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ジバンシィの歴史
- 1952年 ユベール・ド・ジバンシィが創立。
- 1954年 『麗しのサブリナ』の衣装に一部協力。以後オードリー・ヘプバーンのために『パリの恋人』(1957年)『ティファニーで朝食を』(1961年)『シャレード』(1963年)『おしゃれ泥棒』(1966年)等の衣装を担当する。オードリーはジバンシィのミューズとなる。
はじめに
私は、新しいことばかり追いかけることが、ファッションだと考えません。流行を作り出そうとやっきになり、薄い内容を、チープな写真の洪水でごまかしている、名ばかりのファッション誌であるカタログ雑誌や、有名人やファッショニスタのインスタをフォローして最新アイテム自慢を収集することにも全く興味が沸きません。自分の心が響くものを見つける時に、私は薄っぺらな美辞麗句を好みません。そして、騒がしい環境でそれを見つけ出すことも好みません。ただ静かな環境で、ファッションに向き合うときに、自分の感性は研ぎ澄まされます。
私が3年前から愛用しているリュックサックは、ジバンシィです。これは私がリカルド・ティッシが好きだからと言うよりも、ユベール・ド・ジバンシィとオードリー・ヘプバーンが好きであり、この二人のエッセンスを受け継いでいるファッションアイテムだなと感じたから、(更にそのクールシックさに惹かれ)この全面カーフレザーのオール・ブラック・リュックを購入しました。私にとってジバンシィのブラックとは、他のブラックとは全く違う黒なのです。
ファッションとは、古いものを知り、新しいものを知る。そして、自分の血液にどういう血液をミックスして、変化を遂げていきたいのかを考える喜びです。週7回のファッション・ローテーションを組んで、7変化する自分を楽しめたならば、人生にプラスとなる感性が研ぎ澄まされると思いませんか?だから、私は心より愛するものの歴史をここで探求します。
オードリー・ヘプバーンを虜にしたジバンシィの1952年
オードリー・ヘプバーンにとって、1952年は運命の一年でした。ブロードウェイで『ジジ』の舞台を大成功で終え、ハリウッド初出演の映画作品となる『ローマの休日』の撮影が夏から始まる前に、衝撃的な出会いがありました。それはイーディス・ヘッドとの出会いです(本編の衣装の打ち合わせのため)。イーディス・ヘッドとは、当時ハリウッドのパラマウント社のチーフ衣裳デザイナーです。この時イーディスは、オードリーのファッションに対する見識の深さにすごく驚かされました。
一方で、オードリーもファッションを創り出す人の感性の高さに、衝撃を受けました。そして、ファッションに関わるとき、自分自身がとても楽しくなる事を痛感しました。それは色々な衣装をフィッティングする時でした。自分でも衣装のデザインを考えてみようと、より熱心に『ヴォーグ』や『ELLE』『ハーパース・バザー』などのモード誌を見るようになりました。そして、彼女が、魅了されたデザイナーが、クリストバル・バレンシアガとユベール・ド・ジバンシィでした。
1952年夏、記録的猛暑のローマにおいて、半年に及ぶ『ローマの休日』の撮影が始まります。この撮影中に彼女は、一つの夢を実現させようと考えていました。その夢とは、当時の女性にとっての夢でもあった、モード誌に載っているファッションを購入するということでした。
※キャプシーヌ(1928-1990)フランス出身のファッションモデルであり、映画女優。ジバンシィ、ディオールのモデルとして活躍した後、『ピンクの豹』(1963年)『レッド・サン』(1971年)などの映画で活躍。親友は、ハリウッド初出演作で共演したダーク・ボガードやオードリー・ヘプバーン。オードリーとは、スイスで近所付き合いしており、オードリーが心を許せる数少ない親友の一人だった。