ブラック
原名:Black
種類:オード・トワレ
ブランド:ブルガリ
調香師:アニック・メナード
発表年:1998年
対象性別:ユニセックス
価格:40ml/7,800円、75ml/9,500円
世界初のアーバン・ノートの誕生

©BVLGARI
1884年に創業したハイジュエリー・ブランド、ブルガリの香水の歴史は、それほど長くありません。それはジャン=クロード・エレナが調香した「オ パフメ オーテヴェール」と共に、1992年にはじまりました。この香りは、後の世に史上初めての緑茶=グリーンティーの香りとして、香水の歴史の一ページを飾ることになりました。
そして1994年に、二つ目の香りとしてソフィア・グロスマンにより、「ブルガリ プールファム」が生み出され、三つ目の香りとして1995年に「ブルガリ プールオム」が誕生しました。
現在ルイ・ヴィトンの専属調香師をつとめるジャック・キャヴァリエにより調香されたこの香りは、ブルガリ最初のメンズ・フレグランスであり、90年代に大流行しただけでなく、21世紀においても不動の地位を確立しているメンズ・フレグランスの永遠のスタンダードです。
前三作の共通点であるティー・フレグランスの流れを汲み、1998年に第四のティー・フレグランスとして「ブラック」は誕生しました。ラプサン・スーチョンという非常に珍しい中国紅茶の香りをベースに生み出された香りです。
ラプサン・スーチョンとは、19世紀の英国の貴族が親しんだ高級紅茶です。中国福建省武夷山市周辺で生産される中国名を正山小種と呼ぶ中国紅茶であり、正露丸の主成分であるクレオソートの香りに似ています。そんな松の煙香の強い独特な香りと、バニラをブレンドしたことにより、香水業界を震撼させる、あり得ない斬新な表現が可能になったのでした。
それはネオンが煌く大都会の上空から、1,000機ものヘリコプターを動員し、消火用ホースでバニラをぶちまけたような香りです。1998年まで存在しなかった、従来の美しさとは一線を画する、新しい美しい香りの概念=〝アーバン・ノート〟を生み出した香りです。
嫌いだけど、癖になる、やがてこれなしでは生きていけなくなる香り

