガ(白のオーガンジー・ブラウスと黒スカート)。ベッティーナ・グラツィアーニ(フリンジ付き黒セーターとスリムなストライプ・パンツ)。「セパレーツ」。1952年SS。

Bettina Graziani modeling for Hubert de Givenchy Fashion Show, photographed by Nat Farbman, 1952

ベッティーナ・グラツィアーニのランウェイ。シャンタン・ドレス。ショート丈のツイード・ジャケット。1952年SSショー。

Bettina does double duty setting up seats for Givenchy's runway show that she will also be modelling in, photo by Nat Farbman, Feb. 1952

1952年2月。ベッティーナ・グラツィアーニは1952年SSショーのために裏方の仕事もしていた。これは椅子をセッティングしている姿。

一人は、ユベール・ド・ジバンシィ自身。そして、もう一人は、オードリー・ヘプバーン。最後の一人は、ベッティーナ・グラツィアーニ(1925-2015)によってでした。彼女は身長は150㎝ちょっとでありながら、スタイル面の欠点を、街で見かける女性のような自然の初々しさでカバーしました。25歳にしてフランスで最も有名なモデルになったベッティーナは、当時『ヴォーグ』において、「エディターやフォトグラファーの受けがいいばかりか、フランス人マヌカンとの出会いをずっと夢見ていた男たちの心もすっかり虜にした」と紹介されました。

ベッティーナがその才能に惚れこんでいた、ユベールが独立し、メゾンを創立する時には、モデルとしてだけでなく、ショーの運営責任者として、服にアイロンをかけ、席の配置を考え、コーヒーを作り、そして、広報の仕事とバイヤーに対して服を売る役割も果たしました。アイヴィ・ニコルソンなどのトップ・モデルに出演を依頼し、エディターにショーへの出演を働きかけたのも彼女です。性格が良く、友人の多かったベッティーナがいなければ、ジバンシィは存在しなかったかもしれません。

1955年引退し、パキスタンのプレイボーイ、アリ・カーン(1911-1960)と交際するも、1960年に自動車事故で、アリは即死し、ベッティーナは子供を流産してしまいます。1967年ココ・シャネルの1967年サマー・コレクションにモデルとして一夜限りの復活を果たし、後にエマニュエル・ウンガロのオートクチュール・ディレクターにもなります。更に、アズディン・アライアやヨージ・ヤマモトからミューズとして崇められPRに協力したりもしました。そんな彼女が残した言葉が、これです。

「最近、若い女性達は昔よりずっと美しいです。でも、彼女たちのどこがファッショナブルなのか私にはどうにもわからないのです・・・」