ブラックラッカーが施されたセルペンティ・シークレット・ウォッチ ©BVLGARI

魅惑的なダイヤモンドの目があしらわれています。©BVLGARI

マザーオブパールの文字盤 ©BVLGARI
大都会に生きる人の機微を捉えた香りとして、太陽と雨を浴びるアスファルト・ジャングルの匂い、急ブレーキの車の焦げたタイヤのゴムの臭い、建設中の高層ビルの無機質な鉄骨の匂い、安酒場の煙草の煙の薫り、大都会の騒音の匂い、24時間眠らない建物から漂う汚臭といった、多くの人々が眉をひそめる匂い全てを濃縮したフレグランス、それが「ブラック」です。
「ブラック」とは、嗅覚のピラミッドを無視した香りであり、太陽が爆発するように、燃え上がるベルガモットが苦みを弾き飛ばしていくようにしてはじまります。ここにはコンクリートしか存在しません。コンクリートに美しい花が育たないのならば、スモーキーなブラックティーで満たしていきましょうとばかりに、太陽=ベルガモットは、黒い雨に飲み干されてゆきます。
すぐにタイムやナツメグなどのスパイスと、オリバナムやラブダナムなどの樹脂の香りが加わり、黒い雨は、素肌の上で開花する華やかな白いバラの上に降り注いでゆきます。そして白いバラはブラックローズへと変貌を遂げ、ミステリアスな甘い香りを漂わせてゆきます。
そこにラプサン・スーチョンの趣のあるスモーキーさが、ほんのり焦げたゴムのようなレザーの香りを広がらせてゆきます(あくまでも強く焦がされた香りではなく、ほんのりである所が、ブラックをブラックたらしめているポイントである)。
やがて、沈んでいく夕陽と大岩に打ち付ける荒波を思わせるアンバーと、黒に変わりゆく白いパウダリーなバニラの甘さ、スモークに奥行きを与えるベチバーのアーシィーさが溶け込み、すべてをひとまとめにしてゆきます。
花のない世界。草花や木や小鳥や蝶が唄う世界ではなく、徹頭徹尾、無機質でありながら、コンクリートやタイヤのゴムや、エンジンやガソリンが、不思議にメロディアスであることを全身で感じ取ることが出来る、このドライダウンのひと時こそが「ブラック」の真骨頂です。
「ブラック」の香りのA級戦犯は間違いなく(ウイスキーを思わせるスモーキーな)グアイアコールと(ブラックティーに含まれる)ピラジンの焦げたプラスチックのような香りです。それらがアンバー、バニラ、ベルガモットのクラシックな組み合わせとブレンドされ、ムスクとサンダルウッドにより、美しいハーモニーが奏でられる中、人類との未知なる遭遇を果たすのです。
『ブレードランナー』のレプリカントから匂い立ちそうな香り
アンジェリーナ・ジョリーがブラッド・ピットと恋に落ちる前に愛用していた香りと言われています。まさに『ブレードランナー』(1982)のレプリカントから匂い立ちそうな香りです。
アニック・メナード様の魔女としての能力がいかんなく発揮されたこの香りは、サンフランシスコにある、中世の要塞のような、あの有名な世界一大きなフェティッシュ系ポルノスタジオで、拘束され、バイクに乗って現れた、ピンヒールにボンデージ姿の女王様に鞭打たれていくような、人間の本能に秘められた、官能の記憶を覚醒させてしまうような、嫌いだけど、癖になる、やがてこれなしでは生きていけなくなる危険な香りと言えます。
どこまでも汚らわしい行為を行いながらも、どこまでも清潔感に満ちているのが21世紀的なのです。つまり衛生面への配慮が行き届いた〝ソドムの市〟に、身も心も溺れていくようなのです。
ラルチザンの「ティーフォー ツー」(2000年、オリヴィア・ジャコベッティ)やヴァン・クリーフ&アーペルの「ミッドナイト イン パリ」(2010年、オリヴィエ・ポルジュ)が多大なる影響を受けた香りです(より甘く、アーモンドがかったよりグルマンな香り)。
大都会の中で孤独の甘さに涙する香り
金属、ガラス、ゴムを組み合わせたタイヤのような武骨なボトル・デザイン(地雷のようでもあり、ホッケーパックにも見える)は、ティエリー・ドゥ・バシュマコフによりデザインされました。
発売当時はとてつもなくクールなデザインでしたが、何故か日本ではブルガリの香り全般が、かなりディスカウントされて売られていたので、欧米の「ブラック」とは全く違うイメージが定着してしまいました。
特にテレビドラマで『夜王』が放映されていた2005年から2006年にかけて、北村一輝様=大都会のホストに憧れているような、派手なヘアスタイルのギャル男たちの安っぽい細身のスーツにから香り立つイメージに成り下がっていきました。そして最終的には2017年に廃盤となりました。
「ボア ダルジャン」にしてもそうなのですが、アニック・メナードという調香師には〝不運〟という言葉がとても似合います。そんな過小評価を受けている〝不運の女王〟に相応しい代表作、それがブルガリ・ブラックなのです。
恐らくこの香りが、2007年にトム・フォードから、しかるべきボトル・デザインで発売されていたなら、その歴史的評価は違ったものになったでしょう。
ルカ・トゥリンは『世界香水ガイド』で、「ブラック」を「ホット・ラバー」と呼び、「歴史的にも最高峰の香水の中に、2つの対照的な材料が、不安定な基礎に乗っているタイプがある。「ハバニータ」のバニラとベチバー、「シャリマー」のシトラスとアンバーなどがそうだ。不安定なことが情緒の音域を広げ、ときによって、気分によって違った香りになる。まるで香水が話しかけてくるように、それは美しいだけでなく興味深い」
「対照的な2つのアコードが使い古されてしまったとき、アニックは数をひとつ増やして3つにする方法をとった。こうしてブラックは3本の斧を引っさげて大胆に宇宙に飛び出す。大きくしっかりした、甘いアンバーの香り、次は50年代の「ジュ ルビアン」のフローラルノート(ベンジルサリチレート、銀行家のデスクライトほどグリーン)もどき、最後に苦くパウダリーで新鮮なゴムのアコードで、タイヤの修理中の香りだ。ブラックを身につけると、それら3種のメロディーが、完全な対位法であなたを包む」
「この香水の構造の驚くべきところは、トップノートもドライダウンも存在しないことだ。メナードはうまく香水の時間にまかせてハーモニーを作り、そこに小さなバリエーションをもたせるようにした。ときによって、ブラックはアマゾンの戦いの歌にもなれば、オペラ座の椅子のエメラルドグリーンのビロードにも、そうかと思えばただ甘くにこやかにもなる」
「奇抜で現代的でありながら、伝統的な香水に見られるしっかりした骨格と、きめ細かな肌をもっている。努力で古典的な名作になる香水もあるが、ただ、そう生まれるものもある。一夕をブラックと共に過ごせば、おわかりになるだろう。その場所は「バンディット」「タバブロン」「カボシャール」とともにあることがー自由で伝統にとらわれない、偉大な香水だ」と5つ星(5段階評価)の評価をつけています。
最後にブルガリ「ブラック」のイメージに合う三人の女優

©AFLO
あなたの素肌を、なめらかなラバーとしなやかなレザーを使い分け、調教してゆく。やがて、痛みが快楽に変わるように、異臭は、素肌の上で淫らな甘い香りへと変わってゆく。
そんなブルガリ「ブラック」の世界観を教えてくれる三人の女優が見せた三つのキャラクターほどこの香りのムードを端的に示してくれているものはないと思います。最初に『ダークナイト ライジング』(2012)でバットポッドに乗り、 ゴッサム・シティで、バットマンと共に戦うキャットウーマンを演じるアン・ハサウェイ様。
このように、色々な妄想が広がることも、この香りの最大の魅力なのかもしれません。失われた楽園を連想させる天然のバニラや木々の香りに、大都会の人工的な楽園の光と闇の『闇』の香りだけをブレンドした、まるで妖怪人間が〝早く人間になりたい〟と渇望するような、悲哀を感じさせる、心の琴線に触れる香りなのです。

©AFLO

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日本の女優が演じたキャラクターだと『ヤッターマン』(2009)でドロンジョを演じた深田恭子様か、『週刊プレイボーイ』でバニーガール姿を披露した二階堂ふみ様のこのバニー服の生地をレザーとラバーの組み合わせに変えた時のイメージでしょう。

© SHUEISHA INC.

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香水データ
香水名:ブラック
原名:Black
種類:オード・トワレ
ブランド:ブルガリ
調香師:アニック・メナード
発表年:1998年
対象性別:ユニセックス
価格:40ml/7,800円、75ml/9,500円
トップノート:グリーン・ティー、ベルガモット、ローズ
ミドルノート:サンダルウッド、シダー、ジャスミン
ラストノート:レザー、アンバー、ムスク、バニラ、オークモス